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つきまとう劣等感の中、なぜ「海外フリーランス」を選んだのか

私は現在、オーストラリアで個人事業主として独立し、メディア運営・WEBマーケティング業務、マーケティングリサーチ業務、動画の脚本作成、法人メディアの構築・執筆等に携わっています。

・・・と文字にしてみると、以前の私だったら「なんかすごそう」と思っていたかもしれません。

でも。

実際「今の自分」も「この仕事を選んだ自分」も「すごい」なんてとてもじゃないけど思えなくて。

私の場合は、誰かに誇れるような「この仕事を選んだ理由」があったわけじゃなく、

「これしか生きていく方法がないかも」

という消極的かつ意識低めの理由だったから。


この仕事を選んだわけ=消去法

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もともと海外志向も独立志向もありませんでした。

夢も目標も、ましてや野心なんてこれっぽちもなく、日本で働いて、結婚して、主婦をやっていく、そんな「母や祖母と同じ道」を歩むのだ、、、

何の疑いもなくそう思っていました。

でも、心のどこかで感じていた「これじゃない感」

「これじゃない感」は「焦燥感」に変化し、20代半ばに日本から逃げるようにオーストラリア・シドニーへ居場所を変えてみました。

ワーキングホリデー・学生を経て現地就職、その後しばらく安定した暮らしを送っていたものの。。。。

昔から持ち合わせていた「人との関わりが苦手」という性質が30代になってから顕著になり、

・人を見るのも嫌
・声を聞くのも嫌

「そうか、私は人が嫌いなんだ」

そんな極端な結論にたどり着いた時、なんの躊躇もなく正社員の職を辞し、文字通り引きこもりながら暮らしていました。

しかし、現実問題、お金がなければ生活はできません。

人と関わらなくていい・人との関わりが少ない仕事を必死で探し、たどりついたのが「ブログ運営における広告収入」

これが現在の職業「海外フリーランス」始まりでした。

もちろん、うまくいくわけがなかった

私は芸能人でも有名人でもないので、適当にブログを書いていてお金を稼げるわけがありません。

初報酬は数十円。

それはそれで感動でした。

まさか自分の文章がお金を稼ぐなんて!!と雇われ時代にはない不思議な感覚とでもいいましょうか。

でも「数十円」「数百円」の収入では生活費をまかなうにはほど遠い。

ここから試行錯誤が始まりました。

努力も根性も大嫌いなくせに「試行錯誤したい」と思えたのは、

・家にいてOK
・人に会わなくてOK
・自分のペースでOK
・誰にも怒られない

「私の理想の働き方じゃん!!」と信じて疑わなかったからです。

劣等感をはねのけたのは「衝動」と「開き直り」

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今も昔も「なぜ私はみんなと同じようにできないんだろう」と劣等感を抱えて生きています。

協調性もなく、忍耐力もなく、スキルも才能もぜんぜん足りない。

私の劣等感はどんどん大きくなっていきました。

それでも、あきらめたくなかったんですよね。

劣等感をスルーして突き進めた理由は「衝動」としか言い表せなくて、そこにはある種の「開き直り」もありました。

そして、某大手旅行会社から複数の案件を受注したことをきっかけにオーストラリアで独立開業。

オンラインでたった15分の開業手続きで、私はあっけなく「海外フリーランス」となりました。

そして現在:今でも夜な夜な繰り広げられる「ひとり反省会」

現在は、冒頭でも触れたよう様々な案件でクライアント様とお仕事をご一緒させていただけるようになりました。

しかし、zoomでの打ち合わせや、Slackでのチャットは今だ苦手意識がぬぐえず、夜の「ひとり大反省会」が開催されます。

ダメだなぁ。。。

なんでちゃんとできないんだろう。。。

あんなこと言わない方がよかったかな。。。

と思う日ばかりです。

肩書が「無職」から「ブロガー」そして「フリーランス」になったところで、人はそうそう簡単には変わらない。

誠意と敬意をもって、心を込めて全力を尽くすことしかできることはありません。

最後に:私があなたに伝えたいこと

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これはSNSやブログなどの発信を通じてお伝えしたいと思っている根っこの部分なんですが、

・海外に出よう・英語身に付けよう
・独立しよう・フリーランスになろう
・ネットで稼ごう

そういうんじゃないんです。

他の人と比べて自分はダメだぁと劣等感があっても、

◆受け入れてくれる場所もある
◆必要としてくれる人もいる
◆ストレス最小限で生きていく方法もある

ってこと。

それが、私の場合はたまたま「海外フリーランス」という生き方だったのです。


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