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「おひとりさま」の都市─『ひとり空間の都市論』

同調圧力が高い日本の、おひとりさま。だが都市生活では、ひとりこそが正常だったはずだ。つながりやコミュニティへ世論が傾く今、ひとり空間の可能性を問直す。

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南後氏の単著,読了.面白かった.ざっくりと読書メモ.


導入はなんと『孤独のグルメ』から.

「ところで、『孤独のグルメ』の場面構成をパート別に分けた際、何か気づくことはなかっただろうか。そう、「食事」に関する描写と「都市」に関する描写が、ほぼ半々の割合を占めるのだ。都市を手厚く丹念に描写する『孤独のグルメ』は、漫画という媒体を通じた、すぐれた「都市論」にもなっている。ここでいう、すぐれた「都市論」とは、都市の建造環境、日常生活や行動様式などを対象化し、記述する方法を鮮やかに提示しているという意味においてである。」019頁

『孤独のグルメ』の主人公・井の頭は,作品内において常にさまざまな場所を放浪する「遊歩者」だ.彼は都市や街の中の些細なことに心の中でツッコミを入れつつ「グルメ」を求め放浪していく.

「第三の点に関しては、単身者男性である井の頭を、近代以降の都市と文芸に通底して見られる、個人の独自性を追求しながらも実存的不安を抱えた「ロマン主義的主体像」の系譜に連なるものとして位置づけることができる。それは都市の雑踏のなかで、匿名的な存在としてありながらも、私的な位置を確保する主体像であり、都市の路上における事象を、超越的な視点から観察、記述する主体像である。」022頁

「孤独」というと何かもの哀しげな響きを覚えるが,「孤独」は必要なものだ.建築家の槇文彦はエッセイ「ひとりのためのパブリックスペース」で都市における「孤独」の重要性を語っている.実際,氏の作品である『スパイラル』には「ひとり」になって都市を見つめるための椅子が用意されている.


なぜ孤独を考えるか?

昨今,「みんな」というキーワードや共創型のビジネスやサービスなど,ありとあらゆる場所で複数人で何かを考えたり行ったりすることが奨励されている.

しかし,「孤独」(「ひとり空間」)とは日本の都市では実は歴史的に求められていて,それが都市の風景を形づくってきた.本書はそのことを時系列的に解き明かしていく.

「では、都市にはどのような「ひとり空間」が存在し、そこではどのような振舞いが見られるのだろうか。なぜ都市において、人びとは「ひとり空間」を欲するのか。とくに日本の都市に「ひとり空間」が偏在している理由は何か。情報社会の進展と近年の「ひとり空間」の増殖は、どのような関係にあるのだろうか。」030頁


都市にはどんな「ひとり空間」があるのか?

たとえば,わかりやすい例を挙げると「個室ビデオ」.実はこうしたものは従来の日本社会が構造的に抱えていた状況によって登場したものだ.

「中根千枝は、明治期以降の日本社会は、家・学校・会社などの集団・組織の「ウチ」での一体感や帰属意識が強い分、集団・組織間の関係は希薄で互いにバラバラに存在していること、すなわち集団・組織の「ソト」に出ると個人は孤立性を高める傾向にあると指摘した(中根1967)。」139頁
「神島の議論が興味深いのは、独身者を含む単身者主義が、会社などの組織のみならず、日本の都市風景を形づくっていることを示唆している点にある。」141頁

家にも帰らず,風俗街をぶらぶらうろつく単身者を想像するとわかりやすいのだろうか.つまり,「個室ビデオ」などはある社会的なニーズへの応答としてこのようなプログラムが発生してくるのだ.

また日本独自の宿泊形態である「カプセルホテル」について考えてみると,なるほどカプセルホテルには以前まではほとんど男性用しかなかった.カプセルホテルなんてものは歴史上もっとも個室化(ひとり空間化)されたビルディングタイプであろう.

他にも漫画喫茶に公衆トイレなど挙げていけば大量に出てくる(最近ではひとり焼肉屋やひとりカラオケ屋なんてものも出てきているらしい).

歴史的に遡れば鴨長明の「方丈庵」も「ひとり空間」だ!


これからの「ひとり空間」とは?

しかし,現代はインターネットが浸透したことによって,カプセルホテルやネットカフェが浸透した時代とはまた前提が変わってくる.著者は今の時代の状況における「ひとり空間」について以下の7点を挙げる.

①常時接続社会の接続指向と切断指向
②パーソナライズする世界とパーソナライズされる世界
③仕切る空間から仕切られる空間へ
④匿名性・異質性の減退
⑤マッチング精度の向上
⑥検索不可能性の希求
⑦個人の複数性とスイッチング
⑧細かい時間単位の同時並行的なミクロ・コーディネーション
176頁

例えば,『孤独のグルメ』井の頭が行く先々で徒然なるままに飲食店へ入っていくのは「⑥検索不可能性の希求」と同調する.井の頭は事前情報を入れずにたまたま美味い食べ物にありつく「偶然性」を大切にしている.私たちは「食べログ」などを利用し事前情報を入れるために飲食店を検索するが,一方ではネット上にすら載っていない「秘密のお店」の存在を望んでいる.

また,近年ではシェアハウスと呼ばれる複数人が共有スペースを持つ生活スタイル(ビルディングタイプ)が浸透し始めているが,これは「⑤マッチング精度の向上」によって同じ趣味を持つもの同士,気の合う者同士のマッチングがしやすくなったことによる恩恵を受けている面もある.シェアハウスは繋がりつつも「ひとり」にもなれるということをひとつの建築の中で両立させている.

また,イーライ・パリサーの著書で言及された「フィルターバブル」によって私たちは知らないうちに「仕切られている」.

「SNSによってパーソナライズされる世界では、情報の「選択と排除」の主導権がメディア側にあり、自ら情報を「選択と排除」しているように見えて、フィルターという「見えない仕切り」によって「選択と排除」をさせられている。私が「ひとり空間」を仕切るのではなく、メディアによって「ひとり空間」が仕切られるようになったのだ。」181頁

こうしたいくつかの例を見ていくと,SNSやインターネットが普及した世界ではネットカフェの衝立のような物理的な「間仕切り」は消滅している

本書ではこうした状況に応答した変化として,飲食店におけるカウンター席の増加に触れている.そしてカウンター席では建築的操作によって「ひとり空間」が創造されている.

「このように、2010年代の「ひとり空間」の変化とは、単に間仕切りが消失したという単純な話にとどまるものではない。これらの空間では、椅子の角度や配置、テーブルの大きさや間隔、視線の交わりや店内の動線への配慮など建築的操作がなされている。」221頁

私たちはSNSやインターネットですでに仕切られている,だから物理世界では物理的な「間仕切り」がなくなった.ある社会的なコードの変化によって建築的操作のあり方が変わる.そう考えると「ひとり空間」のあり方が変わるということは都市のつくられ方に強い影響を与える.

都市における人のあり方に一石を投じてくれる書籍であった.


そういえば,先日発表されたトヨタのコンセプトカーは新しい「ひとり空間」と言えるのではないだろうか.きっとこれからも「ひとり空間」のあり方はちょっとずつ変わっていき,都市の風景も変わっていくのだろう.

トヨタの新しいコンセプトカー「e-Palette」がちょっと面白そう


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