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『Time goes by…』 巡る時代と復刊 過ぎゆく時を、作品集とともに

近年、YouTubeやTikTokなどを通じて、若い世代を中心に世界的な支持を集める日本の音楽ジャンルがあります。1970年代から80年代にかけて流行した「シティポップ」です。

シティポップとは、都会的で洗練された雰囲気を持つ音楽ジャンルのこと。明確な定義はなく、作曲上のルールなどもありませんが、同年代のアメリカのポップミュージックに影響を受けながら、さまざまな音楽の要素を取り入れていることが特徴です。

視覚的には、都会の摩天楼、トロピカルなリゾート、車などを象徴としており、レコードジャケットのイラストやデザインが、いわゆる「シティポップ」のイメージを支えている側面も少なくありません。

さて、そんなシティポップのアイコンを生んだイラストレーターとして真っ先に名前が上がるのが、永井博その人です。
クリアで鮮やかな色調、トロピカルな風景を特徴とする作風で、今も聴き継がれる大瀧詠一の名盤、「A LONG VACATION」、「NIAGARA SONG BOOK」のレコードジャケットなどを手がけたことから、シティポップの立役者と称されることもあります。

永井博先生のイラストレーションは、シティポップ人気の再燃とともに再評価されるようになりました。展示会の開催や作品集の出版をはじめ、ステーショナリーや雑貨、ユニクロのUTとのコラボなど、ここ数年の活躍には目覚ましいものがあります。

中でも、2017年に復刊された作品集『Time goes by…』をきっかけに、現在まで続々と制作されている作品集は、永井先生の作品が幅広い世代に浸透する上で大きな役割を果たしています。

本記事では、永井先生にとって最初の作品集である『Time goes by…』の復刊の経緯を振り返るとともに、永井作品にとっての作品集の価値に焦点を当てていきます。

2017年に復刊された『Time goes by…』

『Time goes by…』 原画展の開催と復刊

『Time goes by…』が復刊された2017年頃、永井博先生のファンは、シティポップ全盛期に青春時代を過ごした世代が中心でした。同年初頭に人気文具メーカーのデルフォニックスとのコラボ商品が発売されるなど、再ブレイクの兆しはあったものの、近年の人気の高まりと比べれば、特定の世代以外での知名度はそれほど高いものではなかったのです。

そんな中、永井先生の作品に着目し、当時唯一出版されていた作品集『Time goes by…』(旧版は2009年、ぶんか社から出版)の復刊を企画した人物がいました。代官山 蔦屋書店でアート分野を専門としていたコンシェルジュです。

同氏の企画は、同作の復刊だけではなく、復刊を記念した原画展やイベントを同時に開催するというものでした。間違いなく注目を浴びるだろうという自信と、必ず成功させようという強い意志があったのでしょう。

当時、旧版の古書価格は5万円前後と高騰していたことから、提案を受けた永井先生自身も企画の成功の可能性を感じたといい、復刊企画はめでたく成立。『Time goes by…』の復刊と、約2週間にわたる復刊記念原画展「Penguin’s Vacation Book Store」の開催が決まりました。

原画展の開催が決まった時点で、残された期間は長くありませんでした。復刊ドットコムでも編集作業が急ピッチで進められ、同書の復刊は2ヶ月あまりで実現。原画展や、期間中に行われたイベントは大いに盛り上がり、代官山 蔦屋書店での永井先生の展示会はその後、毎夏の恒例となっていきました。

復刊を担当した編集者は、当時のことを次のように振り返ります。

「時代が一巡して、再ブレイクする空気感を感じ取っていたコンシェルジュの方の慧眼はすごいなあと思います。上からの指示ではなく、自由な発想ができるコンシェルジュが当たり前に存在していたということも、当時の蔦屋書店の強みであり魅力でしたよね。」

情報感度の高い客が集う代官山 蔦屋書店での成功は、永井先生の作品が認知される大きな契機となりました。これ以降、若い世代を含め、幅広い年代での人気はますます高まっていったのです。

「本」が持つ、訴求力

ところで、イラストレーターや画家にとって、直筆の絵そのものへの関心が高まり、展示会で絵が売れることは最大の関心事だといいます。

しかし、作家が生涯に描くことのできる絵の点数も、絵を鑑賞したり、購入したりできる人の数も、決して多くはありません。では、作品の魅力を伝え、広める役割を担うものは何でしょうか。

永井先生と担当編集者は、両者口を揃え、最も優れた手段は「本」であると答えます。

永井先生の作品集は、判型をはじめとする造本や仕様に特にこだわって制作されていますが、本の仕様にこだわれば、その分、手間もコストもかかります。

それでも、編集者ができる限り要望に応え、理想の形に近づける努力を惜しまないのは、人が本に対して本能的に感じる信頼や価値を信じているからに他なりません。

永井博の作品集の一部 
(左)自薦ベスト作品集・初回限定版の造本には、布クロスと「題箋貼」を採用した。
(右)アナログレコード7インチサイズの作品集。音楽と関わりの深い永井博ならではの仕様。

担当編集者は、作品を届ける手段としての本について、次のように語りました。

「構造的な変化が生じない限り、本の手触りや俯瞰性、本を手にした人が感じる安心感といったアナログな部分の魅力はなくならないはずです。だからこそ、作家の表現の受け皿としての本の存在を、常に提示していきたいと思っています。」

デジタル全盛の時代において、作品を披露する場は多岐にわたりますが、理屈ではなく、直感的に人の心に訴える本の力に共感する人は多いのではないでしょうか。

永井作品を次の世代へ

さて、『Time goes by…』が復刊した2017年以来、作品集の制作に一貫して関わってきた担当編集者と永井博先生の間には、個人レベルでの深い信頼関係が生まれていました。今や編集の仕事にとどまらず、永井先生の作品利用のオファーなどへの対応を行うこともあるといいます。

一朝一夕には築けない関係性のなかで、担当編集者は、永井先生との仕事についてある思いを抱くようになりました。それは、永井先生の作品を次の世代に受け継ぐ手伝いをしたい、ということです。

シティポップが流行した時代からおよそ半世紀。時代が巡り、再び脚光を浴びている永井先生の作品は、すでに流行の域を超えた作品価値を獲得していると言っても過言ではありません。

ですが、ここからまた次の世代へと長く受け継いでいくことで、永井先生の作品はさらなる普遍性を帯びていくはずだ、と担当編集者は語ります。

そのための過程で、作品集の存在は欠かせません。
作品集は、作品を収める“箱”であるだけでなく、作品を世に送り届ける“船”。
永井博という作家の想いに耳を傾け、寄り添うことで生まれる作品集は、ゆっくりと、それでいてたしかに、遠い未来へと作品を届けてくれることでしょう。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、ものごとの〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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