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東大にだけは行きたくなかった - さかなクンのエッセイと

こう、なんか頭をレンガでぶん殴られるような。そんな衝撃をもらえるような本に出会いたかった。

最近の生活に刺激が欠けていたということも一因しているのだろう。ともあれ、なにか新しいストーリーや考え方に出逢えないかものかなと思案しながらAmazonでぽちぽちと本を探す。土曜日の昼下がり。行きつけのカフェでカプチーノをすすりながら探していると「お?」と思う本に巡り合った。それがこちら。さかなクンのエッセイ。

さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!

もんんのすっごい面白かった。ほんとすギョかったとしか言いようがない。

この本はさかなクンという一人の"天才"の偉人伝と言っていいと思う。好きになると一直線にひた走る少年が、お絵描きにハマり、そこから派生して姿形が奇妙という理由でタコに惹かれ、描くだけでなく生きているタコを獲ったり飼ったりと試みる。タコをきっかけに魚の世界にどっぷりハマった少年は、サカナ図鑑を片っ端から読み漁り地元のお魚屋さんに足繁く通うようになる。週末は江ノ島の水族館に入り浸ったり、友達を連れて釣りに出かけたりとまさに「サカナ、サカナ、サカナー♪」な日々。ただサカナを食べたからといって頭が良くなるわけでもないところが社会の厳しいところで ("おさかな天国"の歌を知っていないと良く分からないギャグですよね、すみません笑)、 勉強は相変わらず大の苦手 。それでもおサカナの知識なら負けない少年は、小学校に張り出す新聞でウマヅラハギやダイナキンボというおもしろいおサカナを紹介して先生や友達に絶賛される。この「サカナを通して人を喜ばせる」という経験が彼の人生に計り知れない影響を及ぼすことになる。その後もカブトガニを学校で飼ったりカワハギの剥製を作ったりとサカナ三昧な日々を送りながら、紆余曲折を経てハコフグの帽子をトレードマークに「ギョギョ!」と発する今のさかなクンがいる。

さかなクンが天才だなーと思うのは、得意なことはひたすら得意で、苦手なことはとことん苦手なところである。そこのクセが強すぎるのだ。残念ながらさかなクンの場合、実社会で働くことにはぜんぜん向いてないみたい。お寿司屋さんや水族館でのお仕事も失敗ばかり。叱られてばっかりで長く続かない。一方でサカナの絵を描くのはとってもうまくて、お寿司屋さんの壁にかわいいサカナの絵を描くようになると、それが地元でも話題になりメディアにも取り上げられ、彼のその後のテレビ出演につながっていく。まさにどうにかこうにかしてサカナで一点突破していくわけだけど、そんな不器用な彼をサカナ好きなお友達、地元のお魚屋さんのお兄ちゃん、そして家族といったこころある周りの人が支えていく。とってもハートウォーミングでおかしくて、どんな人にも読んでほしい素晴らしいエッセイだった。


さかなクンのエッセイを一通り読み切った後に蘇ってきたのは、ぼく自身の少し苦い学生時代の記憶だった。

ぼくは神奈川県の横浜の近くにある浅野高等学校という中高一貫校に通っていた。いわゆる進学校というやつで毎年「東大が〇〇人合格した!」とか「早慶に〇〇人決まった!」という成果のために授業も学校組織も最適化されているような環境だった。もちろんバンド活動や部活(ぼくだったらバスケ)だったり、その他いろいろと思春期的な楽しいイベントもあったわけなので「勉強一色」といってしまうといささか語弊があるだろう。それでも勉強というものが先生、親、そして生徒の生活において軸にあったということまでは言っても差し支えないと思う。

