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いいなと思ったら、言葉にして相手に伝えていこう。…だんな以外にも。

明日のライターゼミ第2期に通っている。

第4回のゼミは、阿部広太郎さんによる
「自分の企画のつくり方」。

夏目漱石はI love youを月が綺麗ですねと訳した。2018年の今、あなたならどう訳すか、自分の経験から本質を導き出してコピーを書け、と言う課題が事前に出されていた。

自分の経験を掘り下げる課題。

すごく苦手。すごく苦痛。
でも、それをしないと課題を出せない。

だから、私は経験の一部、上澄みのキレイなところだけすくいとって言葉にした。

おやすみの前に、
「今日も一日
ありがとう」

再婚して得た今のだんなを思い浮かべて書いた。私はだんなが大好きだ。だんなが好き過ぎる。一緒にいてくれるだけでありがたい。むしろ感謝しかない。

私にとって愛は、一方的に発散するものではなく、相手に大切だということ、感謝を言葉で伝えるコミュニケーションそのものだ。気持ちを伝え続けることが愛を持続させるコツだと思う。一度失敗して得た教訓だ。

でもこれでは、いつも自分がしていることをただ書いたに過ぎない。コピーになりきれていない。それでもグループワークでは選んでもらうことができた。プレゼンをして経験や本質を説明できたからかもしれない。

グループワークで選ばれたコピーが並べられ、受講生が1人1枚与えられたふせんを、一番よかったコピーに貼っていく。一番多く票を獲得し、最後に選ばれたコピーは

「雨が降っても楽しいから」

だった。私も、そこに一票を投じた。

コピーを見て、私の心にも「突然のゲリラ豪雨の中、好きな人(だんな)と爆笑しながら歩いたある日の自分」が浮かんだ。

雨が地面を叩きつける、まさにバケツをひっくり返したような耳をつんざく雨音から、ずぶ濡れになりながら、なんだか可笑しくてなってふたりして爆笑しながら歩いていたその時の気持ちまで一気に記憶が引き出された。

響くコピーは短くて、情景が一瞬で浮かぶ。

阿部さんも、どれだけ誰かの経験を再生させられるかだと言っていた。

コピーには読み手の経験を再生させる力が必要だというなら、自分が書いたコピーでは、誰かの具体的な経験を引き出すことはできない、と授業を通して思った。

阿部さんは、事前に提出したひとりひとりの企画書を全て読んで赤入れをしてくれていた。そこにも「前段を踏まえると、もっと言葉ありそう」と書かれていた。また全員分の赤入れをシェアしてくれるという。ありがたい。阿部さんの愛だな、と思う。

阿部さんの今日の話の中で、一番私に響いたのは「いいなと思ったことは相手に言葉にして伝えよう」という言葉だった。

阿部さんは、ご自身も自分が好きなアーティストのために、彼らと関係性を築くために、一緒に仕事をしたくて自ら企画書を書いたことで、そこから実際に仕事につながっていったという。

好きだとか、いいなとか、応援したいという想いはすごく強いし、尊い。企画書からワクワクした気持ちが溢れていた。好きだから伝えたいし、応援したい。自分ができることで、相手のプラスになることができればと思う。

阿部さんの、その好きなアーティストに向けて書いた企画書のファイル名に「ラブレター」とついていたのが、すごく印象に残った。愛を感じた。だから、伝わるんだ。だから、そこから、道が開けるんだ、そう思った。

今回課題を提出する際、私は正直読み手のことを全然考えられていなかった。自分の名前も書いてないという企画書として致命的なミス。というより、書いているのが企画書だという意識が圧倒的に欠けていた。阿部さんのように、読み手にラブレターを送るつもりで書くべきだった。

人と話すのはあまりうまくないけれど、いいなと思った気持ち、感謝はきちんと言葉で伝えていきたいと思った。

講義後、私は阿部さんと話すために残り、いいなと思ったことを伝えて、本を買わせていただいた。阿部さんの笑顔が嬉しかった。勇気を出して伝えに行った自分を褒めたい。

私には、たいしたものは書けないかもしれない。でも、好きな気持ちなら書けると思った。それで、いいなと思っている人を応援できたら、その応援がその人の糧になれば、それだけで私は幸せかもしれない。

この文章は考えなくても書けた。それは自分の中から溢れ出た想いだからだ。

正直、これまで明日のライターゼミの講義を受けてきて、自分はライターに向いていないのではないか、書きたいものがわからない、課題が苦しい、グループワークがつらい、と思っていたけど、阿部さんの講義を受けられただけで、私はこのゼミを受講してよかったと思えたし、自分の今後が少し見えた気がした。

阿部さんの本のタイトルにあるように、

「待っていても、はじまらない。」

自分が動くことでしか、道は開かれない。

ならば、とにかく動いてみようと思った。最近、自分がやりたいことがわからなくなり、その場で足踏みをすることが多かった。けれど今日、阿部さんの言葉に動かされ、話をしに行ったことでこの記事も書けた。自分から動いたから、生まれたものだ。

だんなには普段していることなのに、だんな以外の人と関係を築くことを考えていなさすぎて、他の人に対して気持ちを言葉にして伝えることをサボっていたのかもしれない、とこの記事を書き、自分のコピーを見て改めて気づいた。

さて、翻って我がコピー、改。

「ありがとう」と「いいね」で
笑顔になるあなたが、
私を今日もしあわせにする。

綺麗すぎるな。むしろこのくらい。

「ありがとう」も「いいね」も
「ヤバイ」も「マズイ」も君に言いたい。

不味い店で一緒にごはんを食べても、
それをネタに笑い合えるだんなが
私はいちばん好き。

……って、ただのノロケ話かよ。

*追伸*

阿部さん、ありがとうございました。
本読んだら、感想書きますね。

*追記*

阿部さんがこの記事を読んでくださり、Twitterでコメントしてくださいました。
(ご本人に許可を得て掲載)

やばいもまずいも君なら言える。

いかに言わないか、削れるか、自分で最初に思いついた言葉を手放せる勇気、潔さが、コピーを強くする、ということを実感させられた。

響くコピーは短くて、情景が一瞬で浮かぶ。

頭ではわかったつもりでいても、実践は本当に難しい。わかるとできるの間を埋めるにはひたすら繰り返し、積み重ねていくしかない。あきらめずに、考え続けよう。

というわけで、我がコピー 改々。

まずいと言えば、やばいと笑う。

だんなのニヤついた顔が浮かんだ。

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