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暗いやつとしか言われないんだが。

新宿の喫茶店でバイトをしていたことがある。新宿の南口から坂を降りてすぐのところにあるそのカフェで、ぼくは人生初のアルバイトをした。長い長い受験生活を終えて、こころとからだは”大学生っぽいこと”をやることに飢えていた。「あー大学生っぽいことして〜っ!!」となったぼくは大学から程近かったそのカフェを見つけ出して早速バイト生活を始めたわけだ。

そのカフェはちょっとした大人の隠れ家といったところだった。薄暗い室内ではオレンジ色のライトが気だるく灯っていた。テーブルや椅子もベージュ色や薄いブラウンで統一されていて落ち着いている。耳を澄ませばやっと聴こえるような音量で1940-60年代のモダンジャズが流れていた。お客さんは頼まれた訳でもないのにどこかヒソヒソと声を潜めて会話をしていた。会ってはならない人と、話してはならない話をする。そんな大人のあれこれがよく似合うカフェだった。

店長のことはすぐに思い出せる。齢にして40過ぎぐらいの男性。いつもオールバックが決まっていてその真っ黒な髪はギラギラと光沢を放っていた。銀色の薄い縁のメガネの奥にはギョロっとした瞳がこちらを睨んでいる。口は大きく裂けており行儀よく整列した白い歯に時々鈍く光る銀歯が混じっている。細みの黒いパンツに白シャツ、その上には時代錯誤なんじゃないかと思ってしまうようなジジくさい黒いベストを纏っていた。”昔ながらの喫茶店の店長です”というようなスタイルで通したかったらしい。

彼は元々ヤ○ザだったそうだ。右手の小指には銀色のカプセルのようなものをはめていて「なんだろう?」といつも思っていたけどその正体はすぐに判明した。彼は洗い物をしながら古き日に思いを馳せながらこう言った。「若い頃に抗争の果てに失ったんだわ」と。高校を出たばかりのぼくは「大人の世界は広いんだな」としみじみ感じたことを覚えている。

まあそれはともかくとして。ぼくはアルバイトの初日にこの元ヤ○ザの店長から手解きを受けることになる。

じゃあ福原くん、まずは挨拶の練習からしようか。お客さんが入ってきたら爽やかに「いらっしゃいませ」と言ってね。うちは大人向けのカフェだから、大声じゃなくていいからね。そしてスマイルを忘れずに。

そう静かに語りかけるように説明された。「そうか、分かったぞ」とすぐに要領を得たつもりで早速入り口で客を待つ。

「カラン、コロン、カラン」と鳴り(そんな音だったかは覚えてないが)、待望のお客さんが店内に足を踏み入れた。二人組の若いカップルだった。

ぼくはお腹にすっと力を入れて声を出した。もちろんスマイルも忘れずに。

いらっしゃいませっ!!

ちょっと力みすぎてしまった。まあでも爽やかさは充分あったはずだ。初めての挨拶にしては上出来だったんじゃなかろうか。そんな感慨を心の奥底で秘めながらぼくはそのカップルを席まで通した。

福原くん。

元ヤ○ザの店長が呼んでいる。さて、初めての出来はいかがだったかな。嬉々としながら店長の元へと駆けつける。すると無表情の顔からこんな言葉が放たれた。

最近親戚でも死んだのかな?

最初はほんと何を言っているのか分からなかった。それを察したのか、隣にいた女性のバイトの先輩が「もう少し元気出してもいいんじゃないかな?」と顔をひきつらせながらそう補足してくれた。どうやら「暗いよ」ってことらしい。

それにしてもなんちゅう怖いギャグ言うねん。

まあそれはともかくとして。う〜ん、自分では元気一杯、なんなら元気有り余っちゃったぐらいなんだけどな。おかしいな。

気を取り直して、と思っていたらすかさずまた「カラン、コロン、カラン」と鳴った。今度はジャケットを着た初老のおじさまがお店に入ってきた。

いらっしゃいませ。

ぼくは自然と、されどそれとなく暖かさも感じれるような爽やかなトーンでそう挨拶をした。まるで天気のいい早朝にベランダで吸う空気のように清々しかった。その「いらっしゃいませ。」には「わたしはあなたがこのお店を訪れたこと、なんならこの広い地球であなたにこうして出会えたことに喜びを感じています」というような純粋な喜びのニュアンスまで表現できたと思う。

ぼくは確かな手応えを感じながら店長の元へと戻った。するとまたあの無表情な顔がこちらを見つめているではないか。ため息まじりにこう言う。

ぜんぜんダメ。なんで福原くんはそんなに暗いの?

