見出し画像

京都の「一見さんお断り」の裏にみる人間への果てしない信頼 【世界は畸人で満ちているvol.2】

大学卒業後、京都に和菓子職人の修行に出向いたものの、2ヶ月で倒れてしまった私。
ただの虚弱、されど虚弱。いまの状態で和菓子職人見習いを続けるのは無理だということで、そのまま店を去ることになった。

そんな私を、職人長が食事に誘ってくれた。

職人長が指定した場所へ行ってみると、それは、路地にたたずむ小料理屋だった。いかにも京都らしい、こじんまりとしているが気軽には立ち入れない敷居を感じる、そんな店だ。少なくとも、大学を出たばかりの小娘がふらりと入って飲める雰囲気ではない。

店内は、カウンターが数席のみ。女将が一人でとりしきっているが、奥には料理人がいて、おいしいものを食べさせてくれる。職人長の行きつけだという。おとなだ…。

なんせ2ヶ月しかたっていないため、職人長と私は、まったく打ち解けた関係ではない。共通の話題もなければ、どんな顔をして飲んでいいかも分からない。ところが、そこに女将が入ることによって、流れるような会話がはじまった。我々は、ただ女将に身を委ねていればいいのだ。なんてありがたい。人見知りやコミュ障の人間は、女将のいる店へ行くべきだ。いや、むしろ日常生活に女将がおりてきてくれたらどんなに助かるか。

そんな二人羽織的な会話のなかで、職人長が「もっと気をつけてあげればよかった」と、私が倒れたことを申し訳なく思っていることが分かった。

いやいやいやいやいやいやいや、虚弱な身での無謀な挑戦の結果ですから!
たしかに、30kgの材料(豆一袋)をかかえて駆けまわるのはきつかったですけど!
朝は早いけど夜中まで残業するわけではないし、ちゃんと休日もありましたし!
身体を鍛えることもせず、休日にはパック酒飲みながら町を放浪していた私もどうかしてますし!

いずれにせよ、そんなふうに思っていただけるなんてありがたいことである。一人では来られない、素敵な小料理屋に連れてきてもらっただけで、もう充分だ。

と、満ち足りた気持ちで、和菓子に惚れ込むきっかけとなった京菓子との出会いや、大学の近くの和菓子屋で職人見習いをしつつ製菓衛生士の資格をとったこと、大学では卒業論文で和菓子の研究をしていたことなどをぽつぽつと話した。

と、そこで女将が、
「うちのお客さんにも和菓子を研究している方がいてはります」と、教えてくれた。
「え…」である。

よくよく聞いてみれば、それは私が尊敬してやまない和菓子研究の大家なのであった。あれよあれよという間に、女将がその方を紹介してくれることになり、私は日をあらためて、お店を訊ねることとなった。
挫折した小娘への職人長の心遣いが、もはやこちらからお礼をしてもしきれないほどの出会いにむすびついたのである。職人長は、「よかった」と頷いていた。

後日、私はその先生にお会いし、家にお邪魔する機会までいただいた。女将には手土産や手紙のやりとりの仕方をさりげなく教わったし、先生には「資料が必要だったら差し上げます」と、過分な言葉をかけてもらった。そのすべてが、不思議な夢のようだった。

「一見さんおことわり」が生きる排他的なイメージのある京都のコミュニティではあるが、裏をかえせば、信頼にもとづいた人々のなかでは濃厚な情がはりめぐらされていて、彼らの紹介をとおした相手の年齢や肩書き、経歴は一切不問なのである。「人間」への信頼度がそんなに高いコミュニティって、ほかにあるだろうか?京都人の人間観は、かなり先進的で、かつ成熟しているのかもしれない。

少し先回りして言うと、結局、私は1年で京都を離れることになり、まったく別の論理で成立するアカデミアのコミュニティに取り込まれていく。不器用な私は、京都で得られたご縁と両立させることができず、うまく活かすことができなかった。私がもがいている間に、お店は閉まり、先生は亡くなった。

今でも、京都の内側に入れてもらった、あのひとときを忘れることはない。あのまま京都に残っていたらどうなっていただろうか、とパラレルワールドを思う。はりめぐらされた情のなかで緊張感をたもちつつ、誇り高く生きていたのではないだろうか。

こんなぐうたらになってしまって、申し訳ない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?