2011年のラオス ④ ルアンパパーンからのボート旅
ラオスのルアンパパーンからメコン川を遡るボートで旅をしました。
目的地はタイ北部のチェンコーンの対岸のファイサーイという町。
1泊2日のボート旅になりました。
長い一日の始まり
朝8時過ぎにルアンパパーンを出発したボートは、茶色く濁ったメコン川を遡ります。
ボートには飲み物とスナック菓子が売っていましたが、食事はない様子。
途中でどこかに立ち寄って休憩がてら食事できるだろう・・・
と、私は気楽に考えていましたが、あとで後悔することになるとはその時は思いもよりませんでした。
朝は曇り空でしたが、日が高くなると天気は良くなって、静かな川に場違いな大きなエンジン音を響かせながらボートは進みます。
今日の目的地はパックベンという村。
日が暮れる前に到着するとのことですが、まだまだ先は長いです。
やがてボートは小さな船着き場に着きました。
何も無い船着き場で、物売りに来る人どころか誰もいない船着き場で乗客の一人が降りました。
退屈と空腹
乗客が降りるとすぐさま出発。
休憩などしません。
ボートには欧米人のグループが数人乗っていて、彼らは朝からずっとビールを飲んで陽気にはしゃいでいます。
地元のラオスの方々は、彼らを迷惑そうに思っているだろうな、と思いつつ、私はビールを飲む気分にもならす、退屈な時間を過ごすしかありませんでした。
やがて昼を過ぎ私は空腹になりましたが、ボートは途中休憩する気配もなく、食料の調達もできません。
しかたなく私はボートで売っていたスナック菓子を買ってしのぎましたが、このまま夕方まで我慢の時間が続くことになるなら、ボートに乗る前に食料を買っておけばよかったと思いましたが、あとの祭りなのでした。
私の空腹と退屈が限界に達したころ、ようやく今日の目的地、パックベンに到着しました。
パックベンの夜
ボートを降りるとゲストハウスから客引きの人たちがやってきて、私もその人達に囲まれました。
ここから先に向かうボートは明日の朝までありませんし、このボートの乗客全員がどこかのゲストハウスに泊まるしかないわけです。
そんな客引きの皆さんのなかに、小学校高学年くらいの少年の姿が目につきました。
大人の客引きに比べてその少年はあきらかに不利な様子でしたので、なんとなく気になった私はその少年に近づいてみました。
「ボクの家の部屋は綺麗ですよ。安いし是非見てください」
・・・まぁ小さな村なので、どこのゲストハウスも大差ないだろう、と思って少年の案内で彼の家=ゲストハウスに荷物を降ろしたのでした。
少年の家のゲストハウスでは食事ができないとのことなので、街道沿いの宿場のように立ち並ぶゲストハウス兼レストランに入り、なにはともあれビールと食事。
ラオスでカオニャオ(もち米)を注文するといつも大盛りで出てくるのですが、腹ペコの私にはこの大盛りがありがたく、豚肉のナムトックをおかずにカオニャオをモリモリ食べて大満足でした。
パックベンの朝
ボートの旅疲れでぐっすり眠った翌朝。
パックベンの村を散歩してみました。
昨夜は真っ暗だったので気が付きませんでしたが、朝は市場が出ていて賑やかな雰囲気です。
托鉢のお坊さんたちもやってきました。
12月の初旬でしたが、この朝は結構冷え込んでいて、気温はおそらく15度前後だったのではないかと思います。
ボート旅二日目 ファイサーイへ
やがてボートの出発時刻になりボート旅二日目の始まりです。
目的地はタイとの国境の町、ファイサーイです。
今はラオスとタイを結ぶ立派な橋が完成して、両国の国境越えは橋を渡って行き来するのですが、2011年当時は渡し船でラオスとタイの国境を渡っていました。
渡し船で国境を超える・・・
今ではできなくなった貴重な体験に私は興味をそそられて、このボート旅を計画したのでした。
初日の空腹との戦いで学んだ私は、ボートに乗る前に食料を調達して万全の体制で二日目のボート旅に望みました。
初日と同じく淡々とボートは進み、名もなき船着き場に立ち寄って少ない乗り降りがあり、またその先へ・・
特に変わりない退屈なボート旅でしたが、初日に比べて心に余裕があったのか、意外と早く時間が過ぎていきました。
ファイサーイ
自然のままのメコン川の川岸に、護岸工事をしている箇所が初めて現れて、川岸に集落が見え始めました。
どうやらファイサーイに近づいたようです。
対岸はタイのチェンコーン。
メコン川を二日間かけてようやくここまでたどり着きました。
すっかり日が暮れてしまいましたので、この日はここで宿泊します。
近くのゲストハウスにチェックインして今回の旅のラオスでの最後の晩餐。
中華なメニューがあったので海鮮焼きそばとビールが美味しかったです。
渡し船でタイへ入国
翌朝、ファイサーイの散歩をしてみました。
この旅の間、毎朝早く起きるのが習慣になっていました。
小さな町にも立派なお寺さんがあるようで、丘の上に向かって真っ直ぐな階段がありました。
かなり高い場所まで続く階段をゆっくりと上ってみました。
上から振り返るとメコン川が見えました。
対岸はタイなのですね。
朝日が昇ってくる丘の上にそびえる仏塔が美しく輝いていました。
川岸にラオスのイミグレーションがありました。
今はタイとラオスを結ぶ第4友好橋で行き来をしていますが、当時はまだその友好橋の建設途中でしたので、昔ながらの渡し船で国境を渡っていました。
そう言えば、昨日ファイサーイの近くで護岸工事をやっていたのは友好橋の建設現場だったのですね。
ボートの上の私はそのことを知らずに工事現場を眺めていましたが、その数年後に立派な友好橋が開通することになっていたというわけでした。
渡し船のイミグレーションで出国手続きを済ませたら、私は誘導されるままに船に乗り込みました。
ラオス国旗を掲げた船はゆっくりと岸を離れて対岸のタイのイミグレーションに向かいました。
あっという間に対岸に到着。
船着き場はタイのイミグレーションです。
空港などと同じように入国手続きをしてタイに入国完了です。
そこはタイのチェンコーン。
その先はチェンライ。
メコン川を挟んでわずか数百メートルしか離れていないラオスからタイに渡ってきたのですが、なんだか急に現実世界に戻ってきたような違和感を覚えました。
私の旅はこのあとチェンライまでバスで向かい、チェンライで2日間過ごしたあと、チェンマイにいる知人家族に会いにいきました。
チェンマイでは知人家族の案内で郊外の温泉や市内の観光をしたのですが、今回の旅の話はここでおしまいにします。
あの当時、時間ができるとラオスにばかり出かけていました。
中国による高速鉄道の開通で、ますます発展を続けるラオスですが、ひと昔前のラオスには発展開発とは無縁な静かな時間が流れていたように思います。
ラオスを巡るひと昔前の旅の話シリーズ、また別の機会に次の旅の話を書いてみようと思っています。