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読書、そして本の付き合い方について(後編)

2023私は私の道をゆく

(前回のつづき)
閉店する街の本屋さんはイベントと重なり賑わっていた。
とても数日後に閉店する湿った雰囲気ではない。
それでもしんみりと親しんだ本屋さんに、店員さんに別れを惜しむように沢山の本を抱えてレジに並んでいるお客さんが居た。
その街の本屋さんへの愛である。
イベントに参加していた直木賞作家の大島真寿美さんが後日「最後の花火」と言っていた。
私は一日書店員をしている作家さんの本を二日間のイベントで計5冊を買った。
随分と小さい花火である。
店員さんは後日、来店するたびに沢山買う常連さんが最終日にも沢山購入した、と言っていた。
別に悪い話ではない。逆に美談ともいえる。
でも私は沢山の本を抱えてレジに並ぶ人を思い出し、穿った感じ方をしてしまった。
いつ読むのだろう。積読必死。本当に読むのか?
知らない人なのに大きなお世話である。
沢山の本を一度に買える財力への嫉妬心。
実に情けない。
直ぐに反省をしたが、積読へのモヤモヤは募るばかりである。

その夜、風呂の湯に浸かりながら考えた。
積読って作者に対して失礼な行為である。という考えが前提にあるから私は拘っていたのかも知れないが、混乱させたのは某作家の数日前の発言が主な原因だ。
それは、積読した時点で背表紙などから内容の七割を知る事になるから全然OK。というか買ってくれているから別に良い的な内容だった。
読まんでもええんかいっ!結局は売れればいいんかいっ!
と、本音過ぎて悲しくもなった。
とは言え、本は読んでなんぼでしょう。という気持ちは揺るがない。
あっそうだ。かつてこんな事があった。
SNSで今こんな本を読んでいます。という書き込みを見た。
私もまさに同じものを読んでいたから、数日後リアルに会った時その本の内容を話題にしたのである。
すると相手はポカンとした表情をした。別の章(冒頭)の話をしてもポカン。
あっそうか読んでないんだ。と直ぐわかった。
その人は、それ以前もそれ以後の同様の書き込みを定期的にしていた。
だから、同じ手法で話題に入れてもすべてポカンである。
何だかな。
要はインテリのアイテムに本を利用しただけである。
本は、そういう使われ方もあるが、SNSに発信したら先の作家は買ってくれているしアップしてくれているから全然OKなのだろう。
何だかな。
そんな事を思ったり思い出したり、本屋さんは実際どうなのだろうか?
と新たな疑問が湧いたけど、長くなりそうだし何よりのぼせそうなので湯船から出た。

その日、夜風にあたって頭を冷やす。
人は人。私は私。
そして、とにかく今年は積読をしない事をあらためて決意した。

本日3月1日。今年に入って9冊を読了。
昨年から積読の5冊は読んでいないのに本棚に差して、芥川賞作家の又吉直樹さんの言うところの「出会い直し」に期待しよう。
月平均5冊未満になってしまったが、まぁこんなものでしょう。
あっそうそう。
読書の数で思い出した事があるけど、本屋さんの考察も含めてまた今度。

大好きな台湾の「小小書房」さん(本文と関係ありません)

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