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やりたいと思ってやっていることは温度差があって当たり前なんじゃないかという話


※画像は今日の話のイメージです。




わたしは『もうすでに』これをやっています!
わたしは『もうすでに』学んでいます!



特別なことではないし、日常の一部と捉えていいものだと思っている。

顔を洗うとかトイレに行くとかご飯を食べるとか、の域はもう本当に日常の域の中心ではあるだろうけど、

今学んでいることとか、すでに得ていることとかが、すごく特別視する必要はないのかなって。


みんなが自分と同じタイミングで同じ分野に興味を抱き始めて、同じ熱量で同じタイミングで学び始めて、学ぶペースも同じで・・・ってことはまず無い。

だから、周りは自分よりも先に行っているなんてことは存在もしていない。

みんな違うんだから。そもそも。


わたしは占星術に興味を持って調べたりしているけれど、講座に入会している人の勉強の仕方とは違うと思う。

独学がいい人、講座を受けたい人、そういうこともそれぞれ。


わたしは自分の興味を持ったところから始めていて、基礎が大事なのはよく分かるんだけど、教科書を1ページ目から順番に進めていくのが苦手というか。
効率はよくわからないけど、興味あるところから始めて、わからないところをその時に調べて、基礎と応用を同時に興味あるところから進めている感じ。
今はその方が楽しい。
もちろん、一から順に吸収しやすい人もいると思うし、ホントそれぞれよね。

あと講座と言っても講師の方の進め方でもペースは違うと思う。
学生時代に授業を受けていても、教えてくれるテーマとか説明の深さとかペースとか、同じ教科の先生同士でも違うのと同じというか。
わたしの学生時代はめちゃくちゃ生徒の数が多くて、クラスも多くて(1クラス30人ちょっといて、8クラスとかあった)、1学年のなかでひとつの教科に数人の教師が配属されていたから、隣のクラスはこのページは結構サラッと終わったけど、別のクラスでは1から順番に進めてるとか。
関心の示し方って、同じ分野でも違うんだよね。



で、最近思うのが
自己表現を外的に打ち出している人がとても多くなっているということ。


わたし自身もその一人に加わるかもしれないけれど、これはとても重要なタイミングなんだろうと思う。
人それぞれである中、発信する行為がこれだけタイミングが合うという、重要な意味があるんだろうなと感じている。


自分の中にこれだけ熱量を持っているとか、そのジャンルの人じゃないとそれをしちゃいけないとか、そういった枠組みみたいなものが取れていっているというか。
ただ熱量っていうのは、それぞれだと思っている。
熱量の高い人ばかりの刺激を受けて、自分の熱量をヒートオーバーさせてしまったら、好きがしんどくなってしまうことも。


資格を持っているとか、昔からやっていて技術があるから当たり前にやっていたからそのことは堂々と表現できるとかもあるとは思うんだけど、その場合って熱量を高める必要はないと思う。もう自分の温め具合がわかっているというか。


ただ、そこってちょっと気をつけないといけない気がして。
それってちょっと上下関係というか肩書きとかって存在しちゃってるというか。
『わたしは資格を持っているからできる。あなたとは違う』みたいなことをしちゃうと。アチャー・・・っていうね。

興味を持ち始めた人にとっては、やっぱりすでに習得済みの人と比べれば差はあるわけで。そこを比べる必要はないから、自分のペースでやっていけば全然いいと思うんだけれど、すでに習得している人が興味を持ち始めた人に声をかける時ってちょっとした配慮は必要だったりするのかなとも思う。火に水かけちゃうような行為とか、新しい芽を積んではいけないし、尊重するっていうのはどんな関係にも大切なことだと思うし。


温度差はさまざまで、いろんな温度を楽しんでいくっていうのが、これからの時代なんじゃないかと。





占星術的に性格を見ても、そういう表現の仕方も多分さまざまになるんだと思うんですよね。
だからこそ、星を読めると楽しい。特に苦手な人の星読みとかね。笑
特徴がつかめると、嫌な思いする前に対処方法を知れると思うんですよ。その人の生まれ持ったものだから、その人はそれを使う、それは変えられないから。
こっちが対処方法を取っていたら、その人にとっても不快な物事は起こらなくなるわけで。
結果大人しくなると思うんですよね〜!←大人しくさせたいとも違うけど。笑

快と不快を活かすということですね。


わたしは自分で自分の機嫌を取る方法を知って、自分にとって快と不快を活かしたいのです。

結果、みんなハッピーです。











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