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#124【連載小説】Forget me Blue【試し読み53万文字】

【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村さむらと出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。

 そうして三人は家に帰り、六時まではリビングで過ごした。それから未央を誘ってようやく例の公園へ繰り出した。もうマルシェは始まっているから、風に乗ってジャズ音楽が聞こえてくる。
「俺、ジャズとか全然聴かないけど、生演(奏)は良いよね! 生演!」
「そういやお前、軽音のサークル入ってたな」
 公園に着くなり未央がうきうきした様子でそう言って、イチは笑いながら応えた。まだ完全に日は落ちていないが、気温は少し下がっていて川風が涼しい。
「今かかってる曲って、なんていうタイトルだろ? 聴いたことあるのに、思い出せない……」
 佐村が首を傾げながらそう言って、イチは「ステージの方行ってみるか」と応えて歩き始めた。この前律子と楽しんだ「ひょうたん島クルーズ」の船着場ふなつきばの手前が簡易ステージになっていて、そこでプロのジャズ歌手が歌っているのだ。会場には既に多くの客が居て、立ち並ぶテントやパラソルの下では肉料理や酒などが売られている。
「あ! かき氷があるよ! 昼間はたくさん食べたけど、かき氷ならノーカンでしょ」
「ノーカンって! まあ確かに、ゼロカロリーに近いけど……」
 そうして歩きながら、例によって食べ物を目敏めざとく見つけた佐村の言い草に、納得し掛けながらもイチは顔を顰めて応えた。すると溝口も「すだちシロップ味がありますよ! 爽やかそう」と言ったのでちょっと興味が湧いてきた。けれども先に演奏を聴くことにして、四人はステージの前に座り込んでいる観客の後ろに立った。
「次は『オーバー・ザ・レインボー』……『虹の彼方かなたに』(※ハロルド・アーレン作曲。映画『オズの魔法使い』の劇中歌としてジュディ・ガーランドが歌った)」
 歌手がしっとりした口調で次の曲のタイトルを言って、イチは「おお」と小さく声を上げた。あまりにも有名なこのナンバーは、夏の夕暮れ時に聴くのにはぴったりだと思ったからだ。
「ジャズアレンジ、良いなー……」
 しばらくしてぽつりとそう呟いた未央は珍しく遠い目をしていて、失礼だとは思ったがイチは噴き出しそうになった。けれども確かに、生で聴くジャズ演奏にはうっとりする。
 その時、隣に立っていた佐村がイチの指に指を絡めたので、どきっとして顔を見た。すると彼は優しく微笑ほほえんで見つめ返したから、不意に胸がいっぱいになり少しだけ涙ぐんでしまった……。

 次の日は、ムラケンがうどん県で映画を撮影する初日だった。不参加のイチは、昨夜寝る前に彼のSNSエスエヌエス投稿へ応援メッセージを書き込んだ——こういうのは見る専(門)で滅多に反応しないのだけれど、本当は参加したかったから気になっていたのだ。
「イチ? おはよう」
 朝食の定番メニューである「巻かないだし巻き卵」の焼ける良い香りがして目覚めたイチは、いつも通り早起きしてキッチンに立っている佐村のそばまで行きぼけまなここすった。それから「おはよう」と応える。
「よく眠ってたね。少しだけど昨日歩き回って疲れたのかな?」
「いや、それはそんなに……。多分、聡一のせいだろ」
「あはは。『聡一のせい』ってなんか可愛いね」
 佐村がそう言って、イチはぽっと頬を染めると「顔洗ってくる」と言って洗面所へ向かった。髪を縛ってヘアターバンを着けていると、佐村が「今日のTマルシェ、行くのー?」と聞いたので、少し大きな声で「どうしようかな!」と答える。
 今は朝の八時半だから既に出店準備は始まっていて、遠くから人人ひとびとの声や車のドアを開け閉めする音が聞こえていた。お気に入りのダイニングテーブルに、味噌みそしるわんや卵を載せた皿を並べている佐村の横で、炊飯器の前に立ったイチは茶碗に白米をよそった。普段と変わらない朝の風景だが、休日なので二人とも少しのんびりしている。
「今日もからあげ屋さん、来てるよね? お昼は三昧ざんまいしようと思って、ご飯多めに炊いといたんだ」
 佐村がうきうきと言ったのに、イチはくすくす笑うと「このために普段は唐揚げ買わないようにしてたもんな」と応えた。それに「うん!」と返事した佐村は本当に嬉しそうにしていて、たかが唐揚げでこんなに幸せになれるのなら、人よりずっと生きるのが楽しいだろうな、と思って感心した。イチも見習うべきかもしれない。
「しかし、今日も暑くなりそうだね。なるはやでささっと回って帰って来ないと」
「なるはやでささっと……」
 思わず言い回しを繰り返したら、佐村は真面目な顔で頷いたので「分かった。なるはやでささっと帰る……」と続けた。
 Tマルシェには手作り雑貨や子ども服を販売する店も参加していて、少し覗いてみることにした。目当ての店は、公園の対岸にあるSボードウォークの東端の「ライフスタイルゾーン」にあるから、二人は部屋を出るとすぐに商店街のそばの両国橋を渡った。
 ボードウォークは客でごった返していたから、さしていた日傘を畳んだイチに佐村が心配顔で「暑くない?」と聞いた。それに笑いながら「なるはやでささっと見るから」と答えて店に近づく。
 子ども服専門店「ばなな屋」はTマルシェのトレードマークである白いパラソルの下に大量の子ども服が詰まったかごを積んでいて、それらは男女別とサイズ別に分類され、更に上段がトップス、下段がボトムスに分けられていた。
「いらっしゃい!」
 男の子用の一番小さいサイズのかごに近づくと、店主の中年女性が愛想あいそく挨拶した。それにドキドキしながら、イチは目についた明るいイエローのTシャツを手に取った。そうしたら「何ヶ月?」と尋ねられたので返答にきゅうしていると、かたわらの佐村が「来年の三月に生まれるんです」と答えた。すると女性が「あら、まだお腹の中か。それじゃどれも着れないね」と言ったので、二人同時にぷっと噴き出した。
「今奥さんが手に取ってるの、可愛いでしょ。イエローの他にピンクもあるよ」
 女性はそう続けると、たくさんの商品の中から手早く同じデザインの色違いを取り出して広げて見せた。それに佐村が「可愛い」と言ったら、「七十サイズは肩のところがスナップボタンになってるから、着替えさせやすいの」と説明する。
「夏は汗かくから枚数要るのよね。男の子って分かってるなら、一枚買っとく?」
「う、あ、はい。じゃあもうちょっと見せて貰おうかな……」
 まんまと売り文句に乗せられた格好になったが、イチはわくわくして商品を選び始めた……。

