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#133【連載小説】Forget me Blue【試し読み53万文字】

【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村さむらと出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。

 明くる日は佐村と一と共に、市民病院へ手術の説明を聞きに行く日だった。予約は十時からだから、佐村の部屋を出ると実家のリビングへ行った。ミニバンに一も乗って病院へ行くつもりである。
「兄ちゃああん!」
 八時前、一階でバタンとドアの開く音がしたと思ったら、未央がそう叫ぶのが聞こえた。昨夜、彼にもラ◯ンで切迫流産気味になったことを伝えたら、パンダが泣きじゃくっているイラストが十個も送られてきたので呆れたのだった。
「未央、おはよう……」
 階段の上から顔を出して挨拶すると、未央は三和土たたきにスニーカーを脱ぎ捨ててダダダと上って来た。イチの前まで来るとがしっと肩を掴み「大丈夫!?」と叫んだので、「い、一応……」と答える。
「未央さん、イチは壊れ物なので……」
「壊れ物って!」
 佐村がやって来て、イチを未央から遠ざけながら言った。すると、未央は目に涙を溜めてまた叫ぶ。
「じーちゃんが大変だったら、俺、平日も来るから! バイト!」
「ええ、そんな無理せんでも……」
 未央の申し出にびっくりして断ろうとしたら、ちょうど階段を下りて来た一が「未央君、おはよう」と挨拶して言う。
「そう言ってくれて有り難いよ。これからは時時ときどき、平日もお願いするかも……」
「分かった! いつでも頼んで!」
「本当、悪いな……」
 これから先どのくらい受付に座れないか分からないから、祖父にずっと代わりを頼むのもこくだろう。けれども未央だって忙しいのだから申し訳なかった。
「まだ出るまで一時間くらいあるね。一さん、何か作りましょうか?」
 イチと佐村は部屋で朝食を済ませて来たから、佐村が一にそう申し出た。すると一は嬉しそうになり「じゃあ、お願いしようかな」と答えた。

 今にもべそをかきそうな顔で未央は受付に座り、佐村は簡単な朝食を作りはじめた。イチは病院へ持って行く書類がちゃんとトートバッグに入っているか確認して、その後は手持ても無沙汰ぶさたになったから、キッチンに立っている佐村のそばへ行き手元を覗き込んだ。彼はフライパンでソーセージエッグを作っていて、じゅうじゅうと肉が焼ける良い香りがした。
「蒼士……ごめんな」
「え? こんなの超簡単だし、申し訳ないくらい……」
「そうじゃなくて……」
 イチがぼそっと謝ると、佐村は朝食のことだと思ってきょとんとした。それから何のことを言ったのか理解して、首を横に振る。
「イチが謝ることないよ。ちょっと頑張り過ぎたんだよね」
「聡一、死んじゃったらどうしよう……」
 とうとう、イチはずっと思っていたことを口にしてしまった。ぽろっと涙がこぼれて手でぬぐう。
「大丈夫だよ。きっと聡一は、イチに似て強い子だから……」
「うう……」
 そんな風に励まされたら我慢出来なくなって、イチは声を上げて泣いてしまった。すると、ぎょっとした一が「佐村さん、何、いっちゃん泣かしてんの!!」と叫んだ……。

 予約の十五分前には受付を済ませ、イチと佐村と一の三人は指示された診察室の前の待合椅子に腰を下ろした。今居るのは二階だが、T市民病院はY川の河川敷かせんじきのそばにあり上階からの眺めは良い。
「はあ、パパ緊張してきた……」
「何で父ちゃんが緊張するんだよ」
 一がぼそっと言ったのに、イチは苦笑して応えた。すると、ぎゅっと手を握られたのでぎょっとする。
「だって、パパの大事ないっちゃんのお腹にメス入れるんだよ? 心配じゃない訳ないでしょう……」
「あ、うん……ありがとう」
 気持ちは有り難いが、恥ずかしくて握られている手を引っ込めようとしたら、もう片方の手を佐村がぎゅっと握ったのでまたぎょっとした。
「俺も、心配だよ……。ごめんね、イチにばっかり辛い思いさせて」
「え、あ、うん。気にしないで……」
 男二人にそれぞれ手を握られて、イチ自身も男に見えるからすごいになっているだろうな、と思って誰も通りかからないことを祈った。

