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【ショートショート】プライベート

 田中は独り身だ。ワンカップ大関とさきいかを買って、アパートに戻ってきた。
 さきいかは田中の好物である。
 味が好きなのではない。
 すでに裂かれたさきいかをさらに裂いていくのが好きなのだ。
 机の上には、蓋も開けられないままのワンカップ大関と、皿に積まれた二十本ほどのさきいか。
 田中はさきいかを裂くことに熱中し始める。一本を二本にし、その一本をまた二本に裂く。
「ふう」
 額に汗が浮かんできた。こんな姿は友だちにも見せられない。
「まだまだ」
 テレビもない部屋で、田中はさきいか裂きに熱中する。
 だんだん細くなっていくさきいかは、なかに空気が入って大きな山となる。
「これ以上、どうやって裂くの?」
 とさきいかが首をひねっている気配すら感じる。
 田中の繊細な指先は、さきいかの尖端をもみほぐし、ちょっとでもほどけたら、そこからするすると裂いていく。
「ほっ」
 と小さな吐息が田中の口からもれる。
 いまや限りなく細長くなったさきいかは皿から溢れんばかりだ。
 黄色い山であり、これだけ見ればなんだかわからないだろう。
 田中は、その中の一本をそっと取り出すと、口の中にいれてみた。溶けるようになくなる。味はすでにない。というか、小さすぎて感じられない。
「こんなものか」
 ふっと息を吹きかけると、さきいかの山はタンポポの綿毛のようにどこかへ飛んでいった。
 その光景を肴に、田中はぐいっとワンカップ大関を飲み干し、
「さあ、寝るかあ」
 と言って、立ち上がった。

(了)

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