そんなんじゃお客さんも心配しちゃうよ。「え、この子なんかあったのかな?」って。「親戚死んだのかな?」って。

ちょっとおれがお手本見せてあげるからよく見てな。

そんな親戚バタバタ死なないんだけど。それはともかく「えー、あれでもダメなのか…」と意気消沈した。まあでもそんなに言うならと思い、黙ってお手本を見ることにした。

店長は入口のドアの前に立ち、ぼくはそこから2、3歩離れたところからじっと様子を眺めていた。店長はじっとドアを見つめ、気持ち力が入っているようにも見えた。

そうして待っていると50代ぐらいのセレブっぽいおばさまがお店に入ってきた。するやいなや、元ヤ○ザのその店長はその一言をぶっ放した。

っしゃゃせっっっ!!!

その一言を聴いたおばさまは右肘をグッとあげて少し腰を落としていかにもギョッとしたというようなポーズを取りながら「え!?」と思わず声を漏らした。まるで暗闇の中で唐突にスポットライトを浴びて「ま、まぶしいっ!」とでもリアクションしたかのようだった。ぼくをはじめ、店内にいたすべての人間がその店長を呆然と眺めていたことは言うまでもない。

店長はそのまま迷うことなく「こちらへどうぞ」と続けてそのおばさまを席までお連れした。おばさまの顔は強張っており、裁判所に連行される人のようにも見えた。

こうやってやるんだよ。分かったかな?

クールな佇まいでぼくの元に戻ってきた店長はそう静かに諭すように言った。そして何事もなかっかのように仕事に戻った。

いや、お客さん怯えてたぞ!裁判所に連行してるようにしか見えなかったぞ!?

まったく、元ヤ○ザだからってそんな男臭い挨拶ありかい。家系のラーメン屋ならまだ分かるけど、大人向けのカフェじゃなかったのかい。

アルバイトの新人が見つめていたせいで力が入ってしまったのだろうか。それだったら可愛くもあるが、あの挨拶自体はぜんぜん可愛くなかったぞ。

何はともあれまったく役に立たない見本だった。それは鮮やかまでに参考にならなかった。


ただあの店長に「福原くん、暗いね〜」と頻繁に言われたこと自体は印象深く思い出になっている。なんならぼくに深い教訓を与えている気すらする。

つい最近のこと。会社の同僚と海釣りに行った時にカレイを釣り上げた。その日は2~3時間粘ってもアタリが少しもなかったこともあって喜びもひとしおだった。釣れたカレイを持ち上げてニッコリと笑うぼくの様子を同僚がスマホで写真を撮ってくれた。「福原さん、いい写真取れましたよ〜!」と言ってその同僚が近くまで駆けつけてくれた。ニコニコと写真を眺めながら彼はこう言うのだった。

いや〜嬉しそうですね〜。福原さん、いつも本当に暗い顔をしてるから。こんな嬉しい顔見たことないですよ〜。

ぼくはギョッとした。「え、そんなに暗いですか?」と思わず聞き返した。

はーい。

とだけ返ってきた。その返事には「当然でしょ?」というようなニュアンスまで含まれていた。

この前日本に一時帰国したときもそうだ。古くからの飲み友達と浅草で飲んでいたときのことだ。和やかな雰囲気の路面店で刺身と牛モツをつまみにしながらビールをちびちびと飲んでいた。旧知の友人とワイワイとくだらない話をしながら酒が進む。気が緩んでいたせいもあって、ぼくはいつもよりも笑っていたと思う。

それでも彼女は言う。正面に座った親友の彼女は大きいジョッキを握りながらしんみりとした表情をこちらに向けている。そして大きな黒い瞳でぼくをまじまじと見つめながらこう言うのだった。

それにしても福原って暗いよね。うん。

それはクレームといったものではなく、映画の感想を言うように心で感じたことをしみじみと語るようだった。まるで感心したかのように、そうつぶやくのだった。

ここまで来たらジョークである。それを聞いて「あ、おれはどうやら暗い人間にしか見えないようだ」と悟った。お手上げだ。

どう頑張っても意味のない努力というものはある。ぼくの場合は明るく振る舞うってことらしい。

ポップでありながらアクの強い作品たち。

今日はそんなところですね。旅で訪れたニューヨークにて。ホイットニー美術館でヘンリー・テイラーさんの個展を観ながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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