 説明は三十分弱で終わって、とても分かりやすかったのでむしろ安心した。けれども佐村と一は診察室に入る前よりも落ち込んでいて、しょんぼりと肩を落として病院の廊下を歩いている。イチは貰った資料をトートバッグに仕舞しまいながらこっそりため息を吐くと、わざと明るい口調で言った。
「二人ともありがとう。手術、受けられるように絶対安静で頑張るわ」
「そうそう、いっちゃんはもうお外に出ちゃいけないんだよ。さっさとお家に帰りましょう」
「うん。でも、昼飯どうする?」
「どこかで食べるか、テイクアウトする?」
「これから二週間缶詰かんづめになるんだったら、最後に外食したい……」
「じゃあそうしよう」
「仕方ないなあ。食べたらすぐ帰るんだよ」
 そんなやりとりをして、昼は外食することになった……。

「こんなこと言ったら怒るかもだけど、おでこの絆創膏ばんそうこう、可愛いね」
「は!?」
 軟禁生活(?)前の最後の外食は、らしになると思ってラーメンに決めた。わくわくしながらミニバンの助手席に乗り込んだら佐村がそんなことを言って、イチはびっくりした。日陰になっているスペースを探したのだけれど生憎あいにく一杯だったから、炎天下の駐車場に停められていた車の中は高温になっている。エンジンをかけるなり、エアコンから最大風量の風が吹き出してきた。
「可愛いって……間抜けなだけだろ」
「ううん。可愛い」
「ゴッホン!」
 そんな二人のやりとりを聞いて、後部座席に乗り込んだ一が咳払いをした。それにイチは真っ赤になり、小声で佐村に「父ちゃんが居る時にやめてよ……」と言った。けれども彼はにこにこしていて悪怯わるびれた様子はない。
「えっと、どこのラーメン屋さんに行く?」
「んー……やっぱTラーメン元祖の『みのたに』!」
「『みのたに』? それ、どこにあるの?」
 実は、Tにはご当地ラーメン「Tラーメン」がある。とんこつラーメンでスープは白・茶・黄の三系統あり、市内のものは茶が多い。甘辛く煮た豚バラ肉を載せるのが一般的で、生卵のトッピングがある(すき焼きみたいなラーメンと言われることもある)。麺はちぢれが少なく硬めで、主にとりガラと豚骨とんこつを組み合わせて出汁だしをとる。
「うちから一キロも離れてないよ。西D町。駐車場もデカいのあるし……」
「へえ! 西D町の方あんまり行かないから、知らなかったなあ」
 目当ての店『みのたに 本店』は、いつもT西部に行くときに使う国道から南へ一本入った道沿いにある。イチたちの商店街からは八百メートルくらいしか離れていないが、普段は滅多に行かない——ラーメン自体あまり食べないのだけれど、たまに無性むしょうに欲しくなる。
「そういや蒼士はTラーメン食ったことないん?」
「ううん。職場の人と何度か……」
「三番街にも『よなか』とか『宝船ラーメン』とか有名店あるけど」
「うん。両方行ったよ」
「パパ、ラーメン久しぶりだから楽しみ」
 そんな会話をしながら車を走らせた……。

