姿勢が生み出す ゾクゾク|円城寺遥香|2022-23 essay 02
解釈2時間4527字
私は二次創作が好きだ。二次創作とは、何らかの下地となる作品・表現があり、それらを元にしている創作物および創作行為を指す。私は大学生になってから二次創作を自ら書く、描くということを始めた。下地にしている作品は漫画やアニメ作品だ。今は『ツルネ』というアニメにどっぷりと浸かっている。9月にツルネの二次創作を始め、2023年1月現在までに36枚のイラストや漫画を描いていた。さらに監督、声優陣のインタビューの掲載誌を読み、それに対する解釈を2時間で4527字書き上げた。
なぜ創作の中でも「二次創作」が好きなのか。その答えはずっと出ていなかった。しかし、偶然にも、『ツルネ』の二次創作を始めた時期と私がふくしデザインゼミに関わった時期が重なった。そしてこのゼミが、私が二次創作を好きな理由を教えてくれたようにも思う。どうやら私は、
・作品や表現から、監督やキャストが視聴者に伝えたいことは何であるのかをくみ取る。
・作品に登場するキャラの行動原理を読み取る。
ということが好きなのだと気が付いた。そのためにアニメの回を聞き逃しのないよう全神経を集中させ、メモを取りながら視聴する。ふくしデザインゼミでの取材の際、「取材や見学の時、遠慮をしないでもっと知ろう、見ていこうという姿勢を示していこう。」という小松さんの言葉があった。そのような姿勢は、自分の吸収力を上げるとともに、メンバー(二次創作では一緒に交流している方)に見えるもので、じつはお互いに影響を与えている。そして、そんな姿勢で作品に向き合い、くみ取り、読み取ろうとするのだが、私たちは、それだけでは説明できない作品上での描写から、作り手の意図やキャラの行動原理を感じ取ろうとする。
分かるっっとても分かるのだがっっ
作品上での描写から、作り手の意図やキャラの行動原理を感じ取ろうとする。この時、本当にゾクゾクして堪らない気持ちになるのである! 具体例を挙げよう。ある作品のある場面において主人公の幼馴染が自分の中の葛藤から主人公の言葉によって救われて前に進んでいこうとする描写として舞台を整えられ二人きりで会話をし相互理解を深めるのは分かるっっとても分かるのだがっっその後に幼馴染が主人公に寄りかかる描写を入れた意図は!? 幼馴染がそう動いたのは何で!?といったような感じだ。(私の興奮をお分かりいただけただろうか?)
取材をしていてもこの感覚を味わったことがある。インタビュー側の予想を超えたその人の言葉から、その人をその人たらしめる何かを感じた時だ。そのとき、私たちの側に、その「何か」を表現したいという思いが生まれる。
その瞬間はとても気持ちがいい。しかし、一人で考えると煮詰まる。なぜなら作り手の意図やキャラの行動原理の解釈に1つの正解などないからだ。どの部分に着目するのか、どの部分を切り取るのかで解釈はいかようにも変わる。たとえば、雑誌でアニメの人物紹介があり、見出しが「純粋&真っ直ぐ系男子!」とあるとする。その見出しはわかりみが深い…となりつつ、いやっこの男はそれだけじゃないんだよぉぉっ! という気持ちになるアレと同じだ。
同じ沼の住民との時間を経て
解釈が煮詰まれば煮詰まるほどモヤモヤし、沼にハマる。その時、同じ沼の住民とモヤモヤを共有する。共有はTwitter上で考えた解釈をツイートし、それに対するリプを返してもらう、自分も相手にリプを送る。
モヤモヤのやり取りを通じて絶対の解決策が生まれるわけではない。ふくしデザインゼミでいう編集会議やモヤモヤ会議も同じだ。しかし、そこにはお互いの解釈に「いいね!」「こうするといいかも!」「こんなのもあるのでは?」と伝え合える時間、空間がある。私は、自分の表現をどのようにしていくのかを人と編集していく、同じ方向を向いた人たちと時間を共有していくこの過程が楽しくて幸せで堪らないのだ。
私にとって福祉は学びたい、知りたいという対象、自分の外側にあるものであった。だけど今はちがう。福祉は、自分の中にあり、楽しめる、面白がれるものになった。
|このエッセイを書いたのは|
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お知らせ ~ふくしデザインゼミ展を開催します!~
ふくしデザインゼミ展は、福祉と社会の関係をリデザインする実践的な社会教育プログラム「ふくしデザインゼミ」の成果を、さまざまな形で鑑賞・体験する企画展。ゼミ生が制作した『ふくしに関わる人図鑑』に関する展示を中心に、トーク、ツアー、さらには「仲間さがし」に至るまで。福祉を社会にひらく、さまざまな企画を予定しています。
本エッセイを執筆した円城寺ほか、学生も会場でお待ちしています!ぜひお越しください。