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海外生活が長くなると「安い女」になる説

海外生活にぼんやりと憧れを抱いていた20年前、

海外で暮らす=なんとなくおしゃれでいい生活をしている

こんなざっくりとしたイメージを持っていました。

月日は流れ、オーストラリアに移住して丸18年、そろそろ19年目に突入します。

先日、この共同マガジンの相棒OsaMuちゃんとのやりとりで「やっすい女だね」とリプをもらい(※もちろん悪意はないです)当初、憧れていた海外在住者のイメージとは真逆のことを言われてるなぁ、と思ったんですね。


※「やっすい女だね」の経緯は、
・OsaMu⇒FXの実績をドヤる
・私⇒「なんかおごれ」
・OsaMu⇒「なにを?」
・私「うまい棒」

で、ですね、普段のオーストラリア生活をよくよく振り返ってみると「あれ?私、安い女になってるのか?」と思い当たるフシも多く「海外生活が長くなると【安い女】になる説」はあながち間違っていないんじゃないかと。

日本の「当たり前」に付加価値が付きまくる

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うまい棒に限らず手頃な価格で手に入る商品でも、日本を離れてしまえば、

・通常価格の2倍~5倍のお値段で輸入品として購入しなければならない
・そもそも輸入されてないから手に入らない
・一時帰国の時にしか購入することができない

こんな状況が当たり前の環境になります。

そして、納豆・豆腐・もやしといった日本では「節約メニュー」の定番である食材が気持ち的にもお値段的にも高級品に早変わり。

だから、こちらに輸入されてない「うまい棒」は私にとってはけっこうな付加価値がついてるし、納豆も特別感があります。

もともとのお値段が安い高いではなく、ふとした時に恋しくなる日本の食生活にとんでもない価値がでてくるんですよね。

アルフォートとかチキンラーメンとかコロロとかハッピーターンとかルマンドとか柿の種とかペヤングとか。


一時帰国で羽田空港に到着した日、タイミングがあえば品川駅で待ち合わせをして一緒に朝ごはんを食べる友人がいます。

品川といえば駅前の有名ホテルの朝ごはんビュッフェですが、私たちがいつも行くのは駅構内の立ち食い蕎麦。

海外歴が長い人が日本到着後に最初に食べたいのはお蕎麦と、よーくわかってくれてるんです。

数千円のホテルの朝ごはんより、数百円のお蕎麦に心惹かれる「安い女」ですが、「高いから良い」ってわけじゃない。

日本滞在中は高級なレストランより「ファミレスでだらだらする時間」という日本ならではの過ごし方の方が楽しかったりします。

サイゼリヤ行きたい!

海外歴が長くなると見た目も気にしなくなる・・・?

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海外歴が10年15年と長くなってくるにつれ、見た目を取り繕うことへの興味や情熱がじょじょに失せていく、、、、私だけでしょうか?

第三者からの「かわいい」「きれい」といった評価よりも「いかに自分が楽か」の方が重要だったりします。

今は在宅で働いているので、
・朝起きたらパジャマから部屋着に着替える
・夜になったら部屋着からパジャマに着替える
・日中はどすっぴんに眼鏡
・髪の毛は1つにひっつめてる
・爪の手入れも爪切りで切るだけ

洋服や美容にかけるお金もずいぶんと減りました。

「安い女」というより見た目がどうにもこうにも安っぽいです。

鏡に映った自分に対し「イケてねぇな」と思うこともありますが、だからといってメイクや身なりに気を使うことへの優先順位は低いんですよねぇ。

世界各国から移民が集まってくるような国にいると、美しさの基準が画一的ではない⇒だったら素のままでいいんじゃね?、、、みたいな思考回路になるっていうか、私が面倒くさがりなだけかもしれませんが。

このへんのことはブログでも投稿しましたのでよろしければ。

最後に

20年前に憧れていた海外生活と今の生活はずいぶんと様子が異なりますが、

・自分にとって本当に価値のあるもの
・見栄やプライドに抜きで手に入れたいもの

を素直な気持ちで取捨選択できるようになったことは良い傾向。

海外で暮らしている理由は人それぞれなので、ひとくくりに「海外在住者」を語ることはできません。

しかし私のように「安い女」になっていくパターンって多いのでは?と思うのですがいかがでしょうか?

いただいたサポートは大好きなハッピーターンを買うために使わせていただきます。ありがとうございます。