そんな環境の中でぼくは勉強というものが結構好きだった。新しいことを学ぶことは、この世界を形作るルールを知って身体に取り組んでいくような感覚で、それが数学であれ英語であれ化学であれ、吸収していくことに心地よさというものを感じていた。そんな形で自然と勉強というものが生活に馴染んでいくにつれ、成績というものも自然とついてきた。ただそこには「おーテストで90点取ったぜ」といった感動よりも「代数でXとかYを使い始めた人ってすごいセンスあるよなー」とか「英単語の過去形ってぜんぶ-edで終わらないところが個性あっておもろいな」といった形の感動が上回っていたと思う。


忘れられない出来事

今はどうなっているかは知らないけれど、当時は中学3年生と高校1年生で「英数クラス」というものがあった。端的に言うと「英語と数学が得意な子を集めたクラス」なわけなんだけど、どういうわけかこのクラスに入ることが最難関の大学、そう東京大学に入る前哨戦みたいなところがあった。英語と数学が受験で鍵を握るし、その教科ができる子は大体他の科目もできたからなんだろう。「このクラスに入っておけば将来東大とかに行けちゃうでしょう」みたいな期待を親なり生徒なりが持っていた。それは東大を目指す親子にとってはある種の登竜門であったわけで、そのクラスに入り、そして残るために相応のプレッシャーと戦いながら勉強に励まなくちゃならない。

ぜんぜん目指していたわけでもないものの、勉強と丁度よく付き合っていたぼくも気づけばそのクラスの一員となっていた。中学3年目の学生生活。学ランを首元までピシッと閉めて黙々と教科書を覗き込む周りの生徒に囲まれながらの生活。まぁ息苦しかったというほかなかった。授業の合間の休憩中も教室のしーんとした空気の中で言葉も発さずにじっとしている生徒たちを見て「まだ中3でしょ?一体みんなどうしてそんなに深刻なのよ?そんな勉強がんばる必要ある?」と首を傾げることも少なくなかったわけで。そんなある日、忘れもしない出来事が起こる。

数学の中間テストだったと思う。左隣に座っていたNくんがテストが終わるや否や「やべーshiんだー!」と騒ぎ出した。テスト中からなんだかバタバタと書いたり消したりしているなーというのは肩越しに気になっていたものの、どうやらうまくいかなかったらしい。「どうしよーーー30点もいかないよーーー、、、」とわめいている。周りの子が白い目で彼を見つめる中「まあ、大丈夫よ。そういう時ほどいい点取れるって」と、ぼくはまあ本当にテキトーに言葉をかけてその場はことなきを得た。

翌週。赤ペンがついた回答用紙が生徒のもとに戻ってくる。縦横一列に机が並んだよくある教室で、先生が解答用紙を一人づつ手渡していく。各々がドキドキしながらテスト用紙を手に取り「あー、、、」とか「おーやった!」とか声を漏らしながら席に戻っていく。そしてとうとうNくんの番。

Nくんは解答用紙の右上に書かれた点数を一瞥するやいなや、あろうことか爆笑し始めた。

「あっははは、なんだこれー。やっちゃったよー!!」

ほんとうに楽しそうにひとしきり笑った後、次第に彼の表情は曇っていき、鏡のような冷たさをまとった。かと思ったら23点と書かれた用紙をクシャクシャにしながら泣き始めた。

ぼくはその一部始終をぼんやりと眺めながら、教室の真ん中でわんわん泣き出した彼に戸惑った。人目もはばからずに泣き出した彼は声を絞らせるように言った。

「もう英数クラスに残れないかもしれない」

ぼくはその言葉を聞いて暗澹たる気持ちになった。確かに翌年にその選抜クラスに残れるかは中3のテストの成績次第なのは事実だった。ただ彼の失望は、そのクラスに残れるかといった問題をはるかに通り越していたことは明白だった。

そんなNくんを白い目で見つめる先生も生徒。彼らはいつだって東大に行けるかということを気にかけて、いつだってそのことについて口にしていた。直近で東大に合格したエースの学生がどれだけ優れた生徒だったかを誇らしげにホームルームで語る担任の先生。高い授業料を払って進学校に通いながら、それに加えて塾まで通う生徒たち。それでいて彼らに「なんで東大に行くのが大事なのか」ということを聞くと、モゴモゴとしながら口をつぐむのが大半だった。もちろん立派な理由を持っている子もいたのだけれど、大多数の生徒が「オトナが東大に行けって言っているから」という理由であることを(意地悪くも)ぼくは見通していた。

ずーっとぼくのこころの奥底で感じていた違和感は静かに、されど確実に積もっていた。

なぜ行きたい大学じゃダメなんだろうか?

