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さくらももこさんと飲尿 - 健康とは信仰である -

今回はすこーし綺麗でない (というか汚い) 内容を含みます。先に謝っておきます。でもなかなかの衝撃だったので書かずにはいられないのです。

飲尿の衝撃

さくらももこさんの『さるのこしかけ』というエッセイに「飲尿をしている私」というエピソードがある。さくらももこさんと言えば、「ちびまる子ちゃん」の作者だ。あの可愛いキャラクター達とクスッと笑ってしまうギャグで多くの日本人をほっこりさせてきた漫画・アニメの生みの親である。

飲尿が体にいいと噂になってからもう二年余りが経っている。

さくらももこ『さるのこしかけ

文庫本で5ページほどのショートエッセイは、この短い文章から始まる。あのとっても可愛い「ちびまる子ちゃん」の作者が書き始める文章としてはなんだか似つかわしくないじゃないか。なんだかこの時点で不吉な予感がする。

健康にいいと聞いてか、どうやら以前にも飲尿という行為をしたことがあるらしい。その時には「自分のオシッコを飲むなら死んだほうがましだ」と思ったみたいだが、今度は夫がハマってしまい彼は飲尿による健康法的な本まで買ってきてしまう。

本によれば「とにかく何にでも効く」というようなことが、いろいろな実例と共に列挙されており、ものすごく説得力がある。これまで様々なインチキ商品にダマされてきた私であるが、飲尿なら万一インチキであったとしても被害額は0 (ゼロ) 円である。効果がなかったらそれでもいいじゃないか、自分のオシッコではないか、飲もう飲もう、飲みさえすれば、いつかいいことがあるかもしれない、そう思ってまた飲んでみることにした。

さくらももこ『さるのこしかけ

こうしてさくらさんは飲尿の世界に再び戻ることに。ここまで読んだぼくのリアクションはというと「…え?まじ?」である。ただその軽妙な語り口に乗せられページをめくる手が止まらない。そこからというもの、飲尿をするコツや効果の程が綴られる。数日継続をした段階で早くも体調に大きな変化があったようだ。

こんなにさわやかでいいのかね、という気になり、体操なんかしてしまう。身も心も軽やかになりホップステップジャンプなどと口走ってしまう自分にハッとすることもしばしばだ。

さくらももこ『さるのこしかけ

そんなに体調が良くなるのなら「それはよかったね」で済ませそうなものだが、それでもやはり飲尿である。そう気にかかったのはどうやらぼくだけではなく、さくらさんの周りの友人もそうだったみたい。それでもさくらさんはもう飲尿を誉めてやまない。

これがウンコじゃなかっただけでもありがたいではないか。もし"食ウンコ療法"だったらかなり苦しいと思う。

さくらももこ『さるのこしかけ

いやいや、そういうことじゃないんだけど (笑) と突っ込んでしまうわけど、どうやらさくらさんはもう飲尿療法の敬虔な信者になっているみたいだ。このエッセイはこう結んで終わる。

興味のある人はぜひやっていただききたい。みんな身も心も軽やかになり、ホップステップジャンプと口走ってほしいものである。

さくらももこ『さるのこしかけ

健康とは信仰である

これを読み終えた時の衝撃と言ったらなかった。ぼくはこの本を読んだ時はベッドの中にいた。暗がりの中ランプを点けて「寝る前にちょっと本読むか」と寝ぼけ眼 (まなこ) で手に取り読み始めた。ただページをめくる度に「…え?まじ?」となり、読み終えた時にはあまりにビックリして起き上がってしまったぐらいだ。

「ちびまる子ちゃん」も「コジコジ」もオシッコにまみれた手で描かれていたのか…。もちろんそんなことはないはずだけれど、それでもぼくは少なからずショックを受けた。飲尿健康法というもの自体は昔からあるようで、知っている人、もしくは今も実践している人だっていることだろう。それ自体を否定したい訳では決してない。ただぼくの場合は少なくとも、その健康法を実践している人というのが周りにいなかったこともあって、ただただ驚いてしまった。このエッセイを読んでいたときですら「きっとギャグとして書かれていて最後にはオチがあるはず」と思っていたぐらいだ。

