深津容伸

「棄てられた者の行方」聖書にもとづいて小説にしました。 「海辺の町の記」ある海辺の町で…

深津容伸

「棄てられた者の行方」聖書にもとづいて小説にしました。 「海辺の町の記」ある海辺の町での体験記です。

最近の記事

悠久の流れ 14

 それは突然にやってきた。神からの指示である。しかもそれは断固としたものだった。神は言った「アブラハムよ」。アブラハムは直ちに答えた「私はここにいます」。神は言った「さあ、あなたの息子、あなたの愛する一人子イサクを連れてモリヤの地へ行け。そこで私があなたに言う山々の一つの上で彼を燔祭の犠牲として捧げなさい」。アブラハムは将来に通じる扉が目の前で突然に閉じたのを感じた。人は親を失うと過去を失う。自分の記憶に残っていない幼児の頃の自分の姿を鮮明に覚えているのは親なのだ。そして伴侶

    • 夢幻 27

       夢の中で、私は中学生だった。友人の家で彼と二人でいた。彼は学校でトップの成績の秀才だった。太平洋戦争後まだ十数年という東京では、私を含めて庶民の家は貧しい状態であったが、彼の家は広い庭の中に洋館のような造りで建っていた。父親は音楽家で、サンルームには楽譜やら黒表紙の讃美歌がピアノの上に無造作に置かれていた。讃美歌はこの時初めて見たので、何か訳の解らない歌集としか思えなかった。  夢に戻るが、私たちはアメリカの西部劇を見ていた。英語の勉強のためのものなのだろう。映像には日本語

      • 悠久の流れ 13

         その後、アブラハムはパレスチナの最南端であるネゲブへと移動した。ソドム、ゴモラの滅亡の惨状はあまりに衝撃的だった。そこに生きる何物も生き残れないことは明白だった。ロトからの連絡は途絶えたままであり、彼は甥の一家の生存については絶望せざるを得なかった。この大惨事を、彼は文明の堕落への神の審判と確信し、彼はさらに文明から遠ざかることを決意した。ネゲブはアラビア砂漠へと続く荒野だった。この地方でオアシスとなっているカデシュとシュルにはすでに住民がおり、彼はこれらオアシスの間にテン

        • 悠久の流れ 12

           ある日、姉が思いつめた顔で妹に言った「私たちのお父さんは年老いてきている。ここは人里から離れていて、町の中のように私たちのところへ来てくれるような男もいない。それでお父さんにぶどう酒を飲ませましょう。そして酔わせておいて一緒に寝ましょう。そうしてお父さんから子孫を得ましょう」。この提案がタブーを犯すもので、いかに異常であるかは姉妹にもわかっていた。父親にしても、普段のロトであれば決して応じないであろう。しかし古代からつい先頃の現代に到るまでそうであるが、女性の第一の使命は子

        悠久の流れ 14

          悠久の流れ 11

           その瞬間だった。突然に足元から突き上げるような振動がロトを襲った。背後には、今まで聞いたこともないような轟音が響きわたった。ロトは前を進む娘たちに必死に叫んだ「立ち止まって後ろを見てはいけない。絶対に振り向くな。前に向かって走れ」。娘たちはロトの叫びに押されるようにして、前に向かって急ぎ、足を早めた。しかしロトの妻はようやく町の入り口に差し掛かったところであったが、夫の声は爆発音にかき消されて、妻の耳には聞こえなかった。ロトの妻は怖れにかられ、進むことができずに立ち止まり、

          悠久の流れ 11

          悠久の流れ 10

           彼らがソドムに到着する頃には夕暮れが迫っていた。ロトは畑仕事を終えて、町の門の広場に座り一休みしていた。ふと彼が目を上げると、町の門に彼らが立っているのが見えた。その姿を見るや、ロトには彼らが何者であるかが判別できた。彼は直ちに立ち上がり、走り寄って顔を地に伏せた。そして彼は言った「どうか私の主よ。どうかあなた方のしもべの家にお越しになってください。あなた方の足をお洗いくださってお泊まりください。そして朝お目覚めになられましたら、あなた方の道をお進みください」。しかし彼らは

          悠久の流れ 10

          悠久の流れ 9

           ある昼下がりの日だった。その日は特に暑かったので、アブラハムは天幕の入り口の日陰で涼んでいた。天幕の少し前には神木として名高いテレビンの木が立っていて、その下にも日陰があった。アブラハムはその涼しげな光景にぼんやりと目をやっていた。すると突然に三人の男たちが現れてその木陰に立った。彼は思わず目を見張った。その尋常ではない現れ方で、彼は一瞬にして彼らが誰かを悟った。彼は慌てて立ち、彼らの前に走り寄ってひれ伏して言った。「何卒主よ。あなたの目に恵みを賜れますなら、黙ってここを通

          悠久の流れ 9

          悠久の流れ 8

           サラの思惑通りハガルは妊娠した。しかしハガルは自分が妊娠したと判ると女主人であるサラを見下す態度を取るようになった。社会的地位は下であっても女としては上位にあると意識したのだった。これはサラのプライドを著しく傷つけたばかりではなく、社会秩序に対する反逆と映った。サラにして見れば、自分の好意によって主人の側女の地位を与え、主人の子供を妊娠させてやっているのに恩を仇で返すつもりかということである。サラは怒りに燃え、ハガルの立場を思い知らせようと行動に移した。サラは夫アブラハムに