Nくんの事件があってからというものの、ぼくは「人はなんで勉強するんだろうか?」といった答えのない問題を考えるようになった。「そもそもいい大学に入ったりするためにするもんなんだっけ?」と。そして、オトナが言うことを盲目的に信じて東大を目指そうとする学生が不憫に思えて「東大にだけは行きたくないな」と思うようになった。とても偏った見方だし、今思えばティーンネージャーのちょっとした反抗だったのだろう。でも、ぼくは「進路ってなんだ?」から「自分の人生を生きるってどういうことなんだろう?」という大袈裟なことまで含めて、それなりの真剣さを持って考えていた。

それからというもの、ぼくは「自分が行きたい進学先は自分で決めよう」と思いたち、自分で調べて気に入った私立の大学に絞って受験勉強をするようになった。ぼくは英数クラスという選抜クラスには最後まで残ったわけだけど、その先の進学コースで東大を選ばないと告げるとその先に待っていたのは想像もしないような周りの反応だった。先生や親には「お前は妥協している!せっかく東大に行けるかもしれないのに!」と罵倒され、周りの友達は「お前大丈夫か?」と心配してくるだけじゃなく「あいつは落ちたな」なんて口にする輩も出てくる。17-8歳という多感な時期に周りが全員敵になるような体験は、とても孤独で堪えるものがあったというほかない。「大学とか進路先って自分が行きたいところに行くのがベストなんじゃないの?」という疑問を投げかけても聞く耳を持ってもらえなかった。

そのままぼくは希望の私立の大学だけを受けるといった形で押し切ったわけだけど、「自分が行きたい道を進もうとするのはこんなにも孤独なことなのか」ということを深く学んだ。ただ、今でも考え続けている問いがある。それは「なんで人は勉強するか」ということだ。

勉強をすることの意味

勉強をすることは本来は進路というものとは関係のないもののはずだ。綺麗事かもしれないけれど、そう思うことで垢まみれの勉強という概念を希望を持って捉え直すことができるんじゃないろうだろうか。勉強することを東大や有名大学に入るための手段として陥れ、「社会はこういうものだ」と子どもにプレッシャーをかけることはどうなんだろう。それでうまく回っている部分も当然あるだろうけれど、なんというか少なくとも「楽しい考え方」ではないよなと思う。勉強は手段じゃなくてそれ自体を目的として楽しむのが理想の姿…と言ってのけるのは理想的にすぎるかも。でもきっと真実だと願いたい。

ただこれからの時代はそんな勉強を純粋に楽しめる力が回り回ってキャリアを推し進めることにもなるんじゃないかと思う。

人生100年時代と言われて久しいわけだけど、これが意味するのはぼくらはずーっと学習というものを続けなくてはいけないということだと思う。リンダグラットンさんのこの本にも詳述されているけれど、多くの人が昔よりも長く生きるだけでなく、社会の変化が加速度的に増していていくこの世界を生きていかないといけない。以前のように学校を出て、就職して、同じ会社(もしくは業界)でずっと働いて65歳で定年して‥とシンプルなライフステージを登っていくというモデルは変化を余儀なくされるだろう。新しい時代で求められるスキルを見抜き、その都度必要なことを学習し、ということをしていかないと食っていくのも大変かもしれない。