ただ、今こうして少し時間をおいた上で"健康法"というものについて今一度考えてみる。

ぼくらは"健康"というものに夢中だ。食べるものにこだわり、継続的な運動を心がけようとする。「ブルーベリーが目にいいよ」と聞けばブルーベリーを買い求め、「コーヒーはストレスを軽減して体にいいぞ」と聞けば途端にコーヒーを一日三杯飲んだりする人も。「肉食なんてもう野蛮だからベジタリアンにならなきゃ」といった主張まで耳にするぐらいだ (これは極端な例かもしれないけれど)。運動だってそうだ。ヨガ、ピラティス、ジョギングなどなど。様式は人ぞれであれ、体を定期的に動かしてメンテナンスする、あるいは鍛え上げることを好む。そういうぼくだって「仕事の集中力を高めるためには走ったりストレッチしたりしなきゃね」的な文章を書いたばっかりだった。

これらの根底にあるのは"これをすればきっと健康になる"という信仰心だ。

科学の反証可能性

そうした食事や運動の習慣を否定したいわけでは決してない。自分だって出来るだけ毎日ストレッチをしようと心がけ、その効果のほどを実感しているしこれからも継続したいなと思っている。だけれども (自戒の念も込めて) そういった健康法の効果についてはあくまで「効果があると"信じている"」と受け止めることが賢明だろう。なぜだか分からないけれど、それを改めて言いたくなった。言い方を変えれば「科学的に効果が証明されているから絶対に正しい」と主張するのは避けたいものだ、ということになるかもしれない。

「そりゃそうだ」という反応が返ってくるかもしれない。けれど、今も昔もまだまだそういう"健康の押し売り"って多いと思いませんか?テレビの情報番組はもちろんのこと、人気のYou Tubeチャンネルでも「そこまで断定して言っちゃって大丈夫?」といぶかしく思ってしまうものも少なくない気がする。さくらももこさんの飲尿の話を読んでそんなことを思った。

でも。どんなに健康にいいと思っているものでも、そしてそれが「科学的に証明されている」とか「立派な研究者がお勧めしている」といったお墨付きがあったとしても、覆されちゃうことっていっぱいあるんじゃないかと思う。例えば「お酒が体にいい or 悪い」というのも時代と共にその主張は行ったり来たりしているように見えるし、その結論も出ているとは言えないはずだと思う。玄米もいい例かもしれない。「玄米が健康にいい」という話も勢いよく世の中に広まった後「ひょっとすると健康に悪いかもよ?」という主張を耳にするようになった。「100%この健康法が正しい!」とはやっぱり言えないものなんだと思う。

山口周さんという方が書いた本『武器になる哲学』でこの話にちょっと関連する部分があったので引用したい。

科学とは何か?この問いについては様々な答えを出していますが、イギリスの科学者であるカール・ポパーは「反証可能性」をその条件として指摘しています。反証可能性というのは「提案されている命題や仮説が、実験や観察によって反証される可能性があること」という意味です。要するに「あとでひっくり返される余地があるかないか」という条件と考えてもらえればいいでしょう。

山口周 『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

そうそう。"これをすればきっと健康になる"というのもあくまで仮説であって後できっちりひっくり返されてしまうかもしれない。それが本当の意味で科学的である限り。「屈強なカラダを作るぞ!」と息巻いてジョギングを習慣化し、実際にその継続によって健康を肌で感じている人だって、後々になってその習慣が原因で病気になってしまう可能性だってなくはないのだ。それはとっても悲しいことだけれど。

でも「ぼくらはそういう世界で生きいているのだな」と受け止める。そうすると「"健康"という善を信じて行動し、あるものは報われ、あるものは欺かれる」という意味においてすべての人は等しい。そんなことに気付く。

だからこそ、さくらももこさんの飲尿の話はぜんぜん笑ってはいけないし、人ごとではなかったりするのだ。

夜景がとっても綺麗

今日はそんなところかな。今夜はイカの夜釣りの偵察に桟橋へ。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!


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