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顛末書(インターネットウミウシ)

※編著者補足:本記事は、幌呂垣邸造『三々五々兵衛捕物控』の内容を確認した後、事件発生当時の状況と顛末書を読むことをお勧めする。

『顛末書』インターネットウミウシ
初出『吹けよ春風』WebZINE 令和三年四月復刊号


 水上バスが動き出すと、浅草が少しずつ遠ざかって行く。
 デッキにいた吉郎がこっちに走ってくる。
「なんかどえらい風吹いてるよ!」
「ごめん、これ今すんごい良いとこなの。」
「何読んでんの?」
「なんか、捕物帳なんだけど、主人公の岡っ引きが自業自得で酷い目にばっか遭うの」
 吉郎は私が持っている本の表紙を覗く。
「三々五々……変な名前だな……。今はいいじゃん。外出ようぜ。」
 私は読みかけだった文庫本を閉じ、鞄にしまう。
 お客さんもみんな外にいるし、大した荷物も持ってきていないので、そのままデッキに出た。
 あたたかい風がふわりと吹いて桜の花びらを舞いあげる。
 数人の乗客が「わあ」と声をあげ、スマホのカメラを向ける。
 吉郎が私にスマホを向けシャッターを押す。
「ちょっと、急に撮らないでよ。」
 吉郎は「えへへ」と笑っている。
 正直、久々に誰かと外出できていることに高揚していた。
 この1年間、東京都から出ていない。
 実家にも帰れていないし、サークルのみんなともほとんど会わなくなった。
 ちゃんと会って話したのは妹のいつきと友達の吉郎くらいだ。
 吉郎は地元にいた時からずっと一緒だ。まさか大学まで一緒になるとは思わなかったけど。
 友達というか、腐れ縁。
 それ以上の関係にはならないのかな、と思うとちょっと寂しい気持ちもある。
 吉郎はいい奴。だけど何を考えてるかわからない時がある。
 今日も吉郎に誘われて浅草から浜離宮までの水上バスに乗った。
 テンションが上がってるのがバレたくなくて、そんなに興味のない本を読んで平静を装った。
 実はかなり気合いを入れてオシャレしたのに、吉郎は気付かずにカモメの写真ばかり撮っている。
 私は、カモメに負けたのか。
「あのさ……ちょっと、いいかな。」
 急に真面目な顔で、私をジッと見て言う。
「今日さ、三枝に言いたいこと、あるんだ。」
 吉郎の顔は紅潮している。うつむきがちに落ち着きがない。
 あれ、と思った。この雰囲気、まさか。
 そういえば吉郎も普段よりも気合いの入った服を着ている。普段はジャージで大学に来るようなやつのくせに。
「言いたいことって、何?」
 私が吉郎を見て言うと、吉郎は口ごもる。
 しかし、吉郎は意を決したのか、「ちょっと来て」と言い私の手首をぐいと掴み船内に入る。
 吉郎、こういうとこあるんだ。
 私もなんだかドキドキしてきた。
 そして荷物を置いていた座席が見えてきたところで吉郎が突然立ち止まった。
 吉郎が呆然と見つめる視線の先には、ちょんまげ頭の男がオフィーリアのような姿勢で私たちが荷物の上で横になっていた。
 ちょうど吉郎が持ってきていた大きな紙袋の上に頭を乗せている。
 紙袋からは生クリームが飛び出ている。
 あれ、あのロゴ、私が好きなケーキ屋さんだ。
 吉郎は慌てて男に駆け寄って叫ぶ。
「おい!あんた何してんだ!」
 吉郎が男を揺り起こす。男はなぜかぐっしょり濡れている。
 ハッと飛び起きた男は、口から水をピュッと吐いた。
 時代劇に出てくるような着物姿にちょんまげ頭の男がキョロキョロしている。
 お洒落な和柄のマスクをしている。役者さんなのだろうか。
 そして男はすぐ近くにいた私たちをしばらくじっと見てつぶやいた。
「え?黒船?」
 違えよ。水上バスだよ。あんたが寝てたのは私たちの荷物だ馬鹿野郎。
 しかし男は詫びも言わずに「チンキチ!チンキチ!」と叫びながらバタバタと船内を歩き回っている。
 男はデッキに飛び出すと、一瞬外の景色を見て「わあ……」とつぶやいた。
 まるで生まれて初めて東京を見るかのような、そんな目だった。
 桜の花びらが舞う中、ちょんまげの男が、幸せそうな顔をしている。
 そこにスーツ姿の男がつかつかと歩いて行く。
 ちょんまげの男の肩をぽんと叩くと、二人とも突然消えた。
 慌てて駆け寄ったが、男は見つからなかった。
 振り返ると、吉郎が私にプレゼントしようとしていたであろうケーキを無言で片付けていた。

