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福原たまねぎライター宣言 -仕事について書きます-

なにかを変えなければならない。

そう思い始めたのはNoteを始めてから1年半ほど月日が経った頃だ。気付けばたくさんの文章を書いてきた。記事の数にして70本以上。文字数を数えたらきっと30万字は優に越すんじゃなかろうか。

そしてこれだけの量を書いてきた今こう思う。



ちょっとマンネリ化している。文章の内容や書き方に大きな変化が見られない。このままのやり方を続けていても同じようなテキストをだらだらと提供し続けることになるだろう。端的に言うと変化が必要だ。

どんな変化が必要か?自分の胸に聞いてみる。でもその糸口は自分の中にはなかった。

そんなときぼくは新卒一年目のときに上司から言われた言葉を思い出す。

自分の中に答えがないときは外に答えを探せ。つまり調べるんだ。本を読んだり資料を漁ったりデータを集めたり。そしたら自然と自分が求めているなにかに辿り着くはずだ。

人生最初の上司に言われたこの言葉は事あるごとにぼくを救ってくれた。キャリアや人生の選択で、考えても考えても答えが出ないとき。そんなときはいつだって外に答えを求めた。本を読み漁ったり自分よりも遥か先を進んでいる先輩方のもとを訪れたり。そしてそこにはいつも大事なヒントが眠っていた。今回もこのアドバイスに則ることにしたのは自然な流れだった。

自分の文章を変えるためになにが必要か?

その問いに対する答えを探すべくぼくはまず参考になる本を探すことにした。そして程なくして見つけたのがこの書籍だった。

古賀史健さんの本

世界的なベストセラーとなった『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』の著者である古賀史健さん。心理学者アルフレッド・アドラーの教えを軸に、ある哲学者と青年との対話を通して人生の悩みとその対処法を描き出すこれらの書籍に心を打たれた読者はもうほんとにたくさんいることだろう。

その古賀さんが「書くこと」についてまとめた書籍。結論を言うならば、ぼくはこの本を読んでとても感動した。そして多くのことを学んだ。

この本は古賀史健というライターによる長い長い「遺書」だ。少なくともぼくはそう受け取った。

彼がライターとしてのキャリアで培った思考法やスキルをこの本は文字通り惜しみなく提供する。世界を深く深く理解する取材の進め方。集めた情報を効果的に読者に届けるための"翻訳する"という書き方。そしてここまでやるかと思わず唸ってしまうほどの徹底した推敲の仕方。超一流のライターが試行錯誤の末に身に付けた学びのすべてがこの一冊に集約されている。「書くこと」「伝えること」で世界を変えようとするすべての人たちに向けて、著者は「書く技術」・「伝える心得」を全身全霊で届けようとする。そこから感じられる力強さそしてモーメンタム(勢い)は凄まじく、ここに書かれている教えはなんなら今生きている人だけでなく、彼がこの世を去った後の世界にまで届けようとしているんじゃないかと思うほどだった。

ぼくはこの本を読みながら途中から黒いはずの文字が赤く見えるように錯覚した。というのも古賀さんが全身から血を絞り出しながらその指先に伝う赤い血で綴っているような印象を受けたのだ。アホみたいな例えかもしれないけれど、そのくらい彼の本気度や切実さが伝わってきたということだ。その真摯さと熱さにぼくは一読者として尊敬するし深く敬意を評したい。

この本のエッセンスは最初の章である「ガイダンス ライターとはなにか」に詰まっていると思う。ここからこのガイダンスに記されたいくつかの大事なポイントを引用しながらぼくが思ったことを書いていこうと思う。

「編集者なきWeb記事の量産」への警鐘

まずはここから話を始めたい。

インターネットがポピュラーになる前の時代には"プロの編集者"と"プロのライター"がコンテンツ(文章)を企画・執筆することが主だった。そこから2010年代以降に様相は大きく変わることになる。誰でも簡単に文章を書いて発表できるようになったのだ。各種のブログサービスやFacebook・X (旧Twitter)の台頭は「書くこと」を民主化することに貢献した。そして言うまでもなくNoteもそんな流れを更に加速するのに一役買っている今日この頃というわけだ。

