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葉桜(次七)

日記。

あなたが談笑する窓際にあるゴムの木。
あなたが初めて涙を流すときある手元の本。
散り際に何色と問われたなら、
あなたは何と答えるでしょう。

高校生のころ。
前髪を眉の上で切り揃え化粧して通学していた。
なんだかしっちゃかめっちゃかな化粧だったけど、切実な思い入れがあってとにかく顔を好きに『武装』した。
私立の共学、イケイケなクラスメイトたち。いつだってノリノリでその化粧の仮面の陰鬱な意味なぞ彼ら彼女ら知る由もなく。
けれど当然、もともと化粧していた訳ではなく、
2年生になったある日から急にそうしたので、
俗に言う「いじれない」価に突如至った。

学校がそれからすこし楽になった。
反対にそれまで苦しい毎日だった。
アウトサイダー然を纏うことにより、
なんとか身を護ろうという働きかけ。
そして微細な劣等感と向き合い執着した。
 
「頬と額にある黒子を隠して、生まれなかったことにしよう」

当時の日記を読むと意味不明だけど、
なんだかあの時の気分がよくわかる。
少年はギターを弾き写真を撮っていた。

漠然と夢が「先駆者になること」だった。
ぼんやり、マドンナに対してのデボラ・ハリーみたいなもん。
ばかみたいに絵空事ばかり、平たく言うと何にもなれそうになかった。

出会わなければよかった人がいる。
どうしようもなく思い出す彼彼女。

成人式はノーメイクで出た。
それきり化粧はあまりしなくなった。
髪はあいかわらず自分で切っている。
ずっと、あれからずっと。

あの春は軒先で切っていた、下宿平屋の日々。
エンケンさんの「夢よ叫べ」のジャケットみたいに、時には恋人に手伝ってもらったりしていた。
今は年季が入ってきて風呂場でひとりこなす。
いやになれば丸刈りにしたらいいのだから。

この世の中を憂うむきもあれば、
今高校生ならどんなにいいかと、
思いを馳せる男性もここにいる。
日陰の直方体、冷酷な視線の束。
うちらも待ってる、話しかけてくれること。
そんな日がくると思ったよってね。
夜に負けるな友よ夢よ叫べ。

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「結局みんな正論かざして自分の話しかせんよ」

過日、友人の言葉。
わたしはあれから悩むお年頃となった。
変形するゴム状、ではなく岩石の悩み。
自分と家族と、今までとこれからのこと。
硬い足踏みと動悸の中くらくら心に残っている。

目がぶどうの剥き身のようだから「ぶどう」。
白黒でマスクしたような模様のが「マスク」。
もう一匹、白黒の臆病なのは「エルザ」。
年寄りでいつも寝ているのが「じいちゃん」。
黒いのは「クロちゃん」白いのは「シロ」。
あと別の大人しい白黒のが「パンダ」。
頭を撫でるとあくびする。
気持ちいい気持ちいいね。

3年ほど前まで住みついていた下宿先、木造の一軒家は、やけに広い玄関と中二階、軒先の雪柳とライラック、路地裏の家で、猫がたくさん居た。
たばこを吸いながら猫の戯れを中二階や縁側で見ていた。
どうやら2軒先のごみ屋敷の人が集めてくるようで日増しに増えていく。
猫の他にも、自転車、車椅子、ベビーカーなどなど、車輪のついたものを中心に路地のそこ一帯は物だらけ。

「窓あけとくと毎晩コウモリの群れが入って弱るんね」
急角度で話しかけてくるおじさん一人。
ごみ屋敷はそのおじさんとお母さん、
二人三脚で作られていくのだった。
夜、資源ごみの日になると、
二人してせっせせっせ働く。