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 リモート面接が始まる10分前に起きた。
 アラームをし忘れていたのだ。
 ひとまず上だけシャツとスーツに着替えて指定されたURLにアクセスした。
 画面の向こうにはあたしの面接を担当する腹江さんがネームプレートを見せている。
 お互いに「よろしくお願いします」と言い、面接が始まった。
「じゃあ自己紹介から、お願いします。」
「四諸大学文学部三年、流川いつきと申します。」
 もはやテンプレと化した自己紹介をつらつらと口にする。
 あがり症なので、対面で人と会う時は心臓がバクバクしてしまうのだけど、リモートが主導になってからは緊張しなくなった。
 今日の面接も手応えを感じる。3次面接までは進めるはずだ。
 あたしが「御社に入ってからやりたいこと」について話していると、腹江さんが急に表情を変えた。
 何か変なことを言ってしまっただろうか、と思ったが、あたしの発言よりも画面が気になるらしく、怪訝そうな顔でまじまじと見ている。
「あの、通信、おかしかったりしますか?」
「いえ。音声は大丈夫なのですけど……。流川さん、一人暮らしとのことでしたが、本日はご家族の方もいらっしゃているのですか?」
 なんでそんなことを聞くんだろう。
「いえ、私以外には誰もいないです。」
 あたしの答えに面接官は怪訝そうな顔をしている。
 右下に映るあたしの部屋に目を凝らす。
 やはり、あたししか映っていない。
 腹江さんは何を言っているんだろうか。
 そう思った時、キッチンの方の暗がりで、何かが動いた気がした。
 思わず「えっ?」と声が漏れた。
「流川さん、どうしました?面接続けて大丈夫ですか?」
 あたしの後ろに、誰かがいる。一瞬だけちょんまげのようなものが映り込んだ。
 その瞬間、「ケエエエエッ!」と叫び声が聞こえた。
 後ろを振り返ると、ちょんまげ頭の男が顔を真っ青にして床を転がりまわっている。
 あたしも動転してただただ叫んだ。
「流川さん?大丈夫ですか?流川さん?」
 腹江さんが心配そうに声をかけるが、それどころじゃない。
 男は急にハッとし、あたしを見て言う。
「絞まってない……?」
 怯えつつも男の首を見るが、何も巻き付いていない。
 無言で首を横に振ると、男は「よかったぁ……」と胸を撫で下ろした。
 よくねえよ。面接中に勝手に出てきて奇声を発しやがって。
 110番しなきゃと思ってスマホを探していたらベランダにスーツ姿の男が立っていてまた叫んだ。
 うそでしょ。7階だぞ。なんでちょんまげとスーツに挟まれなきゃいけないの。
 スーツの男は鍵を閉めているはずの窓をスッと開けて土足のまま入ってきた。
 あたしの方には目もくれず、ちょんまげの男の前に立つ。
 ちょんまげの男はなぜだかホッとしたような顔をしている。
「先ほどは、どうも。」
 ちょんまげがペコリとお辞儀をすると、スーツの男はポンと肩を叩いた。
 その瞬間、二人は目の前から消えた。
 訳がわからなくて、スマホを持ったまましばらくぼんやりしていた。
 一瞬、しんと静まっていたが、パソコンから腹江さんの声が聞こえて我に返った。
「……流川さん、面接続けて大丈夫ですか?」
 腹江さんは心配そうな顔をしている。
 右下画面には上がスーツで下はスウェット姿のあたしがバッチリ映っていた。
 あたしはとりあえずパソコンの前に座って話し始める。
「御社に入ってからやりたいことは……」