その結果としてどうなったか?世の中はコンテンツがたくさん生み出される場所になった。素晴らしいコンテンツが生まれ出ることもある。でもその一方で、多くの場合には質を欠いたコンテンツで溢れかえるようになった。「書く」市場に素人が大量に参入したわけだから無理もないことだ。数多あるコンテンツは誰かに新しい気づきを与えたり喜ばせたりすることもなく、生まれては消えてを繰り返している。

ではどのようにすればそのような状況から脱却して読者を魅了するコンテンツを作ることが出来るのか?その鍵は「編集」にあると著者は言う。

おそらく、いまウェブを主戦場としながら人気を集めているライターたちは、文章力以上に「編集力」の確かさで支持を得ている。今後、ライターと編集者の境界線はますますあいまいになっていくだろう。

古賀史健 『取材・執筆・推敲――書く人の教科書

ふむふむ。となると「どのようにコンテンツを"編集"して読者に届ければいいのか?」ということが当然気になる。この点を深掘りしてみよう。

顧客をエンターテインするコンテンツを作る

そもそもライターとはなにか?書く人はみんなライターなのか?

著者はライターの役割を大きく括って「コンテンツ」を作る人だと定義する。

ぼくは「エンターテイン(お客さんをたのしませること)を目的につくられたもの」は、すべてコンテンツだと思っている。

お客さんの存在を前提にしていること。そして、お客さんの「たのしみ」や「よろこび」に主眼が置かれていること。つまりは、自分よりもお客さんを優先していること。この原則を守ってつくられたものは、すべてコンテンツだ。大衆文学、エッセイ、コラム、ハリウッド映画、ポピュラーミュージック、ゲームソフト、あるいはナイキの限定版スニーカーからビッグマックまで。ぼくにとってはいずれもコンテンツであり、ライターもまた同じ視点でサービスを提供している。

古賀史健 『取材・執筆・推敲――書く人の教科書

重要なのは「ライターは読者を喜ばせることありきでコンテンツ(文章)を作るべき」という主張だ。こうした考え方に著者のプロフェッショナルな精神が強く滲み出ている。もちろん文章を書く人がすベてプロを目指すべきわけではないし、自分のために文章を書くという行為があってもなんら問題はない。それでもコンテンツを世の中に発表する限りにおいては、こういった読み手を意識する姿勢はプロ・アマを問わずあってもいいのかもしれない。

著者は良質なコンテンツをつくる上で鍵になるのが前述の「編集」という概念であり、プロセスであると説く。

(中略)「編集」とはなにかと問われれば、ぼくは「誰が、なにを、どう語るか」の設計だと考える。究極的に編集者は、「人」を編集しているのだと考える。

古賀史健 『取材・執筆・推敲――書く人の教科書

ここは非常に重要なポイントだと思う。特に「誰が」という主語を規定することが読者を喜ばせるためのコンテンツ作成の大事な第一歩であり生命線なのだ。

この「誰が」を有名人で設定した場合どうなるか。例えばビートたけしと設定するとしたら、「なにを」の部分はお笑いや映画に関するものになるかもしれない。「どう語るか」は独白を綴るような形式が新鮮かもしれないし、インタビューで真意に迫るような形式が読者をそそるかもしれない。今年東京都知事選で得票数2位となった石原伸二さんだったら、きっと「政治」や「選挙」について語ることを読者は期待するだろうし、その形式はインタビューよりも知識人との対談とした方が興味深いものになるかもしれない (実際そういうコンテンツたくさんありましたよね)。

ではこの「誰が」をあなた自身に設定するとしたらどうだろうか。あなたが料理人だとしたら料理のことを、学校の先生だったら教育のことを話すことになるかもしれない。いずれにせよ、読者の心を動かす上では、あなたが語る必然性と説得力を持つテーマを選ぶことが肝要だし、読み手に刺さると思う語り口で話す必要があるのだ。料理人が教育のことを、教員が料理のことを語ろうとしたら(特別な必然性がなければ)読者は「なんで?」と反応することだろう。

