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DV加害者を檻に入れる、という提案

今回おすすめする本はこちら

いわゆる「毒親」だけでなく、パートナーやストーカーも含む加害者から逃れて安全に暮らすための本です。
法的手段や行政手続き、生活上の注意がマニュアル化されています。「こんな本があったらいいのに」をまさに具現化したようなドンピシャの内容です。
誰でもいつ「身内から身を守る」必要に迫られるかわからないので、今現在被害に苦しむ人や支援にあたる人だけでなく、すべての人におすすめと言えます。

ただ一方で、読めば読むほど「どうして加害者が自由にうろつき回っていて、被害者がこれほどのテクニックを駆使して逃げ回ったり施設に閉じ込められなければならないのか?」という疑問が膨らむことも事実です。

現状は、猛獣がうろつき回って人間が檻に入るようなものです。

報道を見る限りでは、最近は通報により加害者が逮捕されるケースもあるようですが、実刑に至ることはめったにないでしょうし、短期間で釈放された後、被害者の安全がかえって心配です。

そこで、加害者を檻に入れるシステムを考えてみました

まず「抗暴力センター」のような加害者専用施設をつくり、加害者を収容します。これは刑務所ではなく寮のようなもので、刑罰ではなく更生を目的とした矯正施設ですので監禁されるわけではなく、仕事に就いているならそこから通勤し、届け出れば旅行もできます。ただし常に所在を明らかにする必要があり、行方をくらましたり被害者に接近すると通報されます。
加害者には自身の暴力性と向き合う抗暴力プログラムの受講を義務付けます。資産と収入はいったん差し押さえられ、寮費や子どもの養育費や被害者への慰謝料を天引きしたうえで渡されます。

この制度のメリット

最大のメリットは、被害者への劇的な支援効果です。
本をおすすめしておいてなんですが、被害者が逃げるためのマニュアルなど必要なくなります。加害者が檻に入っていれば自宅にそのまま住んでいてもいいですし、引っ越し先を探すなり職に就くなりの自立支援も余裕を持ってできます。現状では着の身着のまま逃げたものの進学や就職にも支障をきたし、結果貧困に陥ってしまう例が後を絶ちません。
加害者に仕事を続けさせるのもポイントです。加害者によって生計を維持されていた場合、逮捕によって生活できなくなることを恐れて告発をためらう可能性があるからです。
また、被害者側が家族としての縁を完全に絶ってしまうことを望まないケースもありますが、その場合はいつでも面会に来ることができます。加害者の気分に振り回されるのではなく、動物園にライオンを見に行く感覚で気が向いたら檻に入った加害者に会えばいいという、今まで無力感に苛まれていた被害者が自分で状況をコントロールできる側に立つことになり、精神的な立ち直り効果が期待できます。

加害者にもメリットがあります。これはある意味で「暴力への依存という病理を抱えた人を暴力への誘惑から保護する」制度でもあります。アルコール依存症の人を酒から遠ざけるようなものです。自分より弱いものと同居しなければ、暴力の誘惑にさらされずに済みます。たとえ被害者がうまく逃げられたとしても、加害者自身が変わらない限り、別の人と再婚して暴行するとか、もう一人子どもをつくって虐待するとか、再犯の可能性が否定できません。早い段階で反省と改善の機会が与えられれば、取り返しのつかないほど家族関係が破壊される前にやり直せるかもしれません。

想定される問題点への回答

「冤罪だったらどうする?嘘の被害を申し立てる家族もいるぞ!」

これについては、そもそもすべての犯罪は冤罪の可能性がつきまとうわけで、だからといって殺人や強盗でも刑務所に入れるな、ということにはなりませんよね。
もちろん冤罪をなくすために最大の努力をすることは当然で、科学的論理的に真実を明らかにしたうえで、処罰すべき者を厳正に処罰する以外にありません。
むしろDVや児童虐待については特定の容疑者が特定の場所で加害行為を繰り返すわけで、とくに被害者が意思決定能力のある年齢であれば、物的証拠を押さえるのは比較的容易ではないでしょうか。隠しカメラやマイクを渡して仕込んでもらえばいいですし、なんならドアの外に張り込み、通報があった瞬間に踏みこんで現行犯逮捕することもできます。現状そうならないのは、警察がそこまで真剣に捜査してくれないからでしょう。

「大量の施設が必要だけど、税金でそこまでする必要あるの?」

これについては、そのかわり児童養護施設やシェルターの費用が抑えられるわけですし、今後逮捕者が増えればどのみち普通の刑務所では収容しきれなくなります。被害者が困窮したり心身を病んでしまう社会的損失も考えれば、充分投資する価値はあります。
加害者に経済力があれば寮費は自己負担ですし、なければ生活保護などを受給しますから、まとめて施設に入れたほうが安上がりかもしれません。

暴力を可視化する

加害者の多くは外面が良く、表では成功した経営者であったり人望ある先生であったり頼れる上司であったり、という例も少なくないと言われています。
裏の顔を知っているのは被害者だけで、人知れず苦しみ、陰に隠れて生きなければなりません。
各地に点在する抗暴力センターの存在は、同じ社会に暴力に苦しむ人々がいる現実を私たちに突きつけます。
当然、身近な人が抗暴力センターから通勤している事実を知ることもありえます。それを知ってどう受け止めるかは人それぞれでしょうが、これまで隠されていたものが明るみに出ることは確かです。

武田泰淳の『ひかりごけ』という小説があります。
食人を犯して裁かれる被告の首のうしろに光の輪が現れる、というとても怖いお話なのですが、もし暴力で人を支配したことのある者の首のうしろに光の輪が現れるなら、私たちの社会はどう見えるだろう、と考えることがあります。
楽しく一家団欒しているうちの、壁一枚を隔てて子どもが殴られているかもしれない。
職場では有能で人当たりの良い社員が、帰って家族を虐待しているかもしれない。
ただ、見えないのです。弱者の苦しみには光が当たらず、闇に葬られるだけです。
加害者を檻に入れて可視化することが、暴力に抗するひとつの手段となるでしょうか。




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