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(死について)明日、逝くと分かっていれば 1

今年も多くの著名人がこの世を去った。
ミュージシャン、俳優、作家、タレント・・・
自身の人生に関わった方の訃報を知ると衝撃が走る。
衝撃の後は何とも言えない気持ちになる。
今年はそれの繰り返しだった。
何とも言えない気持ちを、敢えて言葉にしようと思ったが、もともと語彙が乏しくて探している間に気が付いたら今日で10月が終わる。
振り返ると、今年最初の衝撃はミュージシャンの高橋幸宏さんの訃報だった。
そして、YMOが大好きだったクラスメイトを思い出した。
YMOの素晴らしさを熱く語っていた、あの子。
あの子は今なにを思っているだろう。と思った。
二月は漫画家の松本零士さんの訃報に衝撃が走った。
とにかく『銀河鉄道999』にはドはまりした。999に乗車できる「無期限パス」を所有するほど、その世界観が好きだった。親におねだりして映画館で劇場版も観た。そこでハーロックが好きになった。
三月は音楽家の坂本龍一さん。
また、あの子と、その時代の事を思い出した。
四月だか五月だか忘れたけど、高見のっぽさんが昨年にお亡くなりなったニュースには衝撃を受けた。
『できるかな』でお馴染みのノッポさん。工作を分かり易くするためにノッポさんはマニキュアをしているんだよ、と母が言っていたのを思い出した。
作家関係だとムツゴロウさんこと畑正憲さん、森村誠一さん、大江健三郎さんにも作品に思い入れがあるぶん衝撃だった。
記憶に新しいところで言えば、もんたよしのりさん、財津一郎さん、谷村新司さん。
誰もが言えるフレーズやヒット曲があるだけに衝撃が走り、何とも言えない気持ちになった。
この何とも言えない気持ち、って何だろう。
今も何とも言えない気持ちになっている。
亡くなった著名人が世に出した作品、出演テレビ番組などに紐づけされている自身の思い出たち。
ノスタルジー。
つまり戻ることの出来ない時代を懐古する、ということの実感が何とも言えない気持ちにさせているのだろうか。

「明日、逝くと分かっていれば」私は何が出来るのだろう、とも考える。
著名人の訃報の場合、殆どが数日経ったニュースとして取り扱われる。
とても前日には何も出来ない。
とはいえ私にも出来ることがあった。
慮ることだ。
BUCK-TICKの櫻井敦司さんの訃報に際し、彼のファンがSNSのフォロワーさんにいたので、その日は日常の愉快な書き込みはやめた。
SNSの書き込みで思い出したが、
今年は、りゅうちぇるも亡くなった。
これほど衝撃を受けたことはなかった。
自殺だったからだ。
知り合いでもないが、もう一度考える。
明日、逝くと分かっていれば、SNSを通じて何か出来る事はあったのではないか、と。
その現実は回避できたのではないかと、おこがましい事を思う。

最後に、ここに挙げた皆さまのご冥福を、お祈り申し上げます。

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