もう既にお気づきかもしれないが、ほぼすべての人はこの「誰か」があなた自身になるだろう。プロのライターであれば著名人にインタビューしたり著名人同士の対談を設定したりといったことが主なコンテンツ作成の作業になるかもしれない。でもそうじゃない一般の人が自分で経験したことや自分が考えたことを書いている場合は話が違う。「誰が」= 「あなた」であり、それを踏まえて読者を喜ばせるために「なにを」と「どう語るか」を取捨選択しないといけないということになる。

この本には更に読者の心を捉えるための様々な知恵やコツが紹介されている。例えば「ここでしか読めないなにか」を提供する"情報の希少性"を意識することだったり、語っている課題を読者に「自分ごと」化してもらう"課題の鏡面性"を踏まえることだったり。これ以上書くと引用が過ぎるので控えるが、もっと知りたいという方はぜひ本書を取ってもらいたいと思う。Noteで文章を書くすべての人に刺さるに違いないとぼくは信じてやまない。

これからの方向性

ここまでの内容を踏まえてぼくは考えることにした。ぼくが読み手の方に喜んでもらうためには「なにを」語ればいいかということを。そして「どう語るか」ということを。

結論を言うと、今後はもう少し仕事について書いていこうかなと思います。

ぼくが読者に喜んでもらったりニーズを満たしたりするにはやはり仕事関連のことがいいのかなと。もうすぐ在籍10年に達するAmazonでの仕事のこと。Amazon米国本社で経験して学んでいること。はたまたプロダクトマネージャーについてのあれこれなど。こうしたぼくが語る必然性があると思われるコンテンツを"編集"してお届けします。

なお、「どう語るか」についてはここではシンプルに。「もう少しストレートに書く」ということを目指します。

直近ではこんなエピソードについて書いていこうと思っているので一部ご紹介します。乞うご期待ください!!!

これから発表するコンテンツの一例
・日米での仕事環境の違い -Amazonの米国本社に来て感じたこと-
・Amazonの米国本社に来てよかったなって思うこと
・Amazonの米国本社に来てイヤだなって思ったこと
・アメリカで学んだ「たかが仕事」の考え方
・GAFAMのアメリカ本社で働くのに必要だと思う英語力、およびその英語学習方法

文章の内容によってはかなり専門的なものになるので本当に情報を必要としている方にだけ届けたいと思っています。なので有料にするものも一部出てくると思いますがその点はご理解いただきたく m(_ _)m。

なお、仕事以外のことでも「ぼくが語ってかつ読者のためになれる」と思うコンテンツは引き続き積極的に作っていく。アメリカ内をしょっちゅう旅行しているうちは、そのホットな情報を届けるべく旅行記をどんどん書いていくし、また本をある程度読む人間なので(少なくとも年間で100冊以上)本を読んで考えたことについても発信していく予定です。

ちなみにこれまでに書いてきたエッセイのようなものも続けていきます。ただ当面は「読んで良かったなと思ってもらえるもの」や「ぼくが書いて説得力があるもの」に主眼を置きたい、というのが今の心持ちです。


なんでわざわざこんな宣言をしているかって?

それは一つには古賀史健さんの本に感動しまくったから。コンテンツを世に発表する限りにおいては自分も一人のライターなんだなと意識したことが大きい。そしてライターである限りは読者のことを考えなくてはと強く思った。「書くことは自分の本職じゃないから」という言い訳はせずに一人のライターとして頑張ってみる。

あとはこれまで「福原たまねぎ」の記事を読んできてくださった方には方向性が少し変わることに対してなにか言わねばと思ったから。ぼくなりのちょっとした誠意と受け取っていただければ嬉しい限りです。いつもぼくの文章を読んでいただき本当にありがとうございます。こころから感謝します。

というわけで「福原たまねぎライター宣言」ということでこれからも文章を一生懸命書いてお届けします。どうぞよろしく!!!


さらっとした海風が気持ちいい

今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも気に入っていただけたらスキしていただけると嬉しいです。

夏のシアトルにて。夕焼けの海とオレンジ色に染まる街を眺めながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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