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【前編】どんな売場に行っても大活躍!〜元セレクトショップ販売員「カニ」さん〜

こんにちは、フクコトバのRYOです!

私たちフクコトバが、実際にインタビューをさせて頂き「ぜひみなさんにご紹介したい!」と思った方をご紹介するシリーズ「〇〇さんのフクコトバ」です!

〜「〇〇さんのフクコトバ」とは〜
主に、ファッション関係のお仕事をされている(もしくはご経験された)方に対して、ファッションに興味を持ったルーツや、お仕事の内容等についてインタビューをさせて頂き、そのインタビュー内容を記事にして、ご紹介しています。
ファッションに興味のある方、ファッション関係の仕事に興味のある方は、なかな世間一般では聞けないお話がたくさんありますので、ぜひお楽しみ下さい!!

〜「フクコトバ」とは〜
私たちが、ファッション(衣服)には、「花言葉のように、言葉にならない想いを伝える役割がある」と思いつけたコトバです。
この記事では、ファッションに関わる方の「ファッションを通したコトバ(想い)」をお届けします!



今回は 元セレクトショップ販売員で、現在はWebデザイナーとしても活動されている「カニ」さんにインタビューをさせて頂きました。

幼少期からファッションがお好きで、社会人として就職してからもセレクトショップの販売員や店長としてご活躍をされて来ました。

そのセレクトショップでの販売や店長としてのご経験から、貴重なお話をたくさんお聞き出来ました!

また、実際のカニさんの素敵なお写真も載せさせて頂いておりますので、ぜひご覧ください!

それではどうぞ!!


*インタビュー実施
(2021年9月12日にzoomにて実施)

