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民藝から生活を考える

民藝と時代

こんにちは、ひよこです。
前回は「民藝とおうち時間」という内容で、普段の生活を見直すための民藝思想について紹介しました。今回からは複数回に分けて、柳の説いた民藝思想を深く掘り下げていきたいと思います。

前回ご紹介したように、「民藝」(思想)は、大正末期に柳宗悦(1889~1961)によって生み出された工藝論です。この「民藝」という言葉は、柳自身も説明している通り、「民衆的工藝」の略に当たり、従来の芸術品や美術品と対置される概念です。作家の名前を残したり、誰が伝えたものか、いかに鮮やかに、そして技巧にこだわり仕上げるか、といった美的要素ではなく、普段の生活で使う実用的な日用品に備わる性質=「健康性」、それが民藝の特徴です。

一見すると、工藝論と社会改良思想がどのように結びつくのか疑問に思うかもしれません。柳は、工藝品ひとつひとつの分析から、工藝を製作し、それを売買し、実生活で用いる過程、すなわち工藝を取り巻く「社会」全体に焦点を広げ、「西洋一辺倒」の時代思潮の中で忘れ去られていたプリミティブさ(原始的な性格)の重要性、利便性だけを追い求めた工藝の生産方法と市場の実態等を明らかにしたのです。

柳という人間から時代を見る

柳は政治家でもエコノミストでも、美術史の専門家でもありませんでした。学習院から東京帝国大学に進学し、雑誌『白樺』同人として武者小路実篤や志賀直哉といった人物と交流を重ね、いわゆる「在野」の実践家として民藝運動を主導していったのです。

『白樺』の性格からも読み取ることができるように、当初は柳も西洋美術を受容し、キリスト教神秘主義に心酔します。

しかし、1910年代半ばに浅川伯教(1884~1964)という人物と出会い、朝鮮芸術の素晴らしさに魅了されます。柳の関心は、徐々に「西洋」から「東洋」へとシフトし、「日本」の相対化へと結実します

1930年代に入ると、日本の美術工藝界においてもナショナリズムの足音が聞こえるようになりました。柳は、時代のメインストリームであったアカデミズムとは距離を取りながら、民藝の分野において「日本の原型」を探していくこととなります。日本全国の民藝調査を進める柳のフィールドワークは、アイヌや琉球文化にまで広がっていきました。

興味深い点を指摘しておきましょう。柳田國男(1875~1962)が民俗学を大成し、渋沢敬三(1896~1963)や宮本常一(1907~1981)が民具研究を進展させ、今和次郎(1888~1973)が民家調査を通して「考現学」を提唱したのも、実は柳と同じ時代だったのです。

今日では単なる雑貨に過ぎない民藝品かもしれませんが、その誕生とその周囲を取り囲む「時代」の存在は、決して見過ごせない「物語」を伝えています。
その「物語」とは、時代の行き詰まりの中で「生活」を改めて見つめ直した思想の体系に他なりません。そしてその思想は、柳だけが抱いたわけではなく、同時代の多くの知識人が共有していたと言えます。

次回は、柳が民藝思想のなかで強調した美的要素について細かく見ていきましょう。


【備考】
日本民藝協会のHP→民藝とは何か

#民藝 #民藝運動 #柳宗悦 #民俗学 #生活 #白樺



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