嫌われる勇気は、自由への道しるべ。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え―』を読みました。
最初はノートにメモして考えを整理し、構成を練って投稿しようと思ったのですが…
上のメモからもわかるとおり、アドラー心理学って、理解&自分のなかに落とし込むのが結構むずかしい…!
※ドラマや朗読で触れたことがありましたが、当時はそこまで腑に落ちてなかった
これだけ奥深いと、私のお脳みそでは投稿までに2週間はかかりそうです(汗)。
というわけで、ひとまず印象に残ったキーワードについて書いてみようと思います。
課題の分離|もう期待に応えなくても大丈夫だよ
アドラー心理学を説いた『嫌われる勇気』は、自由に生きたいと願う人のための本だと思います。
私の解釈ではありますが、自由に生きるためにいちばん大事なのが"課題の分離"かなと思いました。
課題の分離とは、自分と相手の問題をスッパリ切り分けて考えること。
たとえば、親が子どもにもっと勉強しなさいと言うのは、課題の分離ができていない状態です。
アドラー心理学では、勉強しない結果にその後の人生で起こることは、すべて子どもの責任と考えます。
また、反対に子どもを心配してあれこれやってあげすぎる、恋人に尽くすみたいな例も世の中ありますね。
この問題が奥深いなと思ったのは、その干渉には優しさだけでなく、自分が嫌われたくない気持ちも含まれていることです。
好かれたい(嫌われたくない)から、期待に応えすぎてしまう。
他人の期待を満たすことで、自分の存在意義をたしかめようとする。
う〜ん、わかる。人間だもの。
でもそれって相手の荷物(課題)を肩代わりするようなものだから、結構しんどくなるんですよね。
半分持つよ、くらいならまだいいんですが、背負い込みすぎると自分らしさを失います。
私も人のことを考えるあまり自分をかなり押し殺していた時期がありましたが、まあハードでした。
そして援助ではなく"干渉"をしすぎると、「こんだけ時間も心も使っているのに!キーッ!」と不満が爆発してしまう展開もありえます。
私はこの本を読んで、嫌われる勇気=他人のためでなく自分のために生きる勇気を持てってことかなと思いました。
相手と自分の課題をごっちゃにせずに、ひとつひとつ点検するように区別していく。
相手が身近で大切な存在であるほど、たぶん相当むずかしいし、すぐにできることではないでしょう。
ですが本当に大切な存在なら、相手も自分を大切に思ってくれているはずです。
優しい人は今までかなり無理してきたと思うので、もうそろそろ自由になってもいいと思います。
相手の期待に添えてるかわからないと不安もあるけれど、勇気をだして自由に生きていきたいですね。
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