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デジタル・ケイブ事始め。(8)

平成最後の日なのです。

前回、「以下次号」なんて書いて、いかにも「つづく」という終わり方だったのですが、「平成」のしめくくりに何か書いておこうと思いまして。

正直、公的な書類などは、もう全て西暦対応でいいんじゃないか、というのが私の基本的な考えです。あちこちで公言している通り、それは前からずっと変わりません。
いちいち頭の中で、西暦と和暦を変換したりするの、本当にめんどくさい。
大正XX年から平成XX年まで、と言われて、「何年間だっけ」と一瞬とまどうのは私だけではないはずだ!
機能的じゃないし、国際化の世の中にもまったくそぐわないし。

いま公庫関係の書類を書いているところですが、提出日に「平成〇〇年」と印刷されておりまして。
GW明けに提出するので、もう令和なんですけど。
いいかなあ、平成で。
ま、いっか、読みかえてくれるでしょう。

……などと、いらぬ心労を増やす! やめてほしい!

だけど、ひとつだけメリットを数えるとすれば、
「ある一時代を、ひとくくりの言葉で表すことができる」
ということでしょうか。
まあ、本当にそんな言葉が必要かとか、その呼び方によってステレオタイプ化されてないかとか(例:「ゆとり世代」「新人類」みたいに)、批判も可能だとは思うのですが。
ただ、私たちはこの先おそらく、「平成」という時代を、和やかに退位の日を迎えられた天皇陛下や美智子さまの温顔と「祈り」とともに記憶するような気がする。

「昭和」の終わりから「平成」の始まりにかけてを記憶している、一定以上の年齢の方なら、あの雪崩を打つようなどたばた騒ぎと、お通夜のような(というか本当にある種のお通夜(喪中)だったんだけど)、にぎやかなことをすべて自粛しまくったあの時期と、淡々と穏やかな「平成」の幕引きとを心の中で比較されているかもしれません。

「平成」を振り返ってどんな時代だったかと尋ねられれば、私は、
「そう悪くはなかった」と答えるでしょう。

とにかく、自然災害が多発した時代だったし。
政治に関して不満の多い時代でもありましたし。
経済的には「失われた20年」などとも言われるように、低迷しました。
だけど、「そう悪くはなかった」。

周辺諸国と、さまざまな軋轢を抱えながらも、一度も戦争はせず、いわばぎりぎりセーフのところで踏みとどまってきたし。
正直、この国は以前に比べてだいぶ落ちぶれたとは思うけど、それでも私たち「民」は、淡々と自分たちの持ち場を守り、日々頑張って生きてきたし、これからも生きていかねばなりません。

どんな時代でも、不満はあるに違いない。
そう考えるなら、「そう悪くはなかった」。

何が変わるというわけでもないけれど、明日からは「令和」なのだそうです。

きっとまた、不満たらたらだと思う!
政治家をボロクソにくさしまくってると思う!
……そしてまた、淡々と日々頑張って生きるのだと思う。

考えてみれば、「令和元年」から新しいことを始めたんだなあと、いま気づきました。

覚えやすくていいかもね(笑)