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【ショートショート】夏を走る

 炎天下の路上。
 私は帽子をかぶってくるんだったと後悔した。夏の日差しはあまりにも強い。
 このままでは熱中症でぶっ倒れてしまいそうだ。
 後ろからたったったと音が近づいてくる。この暑さのなか、走っている人がいるのだ。
 いっそのこと、運動でもして、冷たいシャワーを浴びたほうがすっきりするのかもしれない。
 首筋になにかが触れた。
 たすきだ。
 あっ。
 足が勝手に動き出した。
 腕が前後に振れる。
 どういうことだ。
 ここ十年、いやもっと長い間か、走ったりしたことはない。運動しないから腹が出て、軽度の肥満と言われている。
 その私の足が止まらない。
 すぐに息が切れた。
 それでも足は止まらない。
 息が詰まりそうだ。せめてマスクは外したいが、腕はリズミカルに前後に振れていて、顔のほうに持っていくことができない。
 私は国道沿いに走り続けた。信号が赤になり、ようやく立ち止まることができた。
 たすきをむしり取りたいが、手が自由にならない。信号が青になる。無情にも足はまた動きだした。
 いったいどこまでいくのだ。
 暑さと疲労で意識が遠くなる。
 遠くのほうに人だかりが見えた。テレビクルーだ。カメラマン、音声マン、ディレクター、アシスタントディレクター、そして中央に男性アナウンサーらしき人。
 私はそこに乱入した。腕が動き、たすきをアナウンサーの首にかけた。
「わー」
 と叫びながら、アナウンサーが走り出した。
 スタッフはみんなアナウンサーのあとを追う。野次馬たちも走っている。
 そうだ。みんな走ればいいのだ。
 私は膝から崩れ落ちて、道に横たわりながら、ぜいぜいとあえいだ。
「大丈夫ですか」
 商店街の人が声をかけてくれた。
「はあはあ。まあ、なんとか」
「あのたすきはなんですか」
「わかりません。私もいきなりかけられたのです」
「いまのテレビね、ちょうど謎のたすきについてインタビューしていたのですよ」
 ナイスタイミングと思いながら、私はようやく立ち上がった。怪奇たすき男なんぞと命名される前にとっとと退散することにしよう。

(了)

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