【第十一夜】半分こ
真夜中に目が覚めた。
暗闇で寝返りを打つと、ふとんから追い出されて少し冷たくなってしまった喬の手の平が指先にふれた。ぎゅっと掴むと寝ているはずの手が握り返してきて、思わず顔がにやける。寝相の悪さで丸めとってしまったふとんを元に戻して、喬の肩にかけ直した。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
まだ半分眠ったままの頭で喬を送り出すと、私は湯呑に注がれたばかりのあたたかい緑茶をすすりながら、頭を覚醒させる。
喬とつきあうまで、お茶といえばペットボトルに入った冷たい茶色い液体のことだった。母親が2リットルの爽健美茶を箱買いしストックしていた。冷蔵庫には常にそれが入っていて、なくなったら冷蔵庫の脇にある段ボールから補充するシステムになっていた。
喬とつきあって家に遊びにいくようになって、最初に出されたお茶に私は衝撃を受けた。もちろんその存在は知っていたし、外食した際に出されるあたたかいそれも飲んだことはある。でもお茶が、いや、急須で入れた緑茶がこんなにおいしいものだとは……知らなかった。
喬はお茶の産地、静岡の出身で、だからなのかその家には男の一人暮らしにも関わらず急須があり、茶葉を保管する茶筒があり、マグカップでなく湯呑があった。もちろん湯呑は喬のだけだったから、私にはマグカップで出されたのだけど。
それでも、その私のためにいれられた緑茶は、私の顔の筋肉を一瞬で緩めた。お茶には香りがあるということを、初めて実感した。お茶が食事のお供や喉の渇きを潤すためだけのものではないことを、初めて知った。
私がしきりに感動するので、次に喬の家にいった時には私専用の湯呑が用意されていた。しかも、お揃いで。それだけでもう、しあわせだった。
「俺と結婚したら、毎朝これが飲めるよ」
喬は緑茶をすする私を眺めながらよくこう言っていた。それは私にはものすごく魅力的で、それがもしかしたら結婚の決め手だったのかもしれない。
「ただいまー」
「美優、おかえり。ごはん作っといたよ」
「わーありがと、遅くなってごめんね」
今日は珍しく私の方が残業で、先に帰宅していた喬が得意のチャーハンを作ってくれていた。二人が食べ終わるのを見計らって喬がキッチンに戻る。
「あとチーズケーキあるよ」
笑顔でいいながらホールのスフレチーズケーキを白いお皿にのせ、フォークを二本そえて運んできた。
「緑茶でいい?」
「うん、緑茶がいい」
「なんか、美優もすっかり緑茶派になったねー」
喬がにんまり私の顔を見ながら、手際よく緑茶をいれてくれた。
「へへ。いただきまーす」
私は照れ隠しに威勢良くチーズケーキにフォークを突き刺し、一口分をすくいあげ、口に入れた。
「うわあ、なにこれ。ヤバい。ふわふわ!とろける!うますぎるっ」
フォークが止まらなくなるおいしさだった。これならホール一個ひとりでいけそうだ。
「美優はほんっとに、チーズケーキが好きだよね」
いいながら喬が口をあーんと大きく開けた。
喬の口にフォークで突き刺したチーズケーキのかたまりを運んでやると、かなり食い気味で、食いつかれた。
「おー!んまい!還暦おやじすげぇ」
喬がそういいながら、自らフォークを掴み二口目に突入した。
「え?還暦おやじって?」
私は喬が口走った聞き慣れない単語を拾い聞く。もちろんその間も、手と口はせわしなくチーズケーキを胃袋におさめていく。
「いや、うまいチーズケーキないかなーってネットで探してたら、“還暦おやじのチーズケーキ探し”ってブログ見つけてさ、そこの管理人がイチオシ教えてくれたんだよ」
「へーそうなんだー」
私は還暦おやじがどうこうよりも、喬が私のためにおいしいチーズケーキを探して買ってきてくれている、そのことが嬉しくて顔がにやけるのをとめられなかった。
「喬」
「ん?」
「ありがと」
「いや、俺が食べたかっただけだし、中野は帰り道通るし。別にお前のためにわざわざ買いに行ったわけじゃないからな」
なんていいながら、喬の目は笑ってるから……
「おいしいね、これ。リピート確定だね」
「だな!また買ってくる」
喬が好きな緑茶を私も好きになり、私が好きなチーズケーキを喬も好きになる。好きなものが広がっていく。それが楽しくて仕方ない。
「生活を共にするということは、すべてを半分こすることだ」と、前に何かで読んだような気がする。けれど、楽しいこと、好きなものを半分こしたら、幸せは反比例して増えていく。だとしたら「半分こ」って最強の幸せの魔法なのかもしれない。
喬が最後のチーズケーキを頬張っている隣で、私は緑茶をすする。すこし目立ち始めたお腹をさすりながら、魔法の余韻を噛み締めていた。
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