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私達の意思はどこにあるのか?─『マインド・コントロール』

なぜ、あなたは、だまされやすいのか?
いまの時代、マインド・コントロールは、テロリストのような見るからに危険そうな集団の専売特許ではなく、親切な顔をして、いつのまにか懐に入り込んでくる。カルト集団やブラック企業のみならず、あらゆる組織が、この技術を援用している現代、氾濫する情報の海に呑みこまれないためにはどうすればいいのか。

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マインド・コントロールには、二つの側面がある。
まず著者はそう語る。
ひとつは分かりやすく、「洗脳」と一般的には呼ばれる操作だ。独裁政治や全体主義を筆頭として、カルト集団やブラック企業など思いのほか「洗脳」は身近に存在している。
もうひとつの側面はもっと身近だ。それはマーケティングにおけるマインド・コントロールだ。マインド・コントロールを用いれば同じ商品でも売り上げがとんと変わる。顧客の心をつかむことができるのだ。

「マインド・コントロール」という字面にはなんだかネガティブな印象を持ちがちだが、ナイフのような道具と同様、使い方を正せば、ポジティブな効果を与えることもできる。
しかし、そもそも「マインド・コントロール」とは何だろうか。
本書は、そんな「マインド・コントロール」を古今東西さまざまな事例を挙げながら解説していく。

アルカイダのテロリストにオウム真理教、霊感商法にパブロフの犬、フロイトにユング、ソ連やCIAの研究...
歴史上、洗脳や催眠などマインド・コントロールの研究や実践はそれが善か悪かは別として数多く行われてきた。原初をたどればシェークスピアの戯曲にもマインドコントロールの要素が見られるという。
人はなぜ騙され、操られるのか。そこには人間の意思に関する根源的な謎が存在しているようにも思える。

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ところで、本書の中で最も興味深かったのは、洗脳を洗脳として判断することの難しさだ。
本書では洗脳と認められる状況の法的な基準として、明確な違法行為があることや障害が認められることなどが挙げられている。

これを鑑みて、 最近読んだ小説「ホーリーアイアンメイデン」や「美亜羽へ贈る拳銃」を思い出してみる。

これらの作品には「人を幸せにする技術や能力」が登場する。こうしたものは見方が変われば「洗脳」の一種と言えるかもしれない。しかし、上記の基準に照らし合わされば「幸せになる」という点では、これらの技術や能力は違法ではないし誰も損害や障害を被っていない。ただ、それらの人びとの感情や人格は何かしらのかたちで、ある技術や能力によって偏向されている。つまり、偏向した状態をその人自身の意思と呼ぶのかどうか。そこに答えは存在していない(そしてこれらの作品はそうした問題を取り巻く状況を物語の題材としている)。
将来、「人の感情を制御する技術」が登場する時、「幸せになれば」、私たちの人格や感情は偏向されてもいいのだろうか。
その時、私たちの意思はどこにあるのか、私たちは何物にも縛られない積極的な主体性によって運命を選んでいくべきではないのか、そんな議論が起こるのだろうか。

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