①幼少期から生粋のファッション好き

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*小学生時代からおしゃれなカニさん

フクコトバ「RYO」
こんにちは!
元セレクトショップ「カニ」さん
こんにちは!
フクコトバ「RYO」
まず、Manamissさんとnoteをキッカケに繋がって頂いていたんですよね!
元セレクトショップ「カニ」さん
そうなんですよ!
元々繋がってたんですけど、フクコトバさんの紹介記事でInstagramを知ったんですよね。
それで、フォローさせてもらったんですけど、ダイレクトメッセージまで頂いたんです。
フクコトバ「RYO」
そうだったんですね。すごい嬉しいです!
この紹介記事を書いている目的も、読者の皆さん同士でも繋がって頂けたらめっちゃ良いなっていう風に思っているのでありがとうございます。
Manamissさんからも連絡ありまして、すごいカニさんと繋がって嬉しいと仰られていました!
元セレクトショップ「カニ」さん
ホントに!良かった。
フクコトバ「RYO」
はい、ありがとうございます!
ManamissさんのInstagramのお写真本当にすごいですよね!
元セレクトショップ「カニ」さん
すごい素敵、めっちゃオシャレですよね!
フクコトバ「RYO」
ですよね。
始められて今ちょうど100日ぐらいになろうとしているので、まだそれくらいで、ご自分一人でずっとやられていて本当に凄いですよね。
元セレクトショップ「カニ」さん
とってもセンスありますよね!
フクコトバ「RYO」
本当にそうですよね!
フクコトバ「RYO」
では早速インタビューをさせて頂きたいのですが、今はwebデザインの学校に行かれてるということですよね?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうなんですよ。
フクコトバ「RYO」
元々はファッション関係のお仕事をされてたんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
はい、でもね、私ファッション関係の仕事は累計でも8年位なんです。
京都芸術短期大学を出てるんですが、そこのファッションデザインコースを卒業してまして、そこから20歳で卒業してから、27歳くらいまでアパレル業界にいて、一旦辞めるんですけど、また何ヶ月間とか1年くらいとか、またアパレルに戻ったりとかあったんですね。
フクコトバ「RYO」
なるほどですね。
その辺の経歴のところも順を追ってお話できたらなと思ってまして、京都芸術短期大学の方に洋服のお勉強をされに行かれたと思うのですが、ファッションに興味を持たれたキッカケはあったりしたのですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、私はちっちゃい頃から服が、着ることが大好きでした。
幼い頃から目立ちたがり屋だったし、なので「私から服取ったら何が残んのやろ?」っていうくらいに服が好きやったんですけど、すごい奈良の田舎だったので、そんなに服とかを見る所とかもなかったったんです。
でも、中学生ぐらいからはファッション通信とか見て、コレクションを見てすごい憧れてましたね。
フクコトバ「RYO」
へー、そうだったんですね!
中学校くらいだと周りの子達はこれから服に興味を持ち始めるかなっていう段階ですよね?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね。
服って言ってもモードに興味ある子なんか誰もいなかったですね。(笑)
フクコトバ「RYO」
そうですよね。だいぶ先を進んで行っていた感じですよね。(笑)
その時は雑誌を見られたり、お店とかも関西だと大阪の方まで出かけたりとかされてたんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
大阪とかもね、祖母が大阪に住んでたので大阪の方とかも行ったんですけど、そんなにしょっちゅう行く機会もないですし、今みたいに情報が入ってこないので、なかなか行けない部分もありました。
ただ、母方の祖母は服を作るのが上手でセーターとかを作ってもらったりとか、こういうの作ってって言ったら全部作ってくれる人だったんですよ。
今でもそのセーター着てるんですけど。(笑)
フクコトバ「RYO」
あー、いいですね、素敵ですね。
元セレクトショップ「カニ」さん
もうひとりの祖母は奈良の人なんですけど、そっちもすごい服が好きでお誕生日とクリスマスには必ず服をブティックに連れて行ってもらって買ってもらってたんですよ。
フクコトバ「RYO」
そうなんですね!
すごいですね、ではやっぱり祖母のお二人方からの影響が結構大きいんですかね?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね。
あとは母もすごく服好きだったので早い時期から割といいものを着せてもらってたとは思います。
スーパーで買ったような服は着てなかったというか、そういう百貨店ブランドみたいなところで買ってもらってたんですよ。
フクコトバ「RYO」
それはもう中学生の頃からですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、小学生の時は神戸のBEBEとかをよく好んで着せられてましたね。
フクコトバ「RYO」
素敵ですね、結構周囲と比べても目立っておられたんじゃないですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、派手だったと思いますよ。
昔の中学の時の体育祭の打ち上げの写真見ても、わたしは赤のジョッパーズパンツにショッキングピンクのスウェット着てるみたいな。(笑)
すごい格好してました。(笑)
フクコトバ「RYO」
それって周り子たちからは羨ましがられて、「お洋服の事もっと教えてよ」とか「一緒に買い物行こうよ」とか、そういうことはなかったんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そういうのは全然なくて、わたしは別世界の人みたいな感じ、全然違う感じの人ていう感じでしたね。(笑)



②毎日手帳に着て行った服を全部書いた学生時代

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*左は山にあるお墓にお参りに。
右は当時流行の金ボタンPコートにKENZOのニット。

フクコトバ「RYO」
そうなんですね。そのような小中高を過ごされて、実際に短大ではどういうことを学ばれたんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
短大ではね、色彩理論のことはもちろん、色彩関係からデッサンも、ヌードデッサンもしましたし、多岐にわたった勉強をしました。
あと、デザイン、パターン、縫製も、マーケティングの勉強もしました。
一通りしたと思います。
フクコトバ「RYO」
その時は作る側になりたいという想いがあったということですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
いや、作る側になりたいというよりは、ファッション好きだからファッションデザインコースに行きたいなというだけの希望でしたね。
将来、何の仕事がしたいということではなくて。
フクコトバ「RYO」
そうだったんですね。
元セレクトショップ「カニ」さん
あと、毎日手帳に着ていった服を全部書いてました。
バーッて、毎日同じ服にならないように。
フクコトバ「RYO」
すごいですね!
それってどのくらいのパターンですか?ほんとに365日ですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
はい、2年間くらいずっと書いてたと思います。
フクコトバ「RYO」
そうですか、すごいですね!
元セレクトショップ「カニ」さん
中学の時、塾通ってるときも毎日同じ服にならないように全部コーディネートとか考えて、組み合わせ考えたりしていました。
フクコトバ「RYO」
中学生の時もですか!
元セレクトショップ「カニ」さん
中学生の時もです。
フクコトバ「RYO」
それは自分で雑誌とかを見られながらコーディネートを学んで行かれたのですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
はい、服が好きだったんで!



③販売員をスタートし、23歳で最年少店長に抜擢!

