私は現在(いま)、どこにいるのか─『妹島和世論 マキシマル・アーキテクチャーI』

建築界待望の若手レビュアー現わる !

建築のモダニズム、ポストモダニズムの流れを、突然「切断」するかのように現れた妹島和世。その発想の根底には「世界」と「私」の「亀裂」を丸ごと飲み込む姿勢があった。80年代生まれの気鋭が放つ新しい建築史の冒険。

「建築・都市レビュー叢書」第一弾

学生の時より『ねもは』での論考やブログなど色々と楽しませて頂いていた服部氏の本が遂に出た。数年前、twitterでちらっと単著が出るというのを見かけてずっと楽しみにしていた。

大学院生の時、授業で無理矢理まとめて発表した「初音ミクと建築」(http://hukukozy.exblog.jp/22233471/)の時も氏のブログを大いに参考にさせて頂いた。

さて、本についてだが本書は氏の修士論文『妹島和世の思想─家具から建築へ─』を下敷きにした骨太な内容になっている。研究者ではないと前置きはしているが、緻密な分析に基づいた論旨が展開されていて、とても読み応えがある。また、存命の作家について文章を書くというのはともすればかなり危険な行為ではあるのだが、それでもこういった本を出すというのはとてもすごいことだと思う。

色んな人に読んで欲しいと思うので細かい内容に触れることは避けるが、この本で一番共感できるのは氏の問題意識である。
著者とぼくではまたほぼ一回り程世代が違うのだが、それでも著者がこの本での目的のひとつとしている「私なりの建築史を書くこと」というのはとても共感できるし、自分もそれをしなければならないと感じている。
著者は自分の大学生時代に「SANAA風」が流行していて反発心を抱いていたと書いているが、その後の自分の学生時代ではもはや「SANAA風」という表現や思考上の「流行」すらなく、一体自分はなにを基盤に設計を考えればいいのか四苦八苦していた記憶がある(この本で言えば「私」を基盤にすればいいという話なのだが)。

設計課題のエスキスでレム・コールハースの「トラジェクトリー」などのワードを出せば「古い」と言われまともに取り合ってすらもらえなかった覚えがある。そんな状況の中ではもはや歴史や思想などの言葉は口に出すこともためらわれていた。しかし、世の建築を見ても一体自分の生きているこの時代は建築の歴史の中でどういった位置づけになるのだろうかという疑問は相も変わらず拭えなかったし、とうとうその疑問は1mmも解決することもなく卒業を迎えてしまった。

とまあそんな個人的な想いも相まって、こうした本が出たことは一筋の光明のように感じる。

この本の副題が「マキシマル・アーキテクチャー1」となっており、続編も既に書いている途中とのことなので、是非そちらも読みたい(この本が売れれば出る可能性が増えるそうです!)。そちらは作家論ではなく、また別の話題になるようなのでさらに楽しみだ。

『ねもは002』に掲載されていた「SANAA人間の誕生と変容」も併せて読むと、著者の妹島和世への多角的な視点での分析がさらに深みを持って感じられるのではないだろうか。是非是非建築系の方は読んでみてください。

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