 「みのたに」には十分くらいで到着した。土曜の昼時だから第一駐車場はいっぱいで、道を挟んだ向かいの第二駐車場にミニバンを停めた。
「わあ、県外ナンバーがいっぱい」
「ラーメン通はどこまでも……」
「あはは」
 イチの言い様に佐村が笑い、道を横断して店へ向かった。「中華そば」と書かれた大きな赤い看板が目印だが、店の正面が全てアルミサッシの引き戸で、どれが入り口か分かりにくく初めての客は戸惑う。
 店内へ入ると、思ったよりずっとたくさんの客が居た。券売機で食券を買い、厨房に向かってコの字型になっているカウンターで食べるのだけれど、席は皆埋まっているので空くまで並んで待つ。当然客はてられるように食べてさっさと席を立つから、回転率は恐ろしく高い。
「すごい! 壁一面、サインでいっぱい……」
「Tラーメンを全国に広めた名店だからな」
「今まで来なかったの後悔……」
「ははは」
 ちなみに佐村は肉入りの大盛りを、イチと一は同じものの中盛りを頼んだ。味付けが濃いので白米も注文するのが王道スタイルだが、流石に食べ切る自信が無かった。
「やっぱり若いなあ、佐村さんは。私、中盛りでも後が心配になるよ……」
 他の客が食べている大盛りラーメンを見て、一がそう言った。すると佐村は「ふふふ、腹が鳴りますねぇ」と応えたので「またかい!」と突っ込む。
 それから五分くらい待って、ようやく三人分の席が空いた。こういうときお一人様﹅﹅﹅﹅は楽なのだが、当分そんな気楽な外食は出来ないだろう——無事に聡一が生まれたら。
「よしっ! 食べるぞー!」
「はは。まだ運ばれてないって」
 食券を渡し、カウンター席に腰を下ろすなり佐村が張り切って、イチは苦笑した。けれどもすぐに店員の中年女性が「おどお様!」と言いながら湯気を立てるラーメンばちを運んで来て、三人は「いただきます」と手を合わせると急いで食べはじめた……。

「兄ちゃん、おっちゃん、佐村さん、おかえりー」
 玄関ドアを開けると、受付のチェアをくるりと回転させて振り返った未央が出迎えた。それに「ただいまー」と応えながら、いつの間にか一の呼び方が「兄ちゃんのパパ」から「おっちゃん」に変わっているな、と思った。かなりけた証である(仲違なかたがいした元妻が再婚相手と作った子どもなのに仲良しなのはどう考えてもシュールだが)。
「ん!? なんか良い匂いがする、兄ちゃん!」
 靴を脱いで家に上がったら、未央がくんくん匂いを嗅ぎながら近づいて来た。長い髪に顔を近づけられて思わずる。
「未央さん、イチは壊れ物なので」
「いや、壊れ物関係ないやろ」
 ぐいと腕を引っ張られたと思ったら、例によって目だけ笑っていない佐村がそう言った。イチは突っ込んだが、慣れてしまったのか未央は頓着とんちゃくしないで言う。
「なんか美味しいもの食べて来たでしょ! この香りは……ラーメン!」
「おお、流石だな」
「良いなあ、自分たちだけ……」
「ごめんね、未央君。今度一緒に行こう」
「わーい」
 一がフォローしている横を通り過ぎて階段を上り、リビングに入ってやれやれと息を吐いた。
「イチ、今日は夜までこっちに居る?」
「ああ、うん。せっかく父ちゃんも居るし……」
「いっちゃん、パパが居るの嬉しいんだ!?」
 佐村と話していたら、ちょうど階段を上ってきた一が自分こそ物凄く嬉しそうにそう言って、イチは「あ、はい」と答えた。否定するのは可哀想である。
「いっちゃん、外は暑かったろ。早く冷てえもんでも飲みな」
 ソファに掛けていた祖父がそう言って、イチは笑顔になると「ありがと」と礼を言った。すかさずケージの中のペー太が「クチュクペ!」とあいを入れる。
「カウピスにする? 炭酸水も買ってあるからソーダに出来るよ。ウェリチもあるけど」
「うーん、悩むな。でもやっぱカウピス!」
「はは、了解!」
 冷蔵庫のドアを開けた佐村に、戦前からある乳酸菌飲料とぶどうジュースのどちらを選ぶか聞かれたのでそう答えた。実は近年発売された「濃いめのカウピス」は熱中症対策飲料の規格をクリアしているのだ——ちなみに製品には沖縄の塩を入れてあるのが特徴だが、自宅で原液から作って食塩を加えても、同じ効果があるかは分からない。
「ありがと。……ふー、生き返るゥ」
「『生き返るゥ』って! 言い方が面白い」
「蒼士だって、風呂上がりに麦茶飲んだらたまに言うじゃん!」
「あはは」
 佐村の運んで来てくれた冷たいカウピスを一口飲んで言った台詞せりふを笑われて、イチは口を尖らせて反撃した。
「ああもう、二人のせいでこんなの飲んでも全然涼しくなんないわ!」
 するといきなり同じようにカウピスを飲んでいた一がオネエ口調で叫んで、イチは思い切り噴いた……。

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