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【高杉晋作・功山寺決起】

 昨日は12月15日、元治元年1864年、高杉晋作が保守派の長州藩に反旗を翻し、たった一人で倒幕の挙兵を敢行した功山寺決起の日でした。「これより長州男児の腕前をお目にかける」。高杉晋作の功山寺決起に最初に呼応したのは、伊藤博文が率いる力士隊などたった80人でした。  12月15日高杉晋作が下関功山寺で決起、呼応した奇兵隊や諸隊が長州藩軍と激突、武士からなる藩兵を破り、長州藩は保守派を追放、長州藩は倒幕へと舵を切りました。幕府軍による第二次長州征伐を高杉や大村益次郎は四境戦争で破り、薩長同盟が倒幕を実現しました。  高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」享年29歳。維新目前の病死。吉田松陰先生の松下村塾で学び、松陰先生処刑の直前、高杉晋作は松陰先生から「生きて大業の見込みあらばいつまでも生くべし。死して不朽の見込みあらばいつにても死ぬべし。」との言葉をもらいました。  この吉田松陰先生の松下村塾と高杉晋作の功山寺決起、四境戦争を描いたドラマ『蒼天の夢』(原作『世に棲む日日』)と関連図書資料を福田充ゼミ4年3年生全員で読み観て、先週の福田ゼミナールで議論、ディスカッションしました。テーマは吉田松陰先生と松下村塾、その弟子山田顕義と日本大学でした。来週火曜日、ゼミ生たちは世田谷の松陰神社を参拝し、そこに埋葬されている吉田松陰先生のお墓参りに行きます。 ![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/67906745/picture_pc_5f32c195a3c1367956991f52764cbbbc.png)

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