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植えられた所に咲きなさい (小学校時代)

お久しぶりです。初めての方は初めまして。
25歳。サッカー選手をしております。藤山雄生です。

前回のnoteを読んでいただきありがとうございました。読んでいない方は1つ目の投稿で自己紹介をしておりますので、時間がありましたら是非読んでいただけたらと思います。今回は僕がどのような人間なのかを知ってもらうために自分が歩んできた過去について書いていこうと思います。僕は現在、サッカー選手として活動しており、僕の人生はサッカーが常に隣にありました。現在までの話をしていくと長くなりますので数回に分けて書いていきます。良かったらご覧下さい。

「植えられた所に咲きなさい」

この言葉は小学校の少年団の監督にいただいた言葉です。
当時はこの言葉を ‘どこでも頑張れる人間になりなさい‘ そんな意味だと思っていました。いま自分の言葉で言葉の意味を考えてみます。植えられた所に咲く。与えられた環境で輝く。人生の中では自分の力では決められない、変えることのできないことがたくさんあります。そんな考えても仕方がないことについて嘆き、不貞腐れたり行動をしないのではなく、自分が日常の中で努力できることを最大限頑張ることで自ずと道が開かれるはずです。自分では変えられない環境のせいで自分の思うように行かないこともあると思います。そんな時は環境を変えようとする努力をすればいいと思います。変えることのできない環境下でもそこで輝き続ければ、自分では変えられないものも変わるチャンスが来るはずです。どちらの場合でも今植えられた所で咲く努力をすることが未来につながる。そんな風に思います。こんな言葉をいただけた僕の小学校時代について振り返っていきます。


僕は長崎県の島原半島にある島原市で生まれ中学校まで時間を過ごしました。歴史の授業で習う「島原・天草一揆」の島原です。島原出身と言うとよくこの話で ‘あぁ、その島原ね‘ となります。投稿の見出し画像は島原にある雲仙・普賢岳です。黄色の車両は島原鉄道といって僕もお世話になっていました。日本地図で見ると九州の端の長崎の中でもさらに南の場所にあります。都市部に比べると田舎ですが田舎ならではのいいところもたくさんあります。僕の帰る場所。とても落ち着く大好きな場所です。紹介したいところや島原のいいところもたくさんありますが話が逸れてしまうのでまたの機会に。


僕がサッカーに出会ったのは小学校1年生の時でした。小学校の入学式で1番最初に出来た友人の影響でサッカーを始めました。その友人とは入学式で言い合いになって喧嘩までしてしまったのですが、気づいたら2人で肩を組み1番仲良くなっていました。今でも意味がわかりません。(笑)しかし彼と仲良くなっていなかったら僕はサッカーに出会ってなかったかもしれません。僕が通っていた小学校にはサッカー少年団がありました。その友人といつも一緒に遊んでいたんですが、その少年団の練習にいってみようと誘われ楽しそうだから行ってみたのが最初です。元々、体を動かすことが好きだったのでサッカーの楽しさにどんどんハマっていきました。登校にはいつも親に買ってもらったいろんなチームのユニフォームを着て学校に行っていました。小学校ではサッカーが人気で昼休みや短い休み時間にも校庭でサッカーをしていたのを覚えています。

学年が上がっていくにつれて数人だった少年団の人数(同学年)も増えていき中学年くらいから島原市の大会に出るようになりました。今まではただ楽しいからやっていたサッカーでしたが、試合となると勝敗が生まれ、結果がはっきりわかるようになります。そんな試合を通してさらに僕はサッカーのことが好きになりました。ポジションはフォワードでした。当時から身長も高い方で足も速い方だったからだと思います。それに加えて、単純にゴールを決めることが好きでした。得点した時のみんなが集まってくる感じ。試合に勝ったり得点をしたことを親や学校の先生に伝えると、喜んで褒めてもらえました。それがとても嬉しかったのを覚えています。このことは今にも繋がっています。僕の今のポジションもフォワードです。今というより、今も昔もずっとフォワードです。やはり得点を取ることに拘ってますし、幸せを感じます。自分の得点でチームを勝利に導いたり、多くの人を笑顔にすることができ、自分の評価にもつながります。得点することは昔の自分にとっても特別な事であり、今の自分にとってもやはり特別な事です。

高学年になるといろんな大会に出たりするようになります。島原市の大会では優勝して長崎県の大会に出場したりもしました。そこでは長崎市内のクラブチームにいつもコテンパにやられていました。いつも悔しい気持ちで会場から島原に帰っていました。そんな中である日、地元の中学校のサッカー部の応援にいくことがありました。それは僕の地区の小学校からそのまま進学することになる島原第一中学校のサッカー部の試合でした。一中サッカー部は当時とても強くて地方大会を勝ち抜いて全国大会に出場するようなチームでした。地元の中学校でもあり僕が低学年の時に隣のグランドで練習していた方達が多く試合に出ていて、活躍していました。自分達と同じ島原の公立中学校が全国大会などで強豪校相手と戦い活躍する姿を見てとても興奮しました。そして強く憧れました。当時の僕は長崎市内のクラブチームでさえ歯が立たないのに中学生の先輩方は対等にそれ以上に堂々とプレーしていました。そんな姿が強烈にかっこよく見えたのです。その出来事がなくてもそのまま島原第一中学校に進学していましたが、中学校でもっとサッカーを頑張ろうと思ったのは間違いなくその応援した日があったからです。こうやって僕は希望を持って中学校に進学します。


サッカーの喜びや楽しさを分かち合いながら地元の仲間と一緒に過ごした小学校時代でした。小学校でのサッカーとの出会いや、過ごした時間はとても大切な思い出です。書きながら今もサッカーを始めた時の純粋な気持ちを大切にしなければと思っています。今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。次の記事もお楽しみに。

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