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【ショートショート】顔色

 どどどっという音がしたかどうかは知らない。
 まるで空から降ってきたように唐突にその自動販売機はあらわれたのだった。うちととなりの家のちょうど境界線のあたりだ。わたしたちはお互いに相手が設置したのだと思っていたが、立ち話をしてみるとどうも違うようだ。そうすると、設置したのは大家か。
 家の前に自動販売機があれば便利なことは間違いない。
 しかもこの自販機、人の顔色を読むのである。
 最初に見たときはお茶やコーヒーや水を売っているごくふつうの自販機だった。
 ところがある夜、むしゃくしゃした気分で帰ってくると、商品画面がぼやけ、ワンカップ大関や缶ビールやウォッカの小瓶に変わっていたのである。
「嘘だろ」
 とつぶやき、しかし、飲みたい気分でもあったのでわたしはウォッカの小瓶を買って飲んだくれて眠ってしまった。
 妻に聞いた話はもっとすごかった。おでんを作ろうとして、具材を買いにスーパーに行こうとしたらしいのである。ふと自販機をみると、ごぼう天や餅きんちゃく、牛スジ、大根、こんにゃくなどが並んでいたというのだ。妻は首をひねりつつそれらを全部買って買い物を済ませてしまった。
 恐るべし、自動販売機。
 不思議に思って詳しく調べてみると、右側の側面に電話番号が書いてあった。この自販機の連絡先であろうと思って電話すると、ファクシミリだった。ピーヒョロヒョロヒョロと鳴って切れてしまう。
「これはなにに使うんだろう」
 私は考え込んだがわからない。病院で薬を処方してもらったとき、試しに処方箋を自販機のファックス番号に送信してもらった。
 妻に電話する。
 妻が自販機のボタンを押すと、ごとっと音がして、一カ月分の薬が落ちてきた。
 こうなるともうなんでもありだ。
 ある日、自販機の前で隣のご主人に出会った。
「お買い物ですか」
「はあ」
「便利ですな、この自販機」
「便利すぎて恐ろしいくらいです」
「まったく」
 商品ウインドウを覗くと、そこには拳銃やらナイフやら長い紐やら、恐ろしげなものが並んでいた。
 私は顔色を変えた。
「なにがあったか知りませんが、はやまっちゃいけません」
「私はもう生きていけません。連帯保証人になっていた知人が飛んでしまって、突然2000万円の借金が」
「金のことはどうにもならないが、いや、そうだ。この自販機に頼んでみればいい。金を買えるかも」
「そんなバカな」
 百円玉を入れてボタンを押すと、百万円の束が出てきた。20回くり返せば、あっという間に2000万円。
「こ、これはすごい」
「わたしもぜひ」
 と言って、百円玉を放り込んだが、一円玉しか出てこなかった。どうやらほんとに必要としているものしか売ってくれないようだ。
 家に戻ると子どもが妻に小遣いの値上げ交渉をしていた。たぶんほんとに必要なのだろうが、2000万円の話はしないことにした。教育に悪い。

(了)

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