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高齢の義父から学ぶこと
今日は義父と夫と私の3人で、ショッピングモールに行って食事をした。
私の夫は飲食店でのタブレット注文に慣れていないのか、年下の私にそっと操作を委ねてくることが多い。
今回も1番年少の私が率先して注文を打ちこんでいると、義父から「俺にも触らせて。やらないとわからないから。」と言われた。
"高齢の義父にはできない、今後1人で飲食店を訪れることなんてないだろうから覚えなくていい"と決めつけて、義父の学びの機会を奪ってしまっていたことを反省し、タブレットを義父に差し出して3人で画面を覗き込みながら無事に注文を完了した。
そのあとも義父は、店員さんに渡されたアンケート回答用のQRコードに興味を持っていたので、私が隣につき、操作を説明した。
島崎藤村の『三人の訪問者』の中にこんな言葉がある。
「老」が訪ねて来た。
これこそ私が「貧」以上に醜く考えて居たものだ。不思議にも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋ねて見たと同じ調子で、
「お前が『老』か。」
と言わずには居られなかった。
私の側へ来たものの顔をよく見ると、今迄私が胸に描いて居たものは真実の「老」ではなくて、「萎縮」であったことが分って来た。自分の側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有味のあるものだ。
自分がしたいことは「したい」と言うし、行きたい場所は「行きたい」と言う、わからないことがあれば素直に「教えてほしい」と言える。
そんな義父は、私が信じている「老」を体現しているような存在だ。
食事の後に寄ったスーパーでも、果物売り場にデコポンが置いてないとわかると、すぐに店員に「デコポンはもうない?」ときいていた。
わからないことがあればすぐにスマホで調べるタイプの私からすると、調べればわかることや見てわかることをわざわざ店員に尋ねるのは失礼だ、と気が引けてしまう。
それに、1人の店員が店の在庫を全て把握しているわけないだろうとも思う。
夫も私と同じ感覚らしく「聞いてもわかんないって」と、店員にすぐ声をかけようとする義父を制止することがよくある。
デコポンに関しても、いつも通り「そこになければ、ないですね」と返ってきて終わりかと思いきや、店員さんが親切に「デコポンはないですけど…このシラヌイはデコポンと一緒です」と、パックに入ったそれを教えてくれた。
あとから調べると、
不知火というのはみかんの品種の名前です。 そして、デコポンというのは不知火の中でも限られた条件を満たしている果実だけが名乗れるブランド名。
と書いていた。知らなかった!
思わぬ発見があったし、義父も無事に好物を手に入れることができた。臆さず店員さんに声をかけてみるのも、時には大切だなと思った。
タブレット注文に適応しようと努力する高齢の義父と、店員さんに尋ねることで得られる発見もあると気付いた20代の私。
なんだか対をなしているようで面白い。
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