【ショートショート】爪
喫茶店の窓際の席に座って、ぼーっと外を眺めていた。
私の待ち人は時間にルーズだ。
コーヒーもすっかり冷めてしまった。
窓の外に電柱があり、女性がひとりそのそばに立った。彼女も待ち合わせだろうか。
ふと、その手に目がいった。正確には、指先、爪だ。
やたらカラフルなのである。十本の指ぜんぶに違った色を塗っている。
流行りなのだろうか。
右手の親指は赤、左手の親指は黄色。なにか意味があるのかしらん、と考えたが、わかるわけがない。聞きに行くわけにもいかない。
そのうち、相手らしき男性があらわれた。彼も爪に派手なマニキュアをしている。
「うーん」
私は自分の素の爪を眺めた。どっちが変なんだ?
そうこうしているうちに、私の待ち人があらわれた。
会社の同僚、田原マチ子だ。
「遅れてごめーん」
「まあ、いつものことだし」
と言いながら、私はマチ子の指を見た。
彼女もそれぞれの指に違う色のマニキュアをしていた。
となると、おかしいのは私のほうか?
案の定、彼女は私の爪を見咎めた。
「どうしたの。マニキュア、忘れたの?」
「いや、忘れたわけじゃないんだが……というか、昔からマニキュアをしたことがないんだけど」
「えっ」
マチ子は驚いた。
「だって、昨日はしてたじゃない」
「そうだっけ」
いつの間にか、違う世界に紛れ込んでしまったのか。
「秘密主義だと疑われるよ」
「べつになにも隠していないけどな」
「会うたびに今日の体調とか、機嫌とか、忙しさとか、いちいち聞かなきゃいけないわけ?」
「べつに聞かなくてもさあ、なんとなくわかるじゃない。わからなきゃ、聞けばいいんだし」
「そんな面倒なこと、私はいや!」
マチ子は立ち上がった。
「今日のあなた、なんだか変よ。私、帰るわ」
マチ子はバッグを開いて、黒のマニキュアを取り出し、赤色だった右手の親指に黒々と塗った。
さしずめ、気分最悪ってところだろうか。
帰り道、私はドラッグストアに寄ってみた。
マニキュア売り場は棚ふたつを占領し、これでもかというほどに多色化していた。ひとつひとつ見ていったが、べつに色の意味合いが書いてあるわけでもない。
困惑して眺めていると、とんとんと背中をつつかれた。
振り向くと、店員がニヤニヤと笑っている。
「色の意味がわからないんでしょう?」
「そうなんだ」
「私もこの世界にやってきたときはそうでしたよ」
「ああ」
と私は曖昧にうなずいた。
「これをオススメします」
と言って、彼はつけ爪セットを取り出した。
「無難セットと言いましてね、これをつけていれば、とりあえず文句は言われません」
「そうなんだ」
「そのうち、慣れますよ」
私は三千二百円を支払って、生まれてはじめてつけ爪を買った。
明日からは顔色ではなく、人の指先をうかがう日が続きそうだ。
(了)
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