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自分を律する行動規範
なにごとも自分のおかれた環境によって緊張や緩和がはたらき、ちょっと油断すれば自分に甘い判断をしがち。これは僕だけのことじゃないな、と思い自分を律するための「行動規範」についてのはなしをしたいと思います。
多くの企業はMVV(Mission,Vision ,Value)とそれを個の行動として落とし込む行動規範を策定したりしています。
以前の職場も同様にMVVはありましたし、「simply BOLD」という行動スローガンがありました。 その会社は2007年にフォト事業から情報機器事業へ事業シフトしましたが、従業員の中に方向感を見失っている部分がありました。 そこで会社がもともと持っていた『ナンバー1を目指そう』 『どこにもない技術をつくろう』という気持ち・原点に返ってやるべきではないか」という思いから、つくられたスローガンでした。
と言った感じで経営的な視点から言うと、MVVや行動規範の策定は、組織を一致団結させてひとつの方向に向かわせるためのツール。こう言ってしまうと、従業員側からすれば嫌悪感すら沸いてくるのかもしれません。
電通の鬼十則
例えば、ひと昔前に話題になった有名なものがこちら。
1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
2.仕事とは、先手先手と働きか掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。
4.難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。
5.取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...
6.周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。
7.計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ! サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。
ご存知の方も多いこの行動規範は、新入社員の過労自殺を発端にやり玉にあげられ企業体質を問題にされました。2015年くらいのことです。
この行動規範のなにが問題なのか、ちょっと深堀りして考えてみると、社会との2つのズレが大きくなっていったのが原因。
①ひとつは、「ビジネスはなにがなんでも勝つことが正義である」という価値観のズレ。
②ふたつ目は、電通という組織(会社)の「存在意義」とのズレ。
問題① 「ビジネスはなにがなんでも勝つことが正義である」という価値観のズレ。
これはもう昭和感のある話ではあるのだけれど、昭和をサラリーマンとして生きた人間であれば、少なからずわかる話。この価値観が全面にでたのが電通の鬼十則でした。
マズローの欲求5段階説に照らし合わせると「承認欲求」と「自己実現欲求」をくすぐるものとなっていて、現代の価値観としてはちょっと古臭くなっていると言わざるを得ない。今は地域社会や国家そして地球全体など、自分が所属するコミュニティ全体の発展を希求する欲求が人を動かす原動力になっていて、価値観のシフトが起こりつつあります。
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でも、実は僕もこの十則が良いなと思った時期があって、これをベースに、デザインという創造性クリエイティビティを発揮するための行動規範を自分なりに創ったことがあります。2009年くらいのこと。
過去の僕の行動規範(2009年版)
産みの苦しみを楽しもう
〜識る人は好む人に及ばす、好む人は楽しむ人に及ばす〜
誰も手を付けていないことに挑もう
〜わからないことや経験のないことこそ価値がある〜
仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない
〜誰でもその上司より有能である.指示されるより支持させよう〜
自分の視点でストーリーを考えよう
〜優秀な批評家は凡才の創作者にも劣る〜
電通の鬼十則をトレースしているところもあるのだけれど、基本的に違うところが「1人称」っていうところ。それとTry&Challengeの精神。
デザインをするひとりの自分(1人称)を中心として、周りの同僚だったり開発、営業、顧客などステークホルダーを「with」で巻き込んでいく必要があったし、新しいことにチャレンジして自分自身を高めることが社会への貢献に資するはずだ、という根拠のない道理を持っていました。
これは今でもそうで。
今まで僕が付き合ってきた志を持ったデザイナーには少なからずそういう道理があったように思います。それはデザイナーが孤独な戦いを強いられる人種だから。
例えば、なにに頼って自分が良いという判断を下し物事をつくるか。それは自分に自信がないとできないし、自分がこれまで信じてきた理想や目標、価値に照らし合わせて下すしかない。そして、その判断を周り(同僚だったり開発、営業、顧客などステークホルダー)につたえ、共感してもらい実現していく。
これは本当に、こころの底から信じていないとできない。
だから、その信念を、どんな環境になったとしても持ち続ける自分の行動規範が必要だったんだと思います。
問題② 電通という組織(会社)の「存在意義」
最近「パーパス」ということばで語られる企業の存在意義。企業や組織、個人が何のために存在するのか。これはほんとうに重要な問いで。マーケティング経済のなかで強者だった電博が、デジタルイノベーションの波に飲み込まれて自分の存在意義が薄らいでいる。社会のインフラ(なくてはならないもの)だと思っていた自分が、そうではない。と思われた瞬間。
立場を置き換えて自分だったらと思うとゾッとします。コミュニティの中での存在意義をしっかりと持って何事も取り組む必要があります。
これから先の僕の行動規範
そして、雇用されたデザイナーでなくなった今、僕を律する行動規範はどうあるべきか。
マイケルポーターのCSV(Creating Shared Value)じゃないけれども、今、スモールな世界の醤油味噌づくりという現場におかれた環境で、ひとつ言えることがあります。
それは、「共通の価値をつくり、それを循環させて生きる」
地域密着型のビジネルのなかにいることもあってスモールな視点から出発しはいるのだけれど、ちょっと視点を高く鳥の目になってみれば「農作物」を調味料という価値に変換して「食」につないでいる昔からある地域文化的な営みに僕は存在している。これは、MVVというフレームワークや存在意義を、大きく太く捉えることができる立場にあるとも言える。つまりチャンスなのだ。スモールなビジネスから自分が所属するコミュニティ全体の発展を希求するMVVをつくるべきだ、と。。。最近、思い始めました。
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でも、行動規範は変わらない。それは、自分がこれまで信じてきた理想や目標、価値があるから。それは変わっていないので。