もうすぐ誕生日がやってくる
11月に35歳の誕生日を迎える。
その息苦しさに最近ずっと悩まされている。
この感覚は、年齢を重ねることに「もう若くはない」と加齢をネガティブに捉える一般的なイメージとは趣を異にしている、と自分では思う。
35歳を若いと捉えるか、成熟した年齢と捉えるか人によって異なるだろう。
私はというと、35年も自分が生きていることに失望し嘆いている。
何でまだ生きているんだろう?
何となく5年区切りはキリが良く、イベントなど周年的要素を帯びるものであるように思う。
四捨五入すると40になるという数字的インパクトは最早恐怖でしかない。
後悔、申し訳なさ
こんなに生きててごめん
自分を恥じているということでは全くない。
最も”自分らしい姿”であった大学時代で自分の一生を終えていたかったという気持ちを、13年経った今でもはっきりと持ち続けている。
まだ生きててごめんね。
あの頃想像していた通り、社会生活は苦痛と困難だらけで、想像よりさらに理不尽で屈辱的な思いも何度も味わった。
そんな思いを自分にさせ続けていることがただただ申し訳ない。
”何でまだ生きているんだろう”
この問いの答えが永遠にずっとわからない。
「ただ死んでいないだけ」、というのよりは大分”生”に寄った日々を過ごしているのは簡単に死ねないことを知っているから。
自らの死を肌で、感覚で、実感したことがある人にしかわからないんじゃないかな。
死ねるタイミング、死に際はそうそう訪れない。
人はいつ死んでもおかしくないというのはまた別の真理。
それに”世の中”は、すぐ何でもかんでも”死んではいけない”という。
無責任な。
その人の人生を生きるのはその人自身で、他人が代われるるものでもないというのに。人の苦しみなんてその人にしかわからないのに、代わってもくれないのに何でそんなに簡単に生きろって強いるの?
もう疲れたし、飽きた。
楽しみな予定やイベントを何とかこしらえて、気分を盛り上げて自分を鼓舞して叱咤激励する、それにも限界があるんだよ。
人生でやり残したと感じるのはもう何年もずっと同じただ1つで、自分についての記録を残すこと。
それぐらいしかもう心残りはない、そう思ってもう何年も経って未だ実現できていないことにまた心底うんざりする。
だから今書いているわけで。
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手書きの日記は20年毎日飽くことなく書き続けているのに、何でnoteは続かないのだろう?
n回目のnote書きますキャンペーンを実施するしかないのかなぁ
まぁ、ぼちぼち頑張ります。
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