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「今日休みます。」で回らなくなる社会がおかしい/なんでも屋さんの日常


ある日の会話。

「ふうかは自分のコミュニティ(さぽちむや塾)で、今日休みたい、でその日に休めるのめっちゃいいよね。」

「普通は事前に連絡して、引き継ぎしないと休めないじゃん。」

「でも、本来は『今日』とか、『今』がしんどいから休みたいやん?」

「それで休んだら、小さなコミュニティやったり、自分が作ったコミュニティなら、それ(ドタキャンできる)が前提になってるからいいけど、普通は社会回らんくなるよね。」

 まさにその通りだ。
 いきなり学校の先生が、「今日はしんどいから休みます」と言ったら、教室では大歓喜、職員室では大混乱が巻き起こることは想像に難くない。「あなたがいないとダメなの」は、この社会では割と切実な叫びなのかもしれない。

 しかし本当にそうなのだろうか?
 私はその話にこう返す。

「それで良くない?別に社会が回らなくてもいいやん。」

 なぜ、しんどいから休んで、社会が回らなくなっていることがダメなのか?これは、回らなくならないようにピンチヒッターを用意しておこう、という意味ではない。そもそも、みんなが毎日「うまく社会は回らない」ことを許容しておけば、その日は進まなくても誰も疑問を持たずに、みんながみんな自分のタイミングで休み、進めるのではないだろうか?

 私にとっては、進むのが早い世界である。起きてみたらしんどい、30分前まで元気だったのに今しんどい。そんなことは割とみんなにとっても日常茶飯事ではないだろうか?それなのに、一生懸命世界のルーティンを潰さないように、自分の心の叫びは無視して働く。通学する。遊ぶ。それで幸せなのだろうか?幸せならそれでその人は良いのである。ただ、私はそうではないということを伝えたい。

「そもそもそんなにうまく社会は回らない」という寛容

 世界のペースに合わせて動くことがしんどい人が確かに存在して、人によっては年間に数日かもしれないけれどしんどくなる時もあって。そういう状態の時に気兼ねなく休むためには、「そもそもそんなにうまく社会は回らない」という前提をみんなで共有している必要があるのではないか?そうすれば、例えば障害や持病があって合理的配慮が必要な場合も、時間や手間がかかろうとその人を尊重してすぐに取り組めるはず。だって効率性もいらない、時間も手間もネックにはならないんだから。

 この社会は私にとっては進み過ぎている。もっとゆっくり、みんながみんなの気分で生きれるように、みんなもっと休もう。そしてそれを許容できる寛容な社会にしていきたいんだけど、どう?

 チップとは?

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