悠久の流れ 13

 その後、アブラハムはパレスチナの最南端であるネゲブへと移動した。ソドム、ゴモラの滅亡の惨状はあまりに衝撃的だった。そこに生きる何物も生き残れないことは明白だった。ロトからの連絡は途絶えたままであり、彼は甥の一家の生存については絶望せざるを得なかった。この大惨事を、彼は文明の堕落への神の審判と確信し、彼はさらに文明から遠ざかることを決意した。ネゲブはアラビア砂漠へと続く荒野だった。この地方でオアシスとなっているカデシュとシュルにはすでに住民がおり、彼はこれらオアシスの間にテントを構えた。
 この移転が功を奏したのだろうか、実際アブラハムはそう思ったのであるが、サラが妊娠した。三人の来訪者の言葉は夫婦には荒唐無稽で半信半疑だったのであるが、本当だった。アブラハムには世界が違って見えた。自分とサラの新しい未来が大きく開かれたという思いだった。一方で心配もあった。当時は乳児死亡率が高く、それ以前にサラが高齢だった。出産まで母体が持つかどうか、そして出産後も子供が無事に育ってくれるか、アブラハムにもサラにも気のおけない日々が続いた。当時乳離れは3歳だった。今日の社会からすれば遅いということになるが、これは乳児が母親から受け継いだ免疫力を維持するための方策だった。3歳は体力がない乳児期を子供が脱したという目安だった。しかしサラは危険な高齢出産を乗り越え、男子を出産した。これは第一の関門を乗り越えたということであり、アブラハムはひとまず安堵した。そして出産後8日目に割礼を施した。一方、サラの喜びようは手放しの状態だった。かわいい我が子の顔を見られて、黙っていても笑みがこぼれてきた。そして母親としての自覚と自信が全身にみなぎってくるようであった。サラは息子が笑いをもたらしてくれたという感謝を込めて、イサク(「彼は笑う」)と名付けた。当時は男尊女卑の社会ではあるが、家庭内の実権は妻が握っていたのであり、その象徴的なことの一つは、子供の名付け親が妻であったことである。サラは言った「神様が私のために笑顔を与えてくださった。聞く人の全ては、私のために笑顔となるでしょう」。そして彼女は言った「サラが息子に授乳するなどと、誰がアブラハムに語り得たでしょう。彼が年老いているにもかかわらず、私は息子を産んだのです」。
 そして子供は順調に成長し、乳離れした。アブラハムの喜びようは大変なものだった。彼は祝いに大宴会を開いたのであった。しかしこれは、ハガルとその子イシュマエルにとっては、自分たちが完全に隅に追いやられることを意味していた。イサクの誕生から乳離れまでをハガルは不安な思いで眺めていた。
 しかしイシュマエルとイサクは子供同士であり、大人たちの思惑など無関係に楽しく遊んでいた。この様子を冷徹な目で眺めていたのはサラだった。年長のイシュマエルは当然イサクをリードしており、イサクの上に立っていた。そして何年経とうとも、この年の差は縮まることはなく、アブラハムの死後の遺産相続の時まで続くものとサラには見えた。イシュマエルは後々までイサクの上位に立つとサラは恐れたのである。これは我が子を守りたい一心の彼女の母性愛だった。そしてサラはいてもたってもいられず、アブラハムに訴えた「このはした女と彼女の息子を追い出してください。このはした女の息子は私の息子イサクとともに財産を継いではいけないからです」。この訴えは、ハガルとイシュマエルにとっては死刑宣告に等しいものだった。アブラハムの居住地を一歩出れば、そこには荒れ野と砂漠が広がっているだけである。たとえ女性一人であっても生きていけないのが当時の社会であった。まして子供を連れ、荒れ野と砂漠でどう生きられるというのだろうか。イシュマエルはサラの提案で生まれたアブラハムの子供である。そして今は、イシュマエルがアブラハムの子であることが問題とされている。サラの母性愛は、この母子にとっては死をもたらすものだった。
 サラの訴えはアブラハムにとって、大変な悲しみと苦しみになった。アブラハムには眠れない夜だった。この苦しみの中で彼は神の声を聞いた「この少年の故に、またあなたのつかえ女の故に悲しむことはない。サラが言ったことは全て聞き入れなさい。なぜなら、あなたにとっては、イサクによって子孫が受け継がれていくようになるからである。しかしはした女の息子もまた、私は民族とする。なぜなら、彼もまぎれもなくあなたの子孫だからである」。
 アブラハムは朝早く起きた。そして水を入れた皮袋とパンを用意し、ハガルに背負わせた。アブラハムは無言だった。この母子にかける言葉が見つからなかった。なんという残酷なことを自分はこの親子にしているのか。アブラハムは悲しみで胸がはり裂けそうだった。この時ほど、家庭内での自分の無力さを実感したことはなかった。ハガルは子供の手を引き、とぼとぼと荒れ野へと歩きだした。子供は自分の運命を悟っているかのように無言だった。孤独ではかなそうな母子の後ろ姿を見送りながら、アブラハムの目からはとめどもなく涙が流れた。そして視界から消えるまで見送った。
 当然のごとく、行くあてのない母子は荒れ野をさまよった。パンも皮袋の水もなくなった。抵抗力のない子供が先に意識を失った。子供の死という、母親にとっては最も辛い瞬間が近づいていることは明らかだった。ハガルは灌木を見つけ、その木の下に息子を横たえた。そして息子から離れた。子供が死ぬ瞬間など到底見ていられなかったからである。しかし子供から離れることもできなかった。彼女は数メートル離れて座り、子供と向かい合った。母性愛の故に辛くてともにいられない、母性愛の故に離れられない、そのことをその距離が語っていた。その時だった。子供が息を吹き返し、側に母親がいないと知ると母を求めて泣き出した。しかしハガルは、どうすることもできない自分の無力さに打ちひしがれて、ただ泣くだけで動けなかった。
 しかし子供の泣き声を聞いたのはハガルだけではなかった。いつしかハガルのそばに一人の人が立ち、呼びかけて言った「ハガルよ、どうしたのだ。恐れてはならない。神はあなたたちの声を聞いたのだ。立ち上がって子供を抱き上げなさい。そしてあなたの手でしっかりと抱きしめなさい。神は彼を大きな国民とする」。それから彼は横を指差した。ハガルが目で追うとその先に井戸が見えた。彼女は急いで行き、水を皮袋に満たし、子供に飲ませた。
 神は全てのものから見放されたこの親子とともにいた。彼は成長し、荒れ野に住んだ。そして弓を使い、狩をして暮らすようになった。ハガルは自分の故郷でもあったエジプトから彼の妻をめとらせた。

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