【ショートショート】ボロいハンカチ
電車がぐらりと揺れたそうだ。
隣にいた女の子が倒れかかってきて、じいちゃん、その時はまだ高校生だったらしいけど、高校生のじいちゃんは必死に女の子を支えた。
鞄の角が左肘に当たり、細長い傷となって、すこし出血した。女の子は驚いてハンカチを取り出すと、すぐに傷を縛ってくれた。
じいちゃんはというと、キレイな女の子だなあと思って、見とれていたらしい。ショートカットで明るい感じの髪。大きな目。鼻筋がすっと通って、バランスのいい口に続く。
「ありがとうございます」
と女の子は言った。
「いえいえ」
じいちゃんはそれ以上、なにも言えなかった。
黄色いハンカチだけが残った。
いずれこのハンカチを返すときになにか言おうとずっと思って、ハンカチを持ち歩いていたそうだが、ついにそのきっかけはなかった。
「このハンカチ、返したかったなあ」
とじいちゃんは亡くなるまで言っていた。
いまは田中がそのハンカチを預かっている。じいちゃんがずっと身につけていたので、もうボロボロだ。
相手だって歳を取っているのだ。もう返すことはできないだろう。
田中は黄色いハンカチを弁当包みに使っていた。
会社の近くの公園にはちょっと洒落た金属製のテーブルと椅子がある。そこで弁当を広げた。
ふと気がつくと、茶色い髪の女の子がじっと田中の手元を見つめている。
「えっ」
「そのハンカチ」
「あ、これはじいちゃんが電車の中で」
「やっぱり、そうなのね。あなたはあのときの人ですか」
「その人の孫です」
「やっと見つけたわ」
と女の子は言った。
「返してもらえるかしら」
「もちろん。あなたも、電車の人のお孫さん」
「いえ、私は」
女の子はキレイな顔をすこし傾げると、受け取ったハンカチを丁寧に畳んで鞄にしまい、歩き去った。
ずいぶんと暑い日で陽炎が見えた。
(了)
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