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短篇小説「おばかさん」 第1回『とんぼとセーラー服』(白木 朋子)

 一九九六年八月四日、父ちゃんの大好きな俳優が亡くなった。そのことを父ちゃんが知るのは少し後のことだ。
 同じ日に、僕は生まれた。父ちゃんと母ちゃんにとっては十年ぶりにできた、初めての息子だ。
 その日は日曜日で、父ちゃんは仕事の付き合いでゴルフへ行く予定だった。前の日の夜、父ちゃんは寝室の隅に立てかけている真っ白いゴルフバッグを玄関先に出しておいた。そして小さくため息をついた。お腹の大きい母ちゃんは、汗をかきながら父ちゃんのゴルフウェアにアイロンをかけた。小学四年生の姉ちゃんは、明日は大河ドラマの放送がないと知り、ふてくされて夏休みの宿題の絵日記を書いた。

 八月三日(土曜日)
 今日はとても悲しいニュースがあります。明日の大河ドラマはオリンピック中けいでお休みだそうです。私はマラソンより、秀吉が見たかったです。秋のマラソン大会も好きじゃないし、人が走っているところを見て楽しいと思ったことがないからです。母は、「見たい」と言っています。私はたぶん見ないと思います。夕食の後、お皿洗いを手伝いました。

 その日の深夜、母ちゃんは破水して目を覚ました。三人はタクシーを呼んで病院へ向かった。母ちゃんはタクシーの窓に付いた手すりを思いっきり握りしめて痛みに耐えた。隣に座る姉ちゃんは、あの手すりはこういう時に使うものなのか、と妙に感心しながら見ていた。助手席の父ちゃんは新人の運転手に道案内を頼まれ、何度か曲がる道を間違えて慌てていた。そして心の中で、明日のゴルフは休めそうだ、と胸をなで下ろした。父ちゃんはゴルフが好きではなかった。特に、休みの日に駆り出される接待のそれは苦痛以外の何物でもなかった。

 朝になって、僕は生まれた。夜、母ちゃんはベビーベッドに眠る僕の小さな指を握ったり撫でたりした。そしていつの間にか僕と一緒に眠りに落ちた。
 父ちゃんと姉ちゃんは、家に帰って寿司の出前を取った。姉ちゃんの注文がなかなか決まらないので、父ちゃんは同じ握りのセットを二つ注文した。寿司が届いて、父ちゃんはテレビのマラソン中継を流した。姉ちゃんは、はじめそれを横目で見ているだけだったけれど、次第に釘付けになり、海老の握りをしっぽまで食べていることにも気づかずに夢中でテレビの中の選手たちを応援した。

 父ちゃんは、生まれてくる子どもが息子だったら、「きよし」と付けたいと思っていた。父ちゃんの大好きな俳優、渥美清に因んだ名前だ。けれどそのことを母ちゃんに話すと、そのままなんて芸がない、と言われ、渥美清の本名である「康雄」と、姉ちゃんの名前とを合わせて、「やすはる」と僕を名付けた。父ちゃんが渥美清の訃報を知るのは、その三日後、僕の出生届を提出しに訪れた区役所のテレビニュースを観た時だった。渥美清は僕の生まれたのと同じ、八月四日に亡くなっていた。父ちゃんはやっぱり僕の名前を「きよし」に変えようかと思ったけれど、出生届は無事に受理された後だった。

 野歩(のほ)と出会ったのは、小学校の入学式だった。
 体育館に紅白の幕が下り、薄紙の花飾りの付いたパイプ椅子が並べられていた。入口の外で、担任の先生が出席番号順に男女一組で並ぶように言った。僕とペアになったのが、野歩だった。細い三つ編みを二本下げた、小柄で色白の可愛らしい女の子だった。僕は野歩のネームプレートを見た。野歩は紺色のスモッキングワンピースの胸元にかすみ草のコサージュをつけていた。そして僕を見るなりにっこりと笑って尋ねた。
「こんにちは。何年生?」
 もちろんそこは新入生だけが集められた列の中だった。
「おがわさんと同じ、一年生だよ」
「どうして私の名前、知ってるの?」
 オルガンの演奏が始まって、新入生の入場が告げられた。
「そこ、おしゃべりはだめよ」と先生が僕たちを注意した。僕は列の前へ向き直って、横目でそっと野歩を見た。野歩は僕への疑問なんかもう忘れたみたいに、目を輝かせ、背筋を伸ばして立っていた。僕は体育館の中へ行進しながら、心の中で何度も野歩の名前を繰り返した。
 おがわ のほ。おがわ のほ。おがわ のほ。

 小学校を卒業して、僕たちは同じ公立中学へ進んだ。高校受験は、野歩が受けると言った学校にだけ願書を出した。
「植村君の成績ならもっと上の高校はいくらでもあるのに」と担任の先生は難色を示していたけれど、僕には関係のない話だった。
 僕が同じ高校を受験すると知ると、野歩は含みのある笑顔で僕を見つめた。そしてプラスティックの蓋を外したソフトクリームをツノからゆっくりと口へ入れた。僕たちは下校途中に近所の公園でアイスを食べるのが好きだった。
「やっぱり、ヤスハルもあの噂に惹かれたんでしょう」
「噂?」
「あの高校、答案に自分の名前だけ書けば入れるって」
 いたずらっぽく笑って、野歩はこうつぶやいた。
「ヤスハルってほんとう、おばかさんね」

 僕たちが入学したのは、世田谷のアヘン窟と言われた高校だった。もっともそれは比喩だと分かっていたけれど、入学式の朝、僕が登校すると、一年生の教室前で教師や生徒たちが呆然と立ちすくんでいるのが見えた。僕たちの学び舎は窓がすべて割られ、とても気持ちの良い風が通っていた。壁には、僕にはとても直視できないような言葉たちが一面にスプレーで落書きされていた。それは先輩方からの温かい歓迎の意だと僕は理解した。
 野歩と僕は三年間一度も同じクラスにならなかったけれど、僕の生徒会の会議が休みの日には、学校の裏の文房具屋で待ち合わせて一緒に下校した。
 そして三年生になり、一学期の終業式を終えた帰り道、僕は野歩に誘われていつもの公園へ立ち寄った。塗装の剥げかけたパンダとキリンの乗り物にそれぞれまたがって、僕たちはコンビニで買ったアイスを食べた。
「この子たちって、あたしたちが小学校の時からいるよね」
「野歩がアイスって言う時は大抵ここに来てるよな」
「あのコンビニのソフトクリームがいちばん好きなの」
「で、いつもパンダだ」
「違う、ヤスハルがいつもキリンだから、あたしは残ったパンダなの」
 小学一年生の放課後、初めて野歩とこの公園へ来た。その時、野歩が真っ先にパンダに抱きついて、日が暮れるまでずっと乗っていたから、僕はそれ以来、迷わずいつもキリンに乗る。
「ヤスハルは大学決めた?」
「進路希望は適当に書いて出したけど」
 それは高校受験の時のような、教師との面倒な問答を避けるための策だった。  
 進路指導の担当教師は、僕の志望校を見ると興奮気味に手を差し出した。
「うちみたいな学校からこんないい大学に進学してくれるなんて。あなたはこの高校の誇りだわ」
 教師に無理やり手を取られ、僕はされるがままに腕を振ったり下ろしたりした。まだ受験もしていないのに、すでに僕は「いい大学」に「進学した」ことになっていた。そしてそれはおそらく現実になるだろうと思われた。僕がその大学を受験しさえすれば。
「ヤスハルは行きたいとこならどこでも行けるもんね」
 僕の行くところは決まっている。それは偏差値の高い大学や、誰かの期待に応えるために行く場所ではない。
「あたしなんて、お父さんもお母さんも先生たちも、野歩の頭じゃ行ける大学はないから受験は諦めなさいだって。ひどいでしょ、ばかは勉強しちゃだめってこと? じゃあばかは一生ばかのままじゃない」
 野歩の人差し指に溶けたソフトクリームが垂れた。
「あたしね、勉強してみたいことあるんだよ。ヤスハルにだけ話す。ううん、話したいから、聞いてくれる?」
 とんぼが飛んできて、野歩のセーラー服の肩に留まった。野歩はそれには気づかず、人差し指のクリームを愛おしむように舐めた。野歩が視界に入れて、唯一平静を保てる虫は蟻だけだ。羽のある虫なら全て、野歩は一目見るやいなや暴れて泣き叫び、時には気を失うこともある。僕は野歩がその招かれざる客に決して気づかないように、注意して視線をそらした。
「あのね、勉強したいっていうのは」
 野歩が言いかけた時、小学生の男子たちが野歩の方へ駆け寄ってきた。止めようとした僕の手も間に合わず、彼らは野歩の肩を指して無邪気に叫んだ。
「とんぼだ、おっきい」
 その後の惨事については、語るのはやめておこう。可愛い野歩の、悪夢のようなあの形相を思い出すことは、僕にとってもショックが大きいのだ。つまり僕は野歩の話の続きを聞けないまま、野歩を家まで送り、おばさんにすいかをご馳走になって帰ってきた。野歩が振り回して飛び散ったソフトクリームが制服のシャツに染み込んで、僕の腕や胸のあたりから甘い匂いが漂っていた。

 野歩が進路希望の紙に「こどものきもちがしりたい」と書いて僕に見せてきたのは、二学期が始まったばかりの蒸し暑い朝だった。紙には、何度も書き直したようなシワや消し跡が残っていた。野歩が一生懸命悩んで、書いて、消して、また書いて、と繰り返した時間を、僕は思った。
 僕の行くところは決まっている。それは野歩のいる場所だ。大きな虫が羽を広げて野歩に近づこうとするのなら、僕はその羽を掴んで虫の背中にまたがり、野歩からできるだけ遠い場所へ虫を操縦する。甘いものの好きな野歩がその香りに誘われて蜂の巣に迷い込んだなら、僕も巣の中へ飛び込んで蜂蜜まみれの野歩を救い出し、蜂たちにまた野歩が近づいてきても絶対に中へ入れないように、きつく言い聞かせておく。そして野歩が学びたいというのなら、僕も同じ場所で学ぶ。野歩のいる場所が僕のいるべき場所であり、僕の隣はいつだって野歩のためにある。

 そして、僕たちは同じ大学に入学した。僕はフランス文学科の四十人ほどの学生のうちの一割未満、つまり学科にたった三人しかいない男子の一人だった。僕がその学科を選んだ理由は、ただひとつ。受験前に忍び込んだキャンパスでの実地調査で、野歩の志望する児童心理学科と一番近い場所に教室を持つのがフランス文学科であると判明したからだ。
 四年生の前期が終わる頃、野歩の留年が確定した。卒業に必要な単位数が圧倒的に足りなかった。
 そうと知って、僕は後期の授業を全て欠席した。そして大学構内のあらゆる禁煙エリアで煙草を吸い、えさやりを禁止されている野良猫を駐車場で多頭飼いし、学長の車のタイヤに穴を開け、それらの現場写真をあたかも他人が撮ったかのように捏造して大学事務室へ匿名でファックスを送り、ついに秋が深まる頃、僕は念願の停学処分になった。野歩と一緒に留年するためなら、ためらうことは何もなかった。ばかは一生、ばかなのだ。

                         (第2回へつづく)

*しらき ともこ
東京都在住。夏のセーラー服は肩がとても暑いそうです

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