          悠久の流れ 8

          幻視

           私の左手横で、かつての自分が紫ののれんをくぐって、楽しそな笑顔で出てきた。何の悩みもなさそうな明るい笑顔である。私の存在には気づいていない。というかすぐ隣でありながら、そこは別世界である。かつてよく着ていた、黒地に白のストライプの入ったシャツを着ている。その時、私は思った。欠陥、障害は数々あった(亡き妻は欠点だらけと、私のことを言っていた)けれど、自分の肉体は、私にとって愛着ある離れ難い相棒だったのだ。私は自分が好きだ。特に笑顔が。妻もそう思ってくれていたのだろうか。

          夢幻 26 私、持ってます

           私はある学校を退職し、5年後に再び同じ職場に舞い戻った。着任早々に与えられた仕事は学生の就職支援だった。これは以前に勤めていた時に何度も経験していて慣れた任務だった。そして何人かの教員、職員が学生を伴って企業訪問に向かう予定が立てられていた。当日の朝、簡単に予行演習をしておくことになった。先方との挨拶を想定し、ともに立ち並んだ時、私は自分の名刺がまだ出来上がっていないことに気づいた。私は思わず「ダメだ。名刺がまだない」と大声で言った。すると端に並んでいた男性職員が「私、持っ

          夢幻 26 私、持ってます

          悠久の流れ 7

           アブラハムの妻、サラは不妊だった。古代社会の女性観ー否、現代でも人によっては引きずっている価値観ではあるがーでは、女性の最も重要な役割としてして、子供を産むことだった。夫婦に子供ができない場合、現代では、その不妊の原因の半分は夫側に問題があり、それは医学的に解明できるのであるが、古代社会では、もっぱら女性側の問題とされた(この偏見は現代でも根強い)。女性は子孫を残すという役割を前提にして結婚するのであり、それができなければ、妊娠は神の賜物であるがゆえに、神から見棄てられた女

          悠久の流れ 7

          夢幻の現実 妻が死んだ

           妻が死んだ! これは人生最大の一大事だ。まるで後ろから刀で袈裟懸けに切りつけられ、体が真っ二つに割れ、自分が半分になったような気分だ。自分が半分になってしまい、片側がスースーする。自分が半分になっても生きているのは、魂、精神が割かれただけで、体はそのままに、心臓が動いているからだ。40年間夫婦をやっていると、自分が夫婦であることが当たり前になる。何しろ、親と過ごしてきた年数の2倍近いのだ。夫としての、連れ合いの伴侶としての自分が、自分のアイデンテティとして当たり前のように、

          夢幻の現実 妻が死んだ

          悠久の流れ 6

          そのような中、バビロニアでは国外に向けての遠征が始まった。これは周辺に敵がなく、国内が安定した状態の時になされるもので、他国に金、銀、木材(木材についてはメソポタミアではすでに枯渇していた)や食料を求めて軍隊を送り込み、略奪する行為だった。こうした遠征は通常ハランと地中海沿岸あたりで終了となるのであるが、戦利品が不足していたためか、一部がパレスチナまで南下をしてきた。彼らはパレスチナの肥沃地帯に狙いを定めていた。そして真っ先にソドム、ゴモラが狙われた。これらの町は、近隣の町々

          悠久の流れ 6

          夢幻 25

           私には3人の息子がいる。3人とも成人し、それぞれに家庭を持っていた。私が昼寝をしていると、誰かが私を揺り起こした。半身を起こして見ると、私を起こしたのは長男だった。見ると次男、三男も控えていた。何事かと私は思った。長男は言った「おやじ。頼むから遺言を書いてくれよ」。私は気持ちよく眠っていたところを起こされ、機嫌が悪くなっていた。その上、話の内容が遺言と聞いてますます怒りが込み上げてきた。私は息子たちに語気を強めて言った「お前たち、俺の専門が何か知っているのか。俺は宗教家とし

          夢幻 25

          夢幻 24

           私は2歳になる息子と手をつなぎ。電車に乗った。息子は青いデニムの半ズボン姿だった。胸当て、肩紐が一体となっていて、息子が歩き始めた頃、妻が大きめのサイズを買ったのだ。そして幼稚園に入るまで着続けたが、その頃になると、友達の影響のものしか着なくなった。行先は私がかつて勤めた小さな学校だった。着いてみると校舎の外壁が輝かしい白で統一されていた。敷地外に建つまわりのビルに色が合わせられていて、まるで学校外の建物が、学校の施設の一部のような錯覚に捉えられた。「うまいことをやるな」と

          夢幻 24

          夢幻 23

           私はある家電量販店の売り場で携帯用のリチュムイオンバッテリーを探していた。尋ねた若い男性店員に案内されたのは、店内に設けられた中二階にある小屋のような建物の前だった。その中に入るためには、はしごのように急な階段を登らねばならなかった。そして登った先には開き扉があり、たくさんの売り物のカギがぶら下がっていた。店員は階段を登り、扉を開けて降りてきた。彼に代わって私が登ると踊り場があり、それは人がひとりやっと立てるくらい狭い場所だった。部屋への入口は腰窓であり、入るには、当然跨が

          夢幻 23