「イチがそういうの選ぶの意外だったけど、最高じゃん。パンダ柄……」
「サムさんが好きだと思ったし、きっと聡一も気に入るだろ」
「えへへ」
 イチたちが購入したのは、身頃みごろがピンクでそでが明るいブルーのラグランスリーブのTシャツで、全体にポップなパンダのイラストがプリントされている。

「俺たちが子どもの頃は、男の子がピンク着るのって珍しかったけど、今はそんなの関係ないよね」
 佐村がそう言って、袋からTシャツを取り出して見ていたイチは「うん」と頷いた。イチ自身は黒っぽいものばかり着ているが、聡一には色鮮やかな服を着せて色彩感覚を育ててあげたいと思った。
「それじゃ、唐揚げ買って帰ろうか。未央さんにも持って行こう」
「おう」
 西に向かってまだまだ続くボードウォークには白いパラソルが立ち並んでいてにぎわっていたが、「なるはやでささっと」帰る約束だったから再び両国橋を渡り例の公園の「肉・魚・フードゾーン」に立ち寄った。佐村お気に入りの唐揚げ専門店「あるもん」の前には行列が出来ていて、それを見た彼が「やばい! 売り切れちゃわないかな!?」と叫んで心配したのでぷっと噴き出した。

「未央ー、お疲れ。唐揚げ買ってきたぞ」
「兄ちゃん! マルシェ行ってたんだね」
 一度佐村の部屋へ戻り、炊飯器の白米をたっぷりタッパーに詰めて唐揚げと一緒に駐車場へ持って行った。今日も真面目に受付の椅子に座っていた未央は、玄関ドアを開けたイチを振り返るとパッと笑顔になった。
「未央さんは食べたことありましたっけ? これ、白ごはんにめちゃくちゃ合うんですよ。ふわっとしてニンニクが効いてて……」
「『柔らか唐揚げ』だからな」
「うん。やっぱり唐揚げはころもが命だよ……」
 未央の分も買ったから、レジ袋には大サイズのパックが三つも入っていた。いつも通りふたが閉まらないほど唐揚げが詰めてあり、見ているだけで口の中がよだれでいっぱいになる。
「上で食べようぜ」
「うん!」
 イチは未央を誘うと、佐村と三人で階段を上って二階のリビングに入った。するとソファに座っている祖父が振り返って「いっちゃん、佐村さん、おかえり」と言ったが、それを掻き消すようにケージの中のペー太が「クチュクペ! クチュクペ!」と鳴いたので、思わず「めっちゃ元気だな!」と叫んだ。
「よく考えたら、ペー太の前で唐揚げ食べるのって残酷なんじゃ……」
「ぶはっ」
 うるさくさえずっている小鳥を見ながら未央が呟いたのに、イチは思い切り噴き出した。すると佐村が何でもないような顔で「そうかなあ。実家で飼ってた子達の前でも唐揚げ食べまくってたけど、全然気にしてませんでしたよ」と言ったから、やや引きながら「お、おう……」と応える。
 昼食の時間にはまだ早いが、揚げたてを食べるのが一番美味しいから、早速テーブルに皿を並べるとパックの唐揚げを取り分けた。イチが祖父を振り返り「じーちゃんも食べる?」と聞いたら、「三つくれぇな」と答えたのでにこっと笑って「分かった」と返事した。

「あー、美味しい。癒される」
「肉食系男子は、肉を食べてるときが一番癒されるのか」
 タッパーから白米をよそった茶碗を手に、一つ目の唐揚げをぱくっと食べた佐村が呟いたので笑いながら応えると、彼は「ううん。一番はこんな風にイチと一緒に居るとき……」と言ったから、ブッと噴いた。同時に唐揚げに齧り付いていた未央もゲホゲホとせたので、「大丈夫か?」と心配する。
「さ、佐村さんって……マジで容赦ようしゃなく見せつけるよね」
 冷たい麦茶を飲んでようやく落ち着いた未央が恨めしげに言ったのに、佐村はしれっとした顔で「見せつけてなんかいませんよ。思ったことを素直に言っただけ……」と応えたので、イチははあ、とため息を吐くと「こらこら、仲良くしなさいよ」とたしなめた。

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