辛くてでも楽しくて、ワクワクできるカオスすぎる”看護の世界”。 そんなカオスな世界で4年間を過ごし2022年、3月9日、私は看護大学を卒業した。 卒業した今の思いは『ホントに色んなことがあったなあ』ということ。 定期テストは量が膨大すぎて寝れなくて地獄 実習記録に加え事前学習もあり寝れなくて地獄 国家試験勉強のストレスで寝れなくて地獄 看護大で4年間過ご
「衝撃的なカミングアウトをしていい?」 お母さんと二人きりになった時に そう話を切り出した23歳の春 私は続けて 「親戚のAくんから性暴力を受けていた」 と20年越しに打ち明けた。 私の性被害の詳細については以下のリンクからどうぞ。かなり辛い内容になってるので体調に気をつけて読んでください。 いつもお母さんとゆっくりおしゃべりする時間が好きなわたし。お母さんとは友達みたいに何でも話せる関係がすきだった。 そんな私が唯一言えなかったのが親戚からの 性暴力について。
風がすーっと透き通って心地いい午後3時 太陽の匂いがしたタオルケットがいい感じに 私のことを包み込んでくれる。 そんなしあわせなお昼寝時間に 久しぶりにあの子はやってきた。 その子は私のことをしあわせなはずの夢の中で イジワルをしてくる。 「お前が嫌って言えなかったから悪いんだ」 その子は毎回決まって私にそう 言っては去っていく。 … … … … さあ、こんなメルヘンチックな入りは おいといて。 PTSDの症状で「悪夢」というのがある。 夢の中でフラッシュバック
『認知症ってさ、うざくね?』 この間、先輩と一緒に検査出しをした時に こんなふうに言われた。 看護師になってまだ一ヶ月半の私は 反応に迷ってしまった。 この一言だけを聞くときっと世の中の人は『なんてひどい看護師だ』『看護師として失格だ』なんて思うのであろう。 『うざいってひどい言葉だなあ…』って思った心も少しはあったけれど、実は私もどこかで”うざい”と思っちゃったんだろうなと。”うざい”というよりは心が参ってしまったという感情の方が近いかもしれない。 私の病棟はほとん
この記事を読んで内容に 心当たりがあると思ったあなたへ。 私は別にあなたを責めたり、 決して恨んだりはしない。 でも許してる訳じゃない。 被害から約10年以上がたった今、 ”よく勇気を持って被害を打ち明けたね” という声が欲しい訳でもなく ”結愛ちゃんは何も悪くない”という声が欲しい訳でもない。 ただただ自分自身と向き合うために この記事を書いた。 だから向き合うためという自分勝手な理由で あなたを利用したことをどうか許してください。 (これより先は
私にはできないと思っていた。 『もあふる』の一員として、共同代表の一人として活動していくことが。 最初は無理だと思っていた。 メンバーのみんなへ 私から見た”もあふる”のみんなはとってもキラキラしていて羨ましかった。 上にたって指示をしたり、クラファンページのデザインや文章を構成したり、ロゴを作ったり… それぞれが一つのものを作ることに対して 全力だった。 でもそれを見ているうちに『こんな優秀で素敵な人達が集まったところに私はいていいのだろうか』と次第に感じるよう
「死」と聞くと人は どんなことを思い浮かべるだろうか 怖い、不思議、天国、地獄、寿命… 色々な連想ができる。 「死ぬ」なんて自分にとってはまだ遠い存在 自分にはあんまり関係ないなあ…。 「死」についてなんてまず考えたこともない! こうやって思う人もいるだろう。 でも私の場合、「死」は生理前になると必ず自分に付きまとってくる怪物のようだった。 別に平均寿命の年齢でもないし、余命宣告をされたわけでもない。生理前じゃないときは「生きるの楽しい!最高!」って感じでピンピンし
令和3年5月10日、私はPMDD(月経前不快気分障害)という診断を受けた。そしてこの診断を受けるまでに沢山辛い思いをしてきた。診断後も… その前にPMDDとは…というところだが 生理が始まる2週間前ごろから心身が不安定で辛い状態を「PMS」というのだが「PMDD」はその中でも特に精神症状に強く症状がでる。日常生活に支障がでるほどだ。 これはあまり知られていないことだがPMDDはうつ病の一種であり、精神疾患でもある…。 この闘病記はPMDDをさらに多くの方に知ってほしい
①忘れもしない高校2年生の秋 高校2年の秋 私は痴漢にあった。 その日は雨が降っていたので 傘をさして駅から家まで歩いていた。 夕方だったけれど 田舎だから街灯もなく、 茶畑や田んぼが広がっていて 雨だったから余計に 人通りも少なく薄暗かった。 そんな中一人で歩いていた。 するとうしろから 自転車にのった男性に 追い抜きざま胸を力強く触られた。 人間の思考停止ってこういうことなんだ と思うぐらい、自分の中で時が止まった。 何が起こったのか理解できないから。 たぶ
私は学校の性教育が嫌いだった。 そもそも私が性についてはじめて 教えて貰ったのは学校でなく母親。 初めて生理が来た時に 「生理が来たということは妊娠ができるように なったことと同じだよ、だから自分の身体は大切に、自分で守らないといけないよ」 と教わったのがはじまりだ。 その時は何が何だかわからなかったけれど なんとなく、そういう話は 恥ずかしがらずに大切な相手には 伝えてもいいんだと漠然と感じた。 ①とにかく恥ずかしかった高校の性教育しかし、性についてのイメージが