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【ポケモンおもしろさ考】ガラル地方見聞録②

・前回に引き続きやっていきたい。今回はバッジを3つゲットしてからのスタート。主観を通してガラル地方の見聞を楽しみつつ、ポケモンのおもしろさを探っていきたい。

※ここから先、ストーリー上のネタバレが含まれています。

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・ラテラルタウンには芸術的?な壁画が存在する。ポケモン世界にも文化遺産という概念が存在しており、観光名所にもなっている。町の人々みんなが遺産の価値を肯定的に見ていないところにもリアリティを感じるし、スリーリー上ではビート君が遺産を壊そうとするシーンすらある。人々の価値観と文化遺産を通して世界観を立体的に演出している。ポケモン世界に没入できる仕掛けの一つだ。

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・遺産を壊そうとしたビート君を叱り、ジムチャレンジ資格を剥奪するローズ委員長。ポケモン世界では主人公をはじめ、子供に対して全力でサポートしてくれる大人ばかりが登場するが、「ダメなことはダメ」という大人の厳しさを見せてくる一面も上手に混ぜ込まれている。肯定をベースに、ダメなところはダメと叱ってくれる世界を通して子供は成長していくのだと思う。ポケモン世界の教育コンテンツ力が現実社会よりも高い説。

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・ビート君は尊敬している委員長からの叱責に大きなショックを受ける。主人公は叱られることはないが、このようにビート君というキャラに自分を通して疑似的に「叱られ」を経験することができる。いわゆる反面教師とも言える。ポケモンのすごいところは、反面教師を反面教師で終わらせずに「反面教師が失敗を乗り越えて成長していく様子」を描いてくれるところだ。「敵」を「敵」で終わらせず、「昨日の敵は今日の友達」とする精神が根付く世界に現実世界の住人である我々は理想郷を見出し、ポケモンの世界観に安息をおぼえるのかもしれない。

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・このゲームは基本的に「やさしい」。メニュー画面を開けば、次のミッションが分かるようにと易しい設計がされている。ゲームレベルもサクサクで簡単だ。そして、言葉遣いや風景背景すべてが心にじんわり馴染む。世界観が「優しい」のだ。叱られるときは叱られたりもするが、それを含めて主人公の成長を世界全体で見守ってくれているという「優しさ」があちこちに感じとれる。そういう「やさしさ」がポケモンの「おもしろさ」に直結しているような気がする。

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・ポケモンを進めていく中での醍醐味として、町に暮らす住民との交流がある。ストーリーに直接関係はないが、アイテムをくれたり情報をくれたりする。子供に手紙を渡すように頼まれて、それを遠く離れた町に届けるというシーンもある。そうしたコミュニケーションを通して、主人公はポケモン世界の中で暮らす人と人を「媒介」している。つまり、個人として孤独に旅をしているのではなく、そこには様々な人々との関係性が存在する。見知らぬ場で見知らぬ人とコミュニケーションすることに億劫でも、ポケモンをプレイした後だと少し前向きになれる効果が生まれている感覚がある。

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・ポケモンはちょくちょく「教訓」を挟んでくる。相手プレイヤーが負けた時のコメントも、どこか考えさせられるようなメッセージを含んでいることがある。しかも、それは押しつけがましい感じが全くしない。例えばジムリーダーはアイデンティティが強いので、そのアイデンティティの強さ故の教訓を語ってくることが多いけれど、それがスッと入ってくる。それは事前に裏打ちされた世界観への没頭とゲーム自体の純然たる「楽しさ」があるからだと思っている。ジム戦では、それぞれタイプに応じたテーマや頭を使うギミックが仕組まれていて楽しい。その楽しさのままに教訓が語られても、鼻につくようなことがない。

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・今回は、ジムバッジ3つ目~6つ目までのハイライトをキャプション式にまとめてみた。パーティは順調に進化し、御三家は無事に最終進化まで辿り着いた。相棒と肩を組みつつ、準レギュラーのポケモンをコロコロと変えていく楽しさもある。捕まえても捕まえても使ってみたいポケモンが多くて困る。早く全クリして捕獲タイムと育成タイムをたっぷり確保したい欲が高まっていく。それはそうと、ポケモンストーリー後半にストーリー前半の道路で無視したトレーナーに出逢うと、えげつないレベルでフルボッコしてしまうのが申し訳ない。そんな感じの現状。続く。

(以下、投げ銭おまけコーナーの追加考察。
「ポケジョブという名の世知辛い労働派遣制度」
「温泉文化から見るポケモン世界の民俗学」
「現実でもやめてほしいポプラ戦クイズ」

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