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気持ちは分かる(寄り添う事について)

今年の大河ドラマの主役は紫式部。
『源氏物語』の作者として、あまりにも有名な人物であるが、彼女が書いたものとして『紫式部日記』も知る人ぞ知る(いや結構に知られていますよ)
その影響なのか、1月末に久しぶりに会った友人が、
「今年は日記をつけようと思っている!いや、もう始めている!!」
と、鼻息荒く話していて、何をそんなにフンガーフンガーしているのだ?と思った。
その友人と先日に会った。何気に日記は続いているの?と訊いたら、
「それがさ、3月の中旬から中断しているんだ」
と、俯きながら言った。
あんなにフンガー!していて、ある意味、光る君へだったのに、その様は、光る君へに程遠く、しょんぼりの君へ、であった。
「決算とかさ、家のこと、いろいろあってさ、途切れちゃうとね、ふっ」
ふっ、ってニヒルな笑いを浮かべたところで、典型的な三日坊主の言い訳じゃないか。
と思うも、そんな事は口には出さず、友人のグラスにビールを継ぎ足しながら
「気持ちは分かる」
と言った。
誰が友人を責められようか。
私だって何だかんだとこのnoteの投稿を、おさぼりしてから1カ月以上も経ってしまっている。
いろいろあるのよ。生きていたら。何かを表現しようと思ったらモチベーションが必要なのよ。例え駄文であっても、それなりの気力が必要なのさ。いや実際、何度かパソコンを開いて書き始めた事もあったのよ。だけど、何これ?へんてこりんと思ってデリートしたりして。そんなこんなでプロ野球は始まるし、夜も更けたら眠くなるし、何かを思いついても明日でいいかー何て思っちゃうし、起きたら忘れているし、そもそも気力がね、気力が湧かないし「まぁいろいろあるよね・・・」。
心の内の最後の部分が声に出ちゃって、あっと思ってグラスを空けたら、友人が言った。
「ありがとう」と。
ありがとう?何それ?もしかして友人は自分に寄り添ってもらったと勘違いしたのではないか?
気持ちは分かる。からの、いろいろあるよね。からの、ありがとう。
逆に何だか分からなくなったが、勘違いでも感謝されて悪い気分にはならない。
本人も感謝しているのだし。
そして、寄り添う事の意味、重要性にも気づいた気がした。
うん。悪くない。
これからは寄り添い系の随筆家を目指そう。そして自称でも名乗ろう。
そう心に誓い、noteの更新を再スタートする。
私の気持ち、分かる?

私の心は燃えている。フンガー!フンガー!

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