「死」という怪物は生理前になるといつだって「私の近く」にいた #2
「死」と聞くと人は
どんなことを思い浮かべるだろうか
怖い、不思議、天国、地獄、寿命…
色々な連想ができる。
「死ぬ」なんて自分にとってはまだ遠い存在
自分にはあんまり関係ないなあ…。
「死」についてなんてまず考えたこともない!
こうやって思う人もいるだろう。
でも私の場合、「死」は生理前になると必ず自分に付きまとってくる怪物のようだった。
別に平均寿命の年齢でもないし、余命宣告をされたわけでもない。生理前じゃないときは「生きるの楽しい!最高!」って感じでピンピンしてる。
なのに生理前になると必ずやってくる
「死にたい」「消えたい」「透明になりたい」
という気持ちになる
だから私にとって「死」というのはそれほど遠い存在ではないのだ。
1.私を襲ってくる「死」という怪物
この絵は私が本当に「死」という怪物から逃げたくて逃げたくてしょうがなかった時に書いたものである。(いつ書いたかは忘れた)
抑うつという生き物が「死」という怪物をコントロールし、「お前はいなくたっていい存在なんだ」「お前なんていらない人間だ」という無価値観や「私はもう終わっている人間だ」「将来に対して希望が見いだせない」という絶望感などを浴びさせてくるのに対して、私は今日その日にやった課題を言いながら必至に刀をもって戦っている…
そんな絵である。
この「死」という怪物は生理前(排卵日周辺~生理開始直前日)だったらいつだって私を苦しませにやってくる。
・朝起きた瞬間、頭の中が「死にたい」
「消えたい」でいっぱいになる。
・朝は午前中はピンピンしているのに夜突然
「死にたい」「消えたい」でいっぱいになる
・一日中「死にたい」「消えたい」
でいっぱいになる
パターンはいろいろである。
まさに感情のジェットコースター
何かが引き金となって調子がよかったのに、一気に崩れて「死にたい」「消えたい」と思うこともあるけれど、大半は自分でも何が原因でそう思うのかが全く分からない。
一日を振り返っても理由が見当たらない。
だから余計に苦しいのである。
2. 怪物の勢力拡大
「死」という怪物が襲ってきた日にはもう何もできなくなる。
・過食状態になるのでご飯は食べる
・一人部屋に閉じこもってずっと寝ている
・髪の毛もとかせない、歯も磨けない、
着替えることもできない
・ただ寝ているだけの生活
日常生活に支障がでまくり状態。
だからこそ
情けない、むなしい、人間をやめたい、
苦しい、誰か助けてほしい…
こんな気持ちでいっぱいになるのだ。
それでいっぱいになったあと、今度は「何もできない自分」がいることへのいら立ちへと気持ちが向く。
・「何もできない」と思っているのは
実は気のせいなのではないか
・「何もできない」のは自分への甘えだ
・「何もできない」のは病気のせいにしている
「もっと苦しんでいるひとがいるのに
何で怠けているんだ」
どんどん自分を責めていく。
そして結果的に
そうなんだ、死にたいって思うのは私の心が
弱いからなんだ、きっとそうだ。
自分が全部悪いんだ
という考えに行き着く。
死にたい→何も出来ない→悲しい→虚しい→それは自分の思い込み→自分が悪い→私が弱い→
死にたい
の負のループ
こうしてまた「死」という怪物はこの負のループを通して更に勢力を拡大させて私を襲ってくるのであった。
そう、これがPMDDという精神疾患をもつ私の『希死念慮』という症状なのである。
3.『死』へのタブー視
「死にたい」「消えたい」
なんてそう簡単に人に言えるものではない。
だって「おかしい人」って思われるかもしれないから。その感情にはなかなか共感が生まれにくい。
先日NHKの番組で自殺についての特集があって見ていたが
「なんで若いのに死にたいって思うの?」
「将来がなんとなく不安だから
自殺するのはなんで?」
という言葉が番組内であった。
その時私は”ああ、世間からは死への感情はそう取られるのか”という思いで見ていた。
「死にたい」という感情をタブー視することで希死念慮を抱いた人はその気持ちをどこにもぶつけられなくなる。どんどん自分を追い込む原因になる。
だからあなたの近くにもし「死にたい」「消えたい」って思っている人がいたら救おうとしなくてもいいけれど、「心がおかしいひと」というレッテルを張ってほしくはない。
私は希死念慮のことを散々怪物扱いしてきたけれど、それでも人間の大切な感情の一部分であると思うから。自分のSOSを感情でだしている一部部分であると思うから。
だからお願い、レッテルを張らないでください。
今は憎き存在で怪物だけれどこの感情と上手く付き合っていつか可愛いまでとはいかなくても身近な生物くらいの存在になれたらいいな。
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