短編小説『男ともだち:男の視点』

 彼女と出会ってから、僕の生活は変わった。
もうそんな事で浮かれる程若くもない筈だ。僕の生活からは、彼女の匂いが漂ってくる。
 僕たちは、恋人同士ではない。それでも、よく一緒にいるし週末には欠かさず予定を合わせた。旅行も二人で行ったりもした。恋人以上に心の繋がりはあった。

 テレビの横に置かれたゴリラの小さなフィギュアは、近所のレコード屋さんのガチャガチで彼女が取ったものだ。彼女が欲しかったものでは無かったけれど、僕は持ち帰ってここに置いた。
 バレンタインの時に貰った高級チョコレートの空き箱。なんだか勿体無くて捨てられなかった。この中には、彼女と行った美術館のチケットの半券なんかも入っている。

 彼女のことを考えていると、ふと、母のことを思い出した。母は僕の幼少期の服をいまだに取っている。僕ら親子は、あまり仲の良い方では無かったけれど、不思議と母に連絡をしてみたくなった。

 僕には必要のないヘアアイロンや卓上鏡はテレビ台の下にしまってある。化粧水と乳液はいつからか僕も使うようになっていた。オススメしてくれたものを買った。洗面台には、君用の歯ブラシだってある。まだ新品でパッケージされたままだ。いつか使われる日が来るのを待っている。変な下心が透けて見えるのが嫌で、小心者の僕は自分で使ってしまったよ。今使っている歯ブラシもまだ使えるのに。

 いつ彼女が家に来ても良いように、こまめに部屋の掃除もするようになった。料理が得意な君の手料理が食べられるかもと思って調理器具も新調したし、調味料もある程度揃えた。

 ファッションにもあまり興味はなかったけど、今日着る服を悩むようになった。レパートリーもそんなに多くないから洗濯機を回す回数も増えた。昨日のうちに洗っておいたから、生乾きの心配もないと思う。今日は褒めてくれた服を着て行ける。

 十八時に彼女が駅に来る。まだ少し早いが家を出るとする。バレない程度に誕生日にもらった香水をふり、家を出た。
 駅までの道のりオレンジ色のビーノを見かけた。彼女と同じぐらいの年の女性だろうか。ヘルメットの色もビーノと同じで可愛かった。ヘルメットから流れでる髪の毛が、綺麗になびいていた。彼女も見ていたらきっと、はしゃいでいただろうか。
 歩いていると、手ぶらで会うのが恥ずかしく感じた。いつも手ぶらなのだが、今日に限っては何か気の利いたものが必要な気がしてしまった。

 この、駅まで続く商店街の中に目ぼしいお店があっただろうか。とりあえず近くのスーパーへ入ったのだが、ただのお菓子や日用品では格好も付かないしガキっぽい。スーパーを出て斜向かいの雑貨屋に入った。この店には可愛いものがいっぱいあった。ハンドメイドの指輪やネックレス。アンティーク調のマグカップ。手に取ったところで、僕らの関係の現実に我に返った。まだこんな可愛らしいアクセサリーを贈るような仲では無いのだ。指輪やネックレスなんて以ての外だ。急に小っ恥ずかしいではないか。店員に軽く会釈をして雑貨屋を出た。

 駅前に来ると、小さな花屋が目に入った。これは良いと足を運んだ。前に好きだと話していたマリーゴールドはまだ店頭には並んでいなかった。代わりに同じ色のガーベラを買った。大袈裟にならないように茎を短めに切ってもらった。
「贈り物ですか?」と花屋のおばちゃんに聞かれた。
「あ、いえ、自宅用です。」
「じゃあ、こっちの紙で包んでおくね。」
「はい、ありがとうございます。」
 おばちゃんはクルクルっと手際よく茶色いクラフト紙に包んだ。それからサービスといって水色のリボンで蝶々を作ってくれた。
「ありがとうございます」
 そう言って店を出た。花を持って街を歩くのは初めてだった。恥ずかしさもあったがそれよりも特別感の方が勝っていた。花を持っただけで非日常感を味わえた。

 十八時の五分ほど前、待ち合わせ場所の駅前広場に着いた。左手には、オレンジのガーベラを持っている。

 右手に握られたスマホが鳴る。

「着いたよ!」と彼女からのメッセージ。
「了解!広場にいます!」と返す。
 スマホをポケットに入れる。空いた右手が手持ち無沙汰になった。ソワソワと肩から掛けたサコッシュの紐に右手の指を絡めた。

 横断歩道を渡ってくる彼女が見えた。想像の中の彼女よりもいつも小さい。ポケットに手を突っ込んで歩いてくる。

「よっ!」

 と彼女はポケットから右手だけを出し軽く上げた。

「うす」

 控えめに返す。

「待った?」

「いや、待ってないです。」

「良かった。今日、人多いね」

 そう言いながら僕たちは歩き出していた。いつもそうだ。行き先も決まっていないが取り敢えず歩き出す。どちらが先でもなくなんとなく自然に横に並ぶのだ。

「暖かくなってきたからですかね」

「そうだね。てかそれどうしたの?」

 彼女がガーベラを指した。

「あぁ、これ。貰ったんです。これ、僕の家には似合わないんで差し上げますよ」

「え?良いの?ありがとう!」

「どうぞ」

 ガーベラをひょいと差し出す。

「可愛い色〜。誰に貰ったの?」

「大家さんです。」

「え〜良い大家さんだね」

「はい。さっき