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#282【連載小説】Forget me Blue【画像付き】

 ところで、A製作所の忘年会の会場であるホテルエストニアは、三番町商店街から少し東へ入ったところにある。内装は八十年代のままで幾何学きかがく的なデザインや、やや硬質なイメージのグレーを多用しており、ちょっぴり懐かしい気持ちになる——いや、イチが生まれたのは九十年代なのだけれど。
「それで、出前は何とるん? 流行りのオーバーイーツ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅とか……」
「オーバーイーツ? お前使ったことあんの?」
「無い無い。あんなの金持ち専用じゃん。でも、友達ん行った時に呼んだ! ◯ックの紙袋がしなしな﹅﹅﹅﹅になって破けそうなのに、ドアの前の床にじかきでさ……」
「うげっ」
「まあそーゆーことで、オーバーイーツは却下ね。もしかしたらオージーイーツ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅が来るかも知んないし、ちょっとやってみたかったけど……」
「オージーイーツ? 何だ、ライバル業者か?」
「見たことない? ママチャリ﹅﹅﹅﹅﹅の荷台に例のリュック﹅﹅﹅﹅﹅﹅載っけて配達してるおじいちゃん﹅﹅﹅﹅﹅﹅
「ブッ」
 午後五時半過ぎ、早くも腹を空かせた未央が出前の話を始め、流行の配達サービスの名前が出た。田舎のTは都会よりもずっと導入が遅かったが、近頃は街角で良く見掛ける——大抵はロードバイクに乗った若い男性だから、高齢男性が配達していると聞いてイチは小さく噴いた。
「ママチャリって……」
「ママチャリなのに格好良いヘルメット被って、荷台に紐で例のリュックをくくけて低速で﹅﹅﹅運転してるから、めっちゃ目立つんだよ。俺が見たのは駅前のM交差点と、リューの職場の近くのヘヴンの前」
「へえ、そのおじいちゃん、頑張ってんな」
「うん! 多分、運動とお小遣い稼ぎの為だろうね! 他にも、レンタサイクル﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅で配達してる女子も見た……」
「ええ、それって利益出てるんか」
「知らんけど、やってみたかっただけなんじゃない?」
 そんな風に話が脱線したが、とにかく何を頼むか決めることにした。以前、祖父がラーメンの出前を頼んだことがあったが、今日は食べたい気分ではない。悩んだ末、大手ファミリーレストランガ◯ト独自のデリバリーサービスを選んだ。
「T大学前店からだったら、ぐ来るね! えっと、俺はハニーマスタードソースのハンバーグぅ。白米と味噌みそしるのセットで」
「もっと頼んで良いぞ。ちょっと高くつくけど……」
「じゃあ、ハンバーグをもう一つ。兄ちゃんは何にする?」
「俺も同じのにするわ」
 専用アプリを操作している未央が尋ね、イチは言下にそう答えた。いつか佐村と一緒に店へ行った時、さま注文する料理を選んだイチを見て彼が驚いていたのを思い出す——随分昔のことのように思えるが、まだ一年経っていないのだ。
「よし、注文完了っと!」
「なんぼやった? 今返すわ」
 スマホを手にうきうきと言った弟に、イチは立ち上がりながらそう聞いた。すると彼は「カードの現金化じゃん!」と言いながら金額を答えた。未央は電子決済に父親のクレジットカードの家族カードを使っていて、何とそれは金色﹅﹅に輝いている。
「サムさんは何食べるんやろなあ……つってもホテルエストニアなら、そんな高級じゃないやろ」
「職場の人って中高年ばっかなんでしょ? 良かったね、兄ちゃん! 酔っ払った振りした女子﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅に佐村さんが絡まれたりしない」
「だから何でそんなに具体的なん!?」
 料理の配達を待つ間、壁の時計を見上げながらそう呟いたら、満面の笑みを浮かべた未央がそんなことを言い出して、イチは頓狂とんきょうな声を上げた。すると、彼は訳知り顔で話し出す。
「もし三好さんが同じ職場だったら、絶対その手使うと思うな。『あ〜ん、酔っちゃった〜』とか言って、佐村さんにしなだれ掛かって……」
「ブッ」
 そんな漫画やドラマみたいな展開があるはずが無い……とは言い切れないと思って、イチは思い切り噴いた後顔を顰めた。しかし幸い、三好は別の会社の人間である——そして、佐村の同僚の女性社員は軒並み五十代以上なので問題無いはずだ。けれども何となく不安になり、イチはスマホを取り上げると佐村にラ◯ンメッセージを送ることにした。もう午後六時を過ぎているから、ぼちぼち会場へ向かうところだろう。
『もうホテル着いた?』
 普段は会社を出る前にメッセージをくれるから、まだだろうと思ったがそう尋ねた。すると数秒で既読マークが付き、見ているうちに返信があった。
『今、みんなで向かってるとこ。イチは晩ごはん何頼んだの?』
『ガ◯トの宅配。未央と一緒に食う』
『えっ、未央さん居るの!?』
 何も考えずに答えてから、しまったと思ったが秘密にする訳にもいかない。しかし、佐村は驚いた様子のメッセージを送って来た後何も言わないので、怒っているのかと思って慌てた。その時、メッセージを受信したから急いで見ると、『今着いあ﹅﹅﹅』とあったのでぷっと噴き出す(急いでメッセージを入力したのだと分かる)。
「本当、好きだよね……」
「はぇ?」
 そんな呟きが聞こえ顔を上げると、隣に掛けている未央が(ちなみに更に隣には祖父が居る)自身の膝に頬杖ほおづえいてイチを眺めていた。大変﹅﹅物憂ものうげな表情である。
「何のことだよ」
「兄ちゃんは佐村さんのこと、本当に好きだよねって言ってんの。ラ◯ンしてる間、表情がくるくる変わる」
「そ、そうか?」
 自覚が無かったから、イチはぽっと頬を染めスマホを抱き締めた。すると見ていた未央も顔を赤くして、「可愛い……」と呟いたので盛大に噴く。丁度その時、ピンポン、とインターホンが鳴って、外の配達員が「ガ◯トの宅配でーす」と叫ぶのが聞こえた……。

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【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村さむらと出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。

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