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*京都芸術短期大学、ファッションデザインの卒業式。
ジャンポール・ゴルチエのスーツにコシノヒロコのコート、ジャマンピエッシュのストール。

フクコトバ「RYO」
すごいですね。
なるほど、そして京都芸術短期大学を卒業されて、アパレル関係への就職というのはブランドに入られる感じですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、私は本当はマーチャンダイザーになりたいと言ったんですけど、学校から紹介があったところは量販店だったので、なんか量販店が気が進まないなと思って蹴って、結局はオックスフォードというブランドですね。
トラディショナルな感じの、大阪の会社だったんですけど、そこの会社に販売員として、全国転勤できる人を求められてて、それで入社したんです。
けど、そこが入ってから知ったんですけどマイカルグループの傘下に入ってまして、私が入社する前に、なのでだいぶ上の役員の人が交代したりとか社長も交代してメンバーも入れ替わったりした状態だったんです。
フクコトバ「RYO」
もう入社されたときに、そういう状態だったということですね。
元セレクトショップ「カニ」さん
そうです。
なので、当時は上の人達は「潰れることはない」という感じでした。(笑)
フクコトバ「RYO」
そうなんですね。
そこで販売員としてずっと7,8年位やられたという感じですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そこでまず、関西に配属されてすぐに横浜店へ転勤の辞令が出て、その次半年後にオープニングで横須賀に行って、そして1年と経たないうちに北九州のお店を3月にオープンするからすぐ来てくれと頼まれて、、、、
という感じで、店行ったら突然花束を渡されて今日で終わりと言われたこともありました。(笑)
後任がいないので私しか行く人がいないような感じで、横浜、横須賀、九州と行きました。
九州も半年くらいで関西に戻ってきていいよと言われて戻ったんですけどね。
フクコトバ「RYO」
新規オープンを任されるってめちゃくちゃ優秀だったんですよね。
元セレクトショップ「カニ」さん
そんなことはないと思います。
人がいなかったというのと、怖いもの知らずだったというところがあると思うんですけど、マイカルグループがバックアップにいるので資金力はすごくあったので、通年で売上を3倍するとか言って信じられないくらい出店ラッシュだったんですよ。
新規ビルのオープンにバーッと入っていたんですけど。
フクコトバ「RYO」
なるほどですね。そこで本当にお忙しくお働きになられたと思うのですが、エピソードとして楽しかったり嬉しかったみたいな事ってあったりしますか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、関東は当時はすごい関西弁ブームで、私がお客様に声掛けるだけで「関西の人ですか?」って振り向かれて話が盛り上がって、後で店長から「あの人と知り合いだったの?」と聞かれるくらい、もう友達だったかのように喋ったりしてましたね。
フクコトバ「RYO」
えー、関西弁ブームっていうのは、テレビとかのキッカケでそういう事になったんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
多分そうだと思います!
ダウンタウンが東京に出て来た時で、すごいブームだったんです。
フクコトバ「RYO」
関西人からするといい時代ですよね。(笑)
元セレクトショップ「カニ」さん
そうそう!(笑)
25年くらい前の話ですけどね。
フクコトバ「RYO」
お客様とのお話もお好きな方だったんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね。よく盛り上がってました。
特に印象的だったのが、正社員で入社するのは4月だったんですが、「冬頃からアルバイトで店に入って欲しい」と会社から言われて入っていたんですが、初めて店に立った時にすごく服が売れたんです。何も知らないのに。
ブランドが良いお客さんをたくさん持っていたと言うのもあると思うんですけど、そこで「売れるんだ!」と思いました。
当時は、「売ろう!」とは思っていなかったんので。
フクコトバ「RYO」
なるほどですね、でもその姿勢が逆にすごく良かったと言うことなんですかね?
元セレクトショップ「カニ」さん
多分そうだと思います。
フクコトバ「RYO」
お話しするのがすごく楽しくで、「じゃあ、カニさんから買いたい」と言うお客さんが多かったんですかね。
じゃあ、本当に出だし順調な社会人の一歩目だったんですね。
元セレクトショップ「カニ」さん
私は販売員をしたいとは全然思っていなかったんですけど、「天職や!」と思うくらい、面白かったですね。
フクコトバ「RYO」
学生時代もアルバイト等で、アパレル関係はやられていなかったんですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
はい、もう全然してないです。
色々と転勤もしたんですけど、最終的には当時全国一位の売り上げのなんばシティ店の店長を最年少の23歳でしたんですね。
フクコトバ「RYO」
えー!それは本当にすごいですね!!
元セレクトショップ「カニ」さん
その年に結婚もして先行き明るいと思ってた矢先、新婚旅行から帰ってきたら会社が半年後に解散すると告げられたんですよ。


④転職後も大活躍!