朝、せがれは猫とよく口喧嘩していた。
学生していたのだけど家を出るのが怖かった。
今度は何を…と友人らも多少おののいていた。
「上半身裸のおばあさんがフェンスにちくわ干してる…」
なんでも、だるま弁当だか峠の釜めしだか、
駅弁の概念を考えついた人らしかった。
本当かな、とにかく中心街にある路地、
言うなれば地方都市の駅前一等地の借家。
突然、時の止まった袋小路の人猫模様。

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「うどん屋っつんはどこかわかるかい」

これは先日のこと。
わたしは過日のっぴきならず療養の期間があって、
家にもいたたまれずサイクリングばかりしていた。
今も名残があって時折、日がな通院と猫のぞき。
真昼のバス、泥の痕。

話しかけてきたそのおじさんは、
わたしのことを「旦那さん」と呼んだ。
なんだか『マッチ一本の話』みたいだ。
時空をこえ自分に話しかけられたよう。

「何撮ってるの?何かいるん?」

「くもの巣を」

おじさん、自転車をとめ近づいてきた。
淋しげでとても変わった人だなと思った。
なんせこのおじさんは自分自身なので仕方ない。
長話の予感を受けとめようと思った。

「そこへ看板はあるんだいね『うどん』って。
JAにも品物はあるんだけどこの辺へ店があるって。
どこなんだがな、見つからなくっているんだけど、
どーも休みかしんないんだいね。知ってる?」

よくしゃべる。
たばこに火をつけてる、煙が葉桜に映える。
金コウモリでなくウィンストン。
禁煙する直前よく吸っていたな。

「たばこ、今いくらくらいですか?」
と訊くと、

「500円、たばこ代だけで月15000円さの」
と言う。

「そのうどん屋もしかしたら向こうの方かもしれません」

「行ってみるかの」

すっかり相棒となり並んで自転車をこぐ。

「どこへ行ってきたん?学校?」

「猫が好きで猫見に行ってきたんです」

「ほれ、うちは猫9匹いらいの」

「いいですね」

「今度遊びにきないね」

「はい」

自転車をこぎながら会話をし烏をみる。
あぁ、今日はつくづく出かけてよかったなぁ。

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あの頃よく中二階でごろごろ寝ていて、
目前のモルタルアパートの合間から、
大家さん夫婦が縁側でお茶してるのを見てた。
わたしは窓をあけ、しきりにたばこを吸った。
ギター弾いて、本読んで、たばこ吸えば幸せ、
雪柳に頭つっこんでから出かけて、
同じようにして帰ってきていた。
玄関は白い花びらでいっぱい、
そういう頃があった。

「どこまで行くん」
と訊くので、

「本屋さんまで」
と言った。

「本屋はどっちだい」

「この道まっすぐです」

「おう」

あなたが談笑する窓際にあるゴムの木。
あなたが初めて涙を流すときある手元の本。
散り際に何色と問われたなら、
あなたは何と答えるでしょう。

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よくパンダと一緒にいた。
大人しくてぜんぜん鳴かなかったパンダ。
引っ越しを境に別れたが今もそこに居る。

「アラきれいに座ってるんね~」

久しぶりに会ったパンダは喪主のように佇んだ。
あの朝は雨上がりで、夕立があり夜にまたやんだ。
満月でね。なつかしいなぁ。
ぽたぽたと漏水した水が、
頭のシンクに垂れ続ける。

「息子や孫は猫いやがるんだいの」

「そうなんですか」

「壁紙だ柱だ、みんなぼろぼろさの」

ぶどうはよく墓やドブにいる。
マスクはどっかの屋根だとか。
エルザは木にかくれている。
じいちゃんは道端で寝てる。
クロちゃんはあっちこっち。
シロも墓でよく遊んでいる。

「ども」

側道の古着屋の脇にある分れ道で、
急に脱力し、おじさんとは別れた。
うどん屋ってどこにあるんだろう。

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出会わなければよかった人がいる。
どうしようもなく思い出す彼彼女。
その存在のあたたかだった風景。
なくした針は、君の胸になれ。
葉桜の頃、もう大人なのだから。

帆布次七
柿の種はわさび味が好き。

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