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「デザイン理論」と「愛」

前職では独学でデザイン理論やデザイン構成を勉強し、SNSやポスター、レストランのポップなど大小のものを作製し、販促もしていた。

デザイン界の端くれも端くれなので、ここからの内容は、偉そうに語るなと怒られるものではあるのだけれど。

前職から続いて、現会社でも大小のデザイン依頼を頂ける。ただ所属はデザイン部ではない。

先日、新しく入荷した地元のウイスキーの差し込みメニュー作成をデザイン部が依頼された。
社長の肝入りのウイスキーで、入荷より1週間程でデザインが出来上がると社長は踏んでいたが、色々な絡みで完成まで1ヶ月かかった。

最初に出したラフ案は、ウイスキー銘柄の表示が小さく左上に位置していた。社長は「目一杯大きくしなきゃ、お客さんにアピール出来ないよ?」と提案。デザイン部は社長案も作成し私に見せ、「どっちがいい??」と。

デザイン部のラフ案は、明らかにデザイン理論で構成されている。
社長案は、構成は崩れているけど親しみは感じる。

個人的には、デザイン理論で構成されている方が余白も活かしていて好きなのだが、見た目だけでいえば「どちらも正解、後はレストランに置いた時の見栄え」と伝え、社長にもメールでそう送信した。そして何だかんだで採用されたのは社長案だった。

それから数日後、社長はどうして自分の案の方が良いのか教えてくれた。
「売る気があるか、レストラン運営に愛着と思いがあるかどうかだよ」とのことだった。
ウイスキー銘柄の文字が小さければ、お客さんの目に入らない、結果どんなに差し込みメニューにしても売れない、思いがないから売れる様に作れないという考えだ。
デザイン理論で構成された方は、売る気がない様に感じる、愛着がないと感じるということだろうか。

化学的、心理的な効果で人を惹きつける「デザイン理論」が「愛」に負けた。
独学で読み漁ったデザインの本にはどこにもそんな事は書いていなかった。

デザイン理論は完璧とは思っていないが、もしかしたらあまりこだわり過ぎるのも良くないかも、と考え込んでいる。黄金比とか視覚的心理とか駆使しても「売りたい」という気持ちが現れている方が多少構成が崩れていても良いデザインになる場合もあるようだ。

もしかしたら、何かのCMにある
「そこに愛はあるんか?」は、
真理なのかもしれない。

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