その絶え間のない学習というものを力強く支えてくれるものがあるとしたら、学ぶことへの純粋なモチベーションというものなんじゃなかろうか。「なにかを学ぶ楽しさ」を知っていることが、なによりも自分を学習へと駆り立て、おもしろさを感じれる人ほど学習は進んでいくのだろう。勉強や学習というものは人生の友であることが大事だと思う。そこまでいかないにしろ、少なくとも勉強・学習というものが「タスク」や「重荷」になってしまうよりは随分とハッピーなことになるんじゃないだろうか。



となりの人の"好き"を支える勇気

冒頭のさかなクンのエッセイに戻る。とりわけ印象深かったエピソードの話。

当時小学生のさかなクンは地元の「柳川」という割烹料理屋さんの前を通った時に、お店の前の水槽で大好きなサカナである"ウマヅラハギ"を見つける。

「うわうわぁ❤︎ ウマヅラハギちゃんがいる!うれしい!!」ここのウマヅラハギなら譲ってくれるかもしれない!そう思って一目散で家へ帰ると、ただいまもそこそこに、お母さんに頼んでみました。

さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!

そうしてお母さんと共に柳川さんに向かうことに。思い切ってお店の暖簾をくぐり板前さんを見つけて叫ぶさかなクン。

あのー、表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください!

さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!

すると快く引き受けてくれた板前さんは厨房に消えていく。そして‥

「はい、いっちょ!」と威勢のいいかけ声とともに、お舟の形をした器を持ってやってきました。

さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!

さかなクンは一瞬「ん?」となった後に「ぎゃあ、ひええええええええ!」と泣き叫ぶ(その当時は「ギョギョ!」は開発されていない)。さかなクンが心待ちにしていたのはウマヅラハギをそのまま家に持って帰って水槽に入れることだった。要は飼ってみたかったのである。それなのにさかなクンの前に出てきたのは、切り刻まれて変わり果てた姿のウマヅラハギちゃんだったわけだ。板前さんは突然泣き出してしまったさかなクンを見て唖然としてしまう。このシーンを読んでぼくは爆笑したけれど、その後に続く、さかなクンを見守る母親の描写にはこころ打たれるところがあった。

(…) しばらくの間、涙を止めることはできませんでした。こういう時、母はいっしょにきてもいっさい口を出してきません。お店にお願いするときも、ぜんぶ自分でやるのです。母はただ後ろで見守ってくれているだけ。失敗することのたいせつさを、身をもって学んでもらいたかったのかもしれません。

さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!

このエッセイの中で、母親がさかなクンのサカナへの興味をただただ受け入れ、そして一緒に経験をしながら応援していくシーンがたくさん描かれている。「勉強しなさい!」の代わりに「サカナが好きならとことんやりなさい!」と後押しする母の姿勢は徹底している。畳部屋でサカナをたくさん飼うために水槽を置いてたら漏れた水で畳が腐ってしまう。それを前にしても「ちょっとサカナ飼いすぎじゃない?」とか言わない。サカナ好きのまま成人になり定職になかなかつけないさかなクンに対して親戚から「ちょっと甘いんじゃないか?」と小言を言われようとも、ただひたすら信じて応援する。

さかなクンは明らかに類まれな才能を持っているケースだと思うから、この母親のスタイルがどんな家庭でも適用されるべきとまでは思わない。子どもの性格に合わせたいろんな形があっていいと思う。

ただ自分の学生時代の経験も踏まえて、人が学ぶときに、そしてそれをとりわけ楽しんでいるときに、少なくとも静かに見守ったり背中を押してあげれるような人でありたいなと考える今日この頃。ぼくらは勉強という楽しさをオトナから奪われない努力をし続けないといけないんだろうなと思う。大人になっても。

そんなところかな。いろいろ書いたけど、母校やその当時の友達に対するネガティブな感情は一切ないっす!ただただそんなこともあったという話で。

今日はこれからシアトルにあるTHE MOORE THEATERという100年も歴史のある劇場でジャズを観に行ってきます。ワクワク。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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