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*横浜店時代。新入社員一年目。

大抜擢でしていたんですけど、その後会社がマイカルグループから切られてしまったんです。
まだマイカルグループが倒産する前だったんですけど、当時私の会社も組合とかを作っていたので、最後まで次の就職先も斡旋して面倒を見てもらったんです。
それで、結局はオンワード樫山に店長として行くことになりました。
フクコトバ「RYO」
オックスフォードで店長をやられていた期間というのはどのくらいだったのでしょうか?
元セレクトショップ「カニ」さん
1年ちょっとで店長になったので、約2年間やっていたと思います。
フクコトバ「RYO」
すごいですね。それって年上の方とかも部下になられたりするんですかね。
元セレクトショップ「カニ」さん
おられましたね。
フクコトバ「RYO」
その辺りの難しさはありましたか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね。難しかったと思いますね。
逆に、すごく年齢が離れていたら上手くやれていたんですけど。
フクコトバ「RYO」
なるほど。次のオンワード樫山も店長として行かれたんですよね?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうなんですよ。天王寺店のオープニング店長でした。
当時はよく知らなかったんですが、オンワード樫山の直営店はだいたい百貨店に入っていて、ファッションビルに入っているのは他の会社の運営なんですよ。フランチャイズみたいな感じですね。
なので樫山が直接的に営業している店舗がない中で、直営店のスタッフを揃えて肝いりでオープンさせたブランドだったんです。
フクコトバ「RYO」
それはかなりの重役ですよね。
結果的にどのような感じになったんでしょうか?
元セレクトショップ「カニ」さん
結果としてはスタッフとも上手くいって、そのまた上の仕事もしてほしいということで、東京とかの展示会に連れて行ってもらったりだとかしていたんですけど、営業の方と私が合わなくて(苦笑)
はじめ人事の人には、「樫山は百貨店がほとんどの売上げを取っているから百貨店に入ったほうがいいよ」と言われていたんです。
だけど、私はファッションビルでほとんどを経験を積んでいたので、そちらへ行きたいとワガママを言ってそのポストをあてがわれたんです。
フクコトバ「RYO」
なるほど、そうでしたか。
元セレクトショップ「カニ」さん
でもぶっちゃけた話をすると、樫山の中では百貨店がエリートでそれ以外のところはあんまりというところがあって、やっぱり売上のパイがぜんぜん違ったんです。
その違いもあって営業さんと全然合わなくて、もう会社を辞めようかなと思ってたんです。
それを人事に伝えたら、課長、部長、人事とありとあらゆる人が飛んできまして、課長と部長は同じファッションビルのテリトリーで私を動かそうとしてたんですけど、人事の人は「他の言う人のことは聞かなくていいから百貨店の方を経験しに来たら?」と言ってくれて。
それで店長ではなかったんですが、樫山の中の23区Lサイズのなんば高島屋で半年間働きました。
当時は売上が絶頂の時だったので、めちゃくちゃ忙しかったんですよ。
オックスフォードの2倍の売り上げで、私と同じ売上の人が3人という少数精鋭体制でした。売れない品番がなくて、全部売れていって。
フクコトバ「RYO」
すごいですね。全ラインナップがですか!
元セレクトショップ「カニ」さん
当時の企画チームの企画力がすごくて、とにかくよく売れてました。
百貨店はよく優待セールをするんですけど、当時樫山は参加していなくてそれでもフロアで1番の売上でしたね。
フクコトバ「RYO」
本当に理想的なブランドですよね。値引きせずに安くせずに売れるという。
元セレクトショップ「カニ」さん
はじめは値引きされるブランド目当てに来ていたお客さんも、良いのがなくて値引きがなくても23区で買ってくださる方もいましたね。
それだけ商品自体がとても良いものだったと思います。
フクコトバ「RYO」
樫山全体の中でも特に売上の高いところにおられたということなんですね。3人で店舗を回されておられたらほとんどお休みがないんじゃないですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね。31日間出勤の月は9日間で30日間出勤の月は8日間とかそのような感じでしたね。
常に2人で。
フクコトバ「RYO」
そうなりますよね。大変ですよね。


⑤良い販売員とは??

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*北九州店時代に、門司港にて。

フクコトバ「RYO」
少し話が戻ってしまうのですが、人事や上司の方がカニさんを手元に置きたがっていたというお話の中で、カニさんが社内でもすごく求められる存在になっておられたと思うのですが、そのような存在になったのはご自身ではなぜだと思われますか?
元セレクトショップ「カニ」さん
自分ではそんなこと思ってませんでしたけどね(笑)
どこの会社もなかなか販売員で良い人材が見つからないみたいで、一度捕まえたら離したくないんですよね。
フクコトバ「RYO」
なるほど。
カニさん自身が思う良い販売員とはどういうタイプになりますか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、やっぱり適応能力でしょうね。
フクコトバ「RYO」
その店舗店舗で環境が違っても適応できるということ
ですか?
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、どんな場所でもどんな時でも適応できることだと思います。
どんなお客様が来てもですし、どんなスタッフとで働いてもですね。
やっぱり、適応能力が高い人が求められるかなと思います。

何が起こるかわかりませんからね。
フクコトバ「RYO」
地域によっても違いがあるし、人によっても違うということですよね。
元セレクトショップ「カニ」さん
それと、この業界は店長をできる人というのがすごく少ないんです。
結構、販売員歴が長くても「店長をしたくない」という方もいらっしゃるんです。
私は手をあげて「店長をしたい」と言ったくらいなので、そんな人は私の同期でも一人も居ませんでした。
フクコトバ「RYO」
販売員と店長では、もう全然職種が違いますもんね。
元セレクトショップ「カニ」さん
そうですね、私は結構貪欲だったので、給料ももう少し上げて欲しいというのもあったので、店長をして給料もあげたいなと向上心を持っていました。


ーーー中編へ続くーーーー


皆様、いかがだったでしょうか?

幼少期からご家庭の影響もあり、洋服がお好きだったカニさん。

就職をしてからも、どんな場所であっても大活躍をされて来ました。

その背景には、持ち前の適応力があったと思いますが、

私自身は今回インタビューでお話させて頂く中で、

とってもお話がお上手で、お話をするだけでなんだかこちらがワクワクして来ました。

そんな、カニさんの魅力があって、お客様も「カニさんとお話しながら買いたい!」と思われていたんじゃないかなと感じました。

さて、今回はロングインタビューとなっておりますので、前編・中編・後編と続きます。

この後も、とっても楽しいワクワクするお話がお聞き出来ましたので、ぜひお楽しみに!!

「カニさん」のSNSご紹介

■note
https://note.com/kaninohi

■Instagram
https://www.instagram.com/kaninohi_miho/

■noteヘッダー作成のご依頼はこちら
https://note.com/kaninohi/n/n25f83f4d2dbd

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「〇〇さんのフクコトバ〜他己紹介記事作成〜」について

ファッション関係のお仕事をされている方へ、私たちフクコトバが、インタビューをさせて頂き、「他己紹介記事」を書かせて頂くサービスを実施しております!!

ぜひ、興味のある方は応募フォームよりご応募ください!!

■インタビュー方法

オンライン、対面どちらでも可能。(対面の場合は、関東圏のみ)
詳しくは応募フォームにてご希望をお聞かせください。

■インタビュー内容
(大枠の質問です。お話の流れによって変更もあります。)
Q:どのような活動をされているのか?
Q:活動をするに至ったきっかけは?
Q:ファッションや衣服に興味を持った経緯や体験談
Q:ご自身や活動でアピールしたいこと

■費用
無料

■所要時間

約1時間程度

■応募フォーム
https://forms.gle/uTNdrPWB6YDG5kaS7

■お問い合わせ先
mail:fukukotoba00@gmail.com


その他の、「〇〇さんのフクコトバ」シリーズはこちら↓


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私たち「フクコトバ」の自己紹介記事↓

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