顛末書②「T都K区F集合住宅内(幌呂垣メイロ)」

 深夜の川は怖い。
 みんな寝静まっているのに、夜の闇で真っ黒な川は淡々と流れ続けている。
 橋の欄干に掴まってじっと見ていると吸い込まれそうだ。
 いいんだ、吸い込まれてしまえ。
 みっともない自分をどこか遠くまで流してくれ。
 欄干を握る手が強くなる。
 足を伸ばして、乗り越えれば飛び込める。
 今日、大好きだったこの川が大嫌いになった。
 この日のために計画を練っていた。我ながら完璧な計画だった。
 なのに、ずぶ濡れちょんまげ野郎のせいで台無しになった。
 水上バスがお台場に着いたら、予約していたお店に行くつもりだった。
 つもりだったのに、警察署で事情聴取をされて、散々状況を説明して、全然信じてもらえなくて、結局午後9時にやっと外に出られた。
 こっちは悪いことしてないのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
 今日こそ言うつもりだったのに。
 友達以上になりたかったのに。
 ずっと横顔を見てきた。
 笑った顔も、怒った顔も、泣いてる顔も、誰よりも見てきた。
 今日、船の上から気持ちよさそうに桜吹雪を受ける横顔は美しかった。
 マスク越しでも、光を放っているかのようだった。
 思わず、スマホのカメラを向けてしまった。
 でももうこの写真を見返すこともない。
 はたから見れば、何もそんなことで、と思われるかもしれない。
 でも違うんだ。そんなことなんかじゃないんだ。
 好きで好きで好きでしょうがないんだ。
 人生を懸けてきたんだ。
 こっちのせいではないのはわかっている。
 でも恥ずかしくてしょうがなかった。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎に潰されたケーキを見た時の横顔が忘れられない。
 あんな哀しい顔、初めて見た。
 警察署を出た後も会話らしい会話はできなかった。
 お腹が空いたのにお店はどこも開いていない。
 結局近くの駅に着いて、そのまま解散になった。
    今日よりも悲しい日は、これから先も来ない。
 夜の町をうろうろして、気づいたらこの橋に着いた。
 今日が人生で一番悲しい日。
 だったら、ここでもう終わりにしたい。
 欄干を乗り越えようと足をかけた時、突然私の視界の隅に何かが飛び込んだ。
 暗がりで一瞬ではわからなかったが、人のような塊がぐるんぐるんと回転しながら川にドボン!と落ちた。
 え、何これ?
 多分だけど、落ちたのは人だ。なんだかわからないけど、すごい勢いで先を越された。
 その人は、夜の川にぷかあと浮いてそのまますーっと流れて行く。
 気づいたら、身体が動いていた。
 日中は暖かくても、やはり夜の水は冷たい。
 早くしなきゃ。もうすぐ、追いつける。
 追いついたところでどうしようもないかもしれない。
 でも、どうか、手よ届け。
 その人の服を掴んだ時、突然隣にぬっと船が現れた。
 真っ黒い、太巻き寿司みたいな船だ。
 波音を立てずにスーッとやって来る船は、浮いているようにも見えた。
 船のドアが自動ドアのように開くと、スーツ姿の男が手を伸ばす。
 なんだかわからないけど、夢中になってその人の手を掴んだ。
 そこからの記憶がない。
 気付いたら海辺の公園に寝転んでいた。
 空は少しずつ明るくなりはじめていた。
 ふと、横を見ると、ずぶ濡れちょんまげ野郎が寝転んでいる。
 なんでだ。なんでまたこいつがいるんだ。
 まさか、こいつが飛び込んだのか。
 ふざけんな、お前のせいで人生めちゃくちゃにされたんだぞ。
 殴りかかろうとした時、後ろから肩を叩かれた。
 振り返るとスーツ姿の男がいた。
 男は無言で首を横に振っている。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎がハッと起き上がる。
 そして周囲をキョロキョロと見回して、こちらに気付いた。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎はスーツ姿の男を見ると申し訳なさそうな顔になって言う。
「何度もすまんな。」
 お前何度もやってんのか。なんて迷惑な野郎なんだ。
 スーツ姿の男はゆっくりとずぶ濡れちょんまげ野郎の方へ歩いて行き、肩を叩こうとする。
 しかし、ずぶ濡れちょんまげ野郎はそれを手で制して、こちらを見て言う。
「ありがとな。あんた命の恩人だ。」
 別に恩人なんかじゃない。どちらかと言えば隣のスーツ姿の男が恩人だ。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎は、優しく、諭すように言う。
「あんた、早まっちゃいけねえよ。」
「な、何のことです……?」
「岡っ引きをなめちゃいけねえ。夜中の川を一人で眺めてる奴の考えてることなんて大体ひとつっきゃねえんだ。」
「あんただって、飛び込んだじゃないか。」
「俺とあんたじゃ事情ってもんが違えわな。」
 ずぶ濡れちょんまげ野郎は、「よっこらせ」と言い、立ち上がる。
「そりゃあ人それぞれ色んなもんを肚ん中に抱えてる。今が生きてて一番悲しい、なんて気になる時もある。」
 あんたのせいでこうなったんだよと口先まで出かかったが、なぜだかずぶ濡れちょんまげ野郎の言葉を聞いてしまう。
 こいつだって、何か事情があってずぶ濡れになったり、飛び込んだりを繰り返しているんだ。
 もしかしたら、もっと深い悲しみを抱えているのかもしれない。
「あんた。昼間にも会ったよな。あん時は相済まなかった。俺も訳がわからなかったんだ。」
 ずぶ濡れちょんまげ野郎はフッと笑った。
「一緒にいた娘さん、あんたに惚れてるよ。」
「な、なんですか!急に!」
「だから言ってんだろ?岡っ引きをなめちゃいけねえ。人を見るのにゃ自信があるんだ。試しに今日会ってみな。」
 そしてこっちをじっと見て、ずぶ濡れちょんまげ野郎は言う。
「また飛び込むかどうかは、それから決めればいい。」
 スーツ姿の男も無言で頷いている。
 日の出前の海を見つめ、ずぶ濡れちょんまげ野郎は呟く。
「吹くよ、春風は。」
 そう言った途端、あたたかい風が勢いよく吹いた。
 朝陽が昇り、ずぶ濡れちょんまげ野郎を照らす。
 どこからか舞ってきた花びらがずぶ濡れちょんまげ野郎の周りを舞う。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎は桜の花びらを見上げケラケラと笑っている。
 スーツの男もこっちを見て、微笑んでいた。
 なぜだか、笑いが込み上げてきた。
 スーツの男がずぶ濡れちょんまげ野郎の方へ歩いていく。
 ずぶ濡れちょんまげ野郎は無言で頷いた。
 スーツの男がずぶ濡れちょんまげ野郎の肩を叩いた瞬間、二人は消えた。
 ふわりと舞う桜の花びらを見ながら、携帯で電話をかける。
 4コール目くらいで、眠そうな「なに?」という声が聞こえた。
「今日、空いてる?」

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