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アイデンティティ崩壊した図書館の末路

よくビールの新商品PRで「ふだんビールを飲まない方や、苦手な方にも楽しんでいただけるよう、ビール独特の香りや苦みを抑え、すっきりと飲みやすく仕上げました!」と謳っていることがあります。

私などはビール好きで、それもベルギービールのような個性的で味の濃いビールが大好きなので「だったらビールなんか飲むなよ!そんなにすっきりがいいなら水を飲め!」とつい思ってしまいます。
実際に飲んでみても、どうもビールとしてもビールでない飲み物としても今ひとつで、結局定番化しないことが多いですし、ビール会社はビールしか売ってはいけないわけではないので、チューハイなり他の商品開発に注力すればいいはずなのですが、なぜかこの手の商品は後を絶ちません。

でもこれって人間で言えば、「私のことが好きでない人にも愛されるよう、私らしさを抑えてみました♡」みたいなものではないでしょうか。たとえそれでモテるようになったとしても、幸せになれるのかとても心配です。

私の属する図書館業界でも似たようなことはあります。ふだん図書館を利用しない層を取り込もうとするあまり迷走気味になり、「それってつまり『本が飾ってあるカフェ』だよね?だったらもうカフェでよくない?」とか「それは公民館でやればいいのでは?」とか言いたくなるような構想になりがちです。

おもしろいのは、そうやって鳴り物入りでオープンした最先端の図書館が、開館後数年が経って普通の図書館らしい図書館に回帰している、という報告が最近寄せられていることです。
シンボルだったおしゃれな仮想書架は普通の貸出できるリアル書架に浸食され、とくに観光客が増えるでもなく、普通に予約本を取りに来る人や閲覧席で勉強する学生や新聞を読むお年寄りがいるだけ、でもそれなりに賑わっているという。
デザイナーさんとしては心外かもしれませんが、利用者のニーズはそこにあったということでしょう。スペースがあるなら借りられる本を一冊でも多く置いてほしいでしょうし、現場の図書館員も実用性に寄せていけばそうなるしかありません。

業界を問わず「ふだん利用しない層を取り込みたい」という気持ちはわかります。問題点の改善や、新しい画期的な取り組みも必要です。
ただ「資料を収集し、整理保存し、広く提供する」という図書館の根幹を否定する人にまで迎合していたら、なんのために存在しているかわからなくなってしまいます。

結局「私らしさを抑えてみました」という戦略はあまり得策ではなく、自分らしさを愛してくれる人を大切にしたほうがいい、ということのようです。


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