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批評とは

物事に対し不平不満を述べる人間は、概ね何事に対しても愚痴が多いのである。
年齢も期間も関係なくイヤイヤ期は訪れる。
精神的な余裕のない人間は、自らの経験の外にあるもの、異文化に対し寛容にはなれない。

何事においても成長するためには適切な批判が必要である。
しかしながら、個人の人間に関しては、その者の行動や結果に対しての批判は必要であれども、人間性を直接批判すべきではない。


昨今特に顕著に表れている、(日本)社会の歪みによって生み出される数々の事象に対しきちんと目を向けようとする人たちが増えた印象であるが、それでもなお、圧倒的多数の人たちは未だ「基本的に世の中は平常運転であり、何もせずとも未来は続いてゆくものである」ということを疑わない。
それこそが本当の終焉である可能性さえもあるわけであるが、根本的に自らの人生に直接的な不利益を感じない限り、置かれている環境であるところの社会批判を本気でしようとは思わないのである。

これは世の中が容易に変化しない原因の一つである。
現社会で多少なりとも権力を握り、何かしらの既得権益により目先の不安を解消された者はたとえ社会の歪みに対し気がつこうとも、社会批判などせずに現状維持に努めるのである。
そして、目先に不安を抱える者もかえって社会にすがらずに生きることができない上では、社会批判どころではないのである。
その先により良い未来が見えていようとも、本当に変化を求める者の手には、基本的には力がないのである。

陰謀論者なのか、世直しに対して微力ながらも力を貸したい存在なのか。

自他共に目的をきちんと見定めなければ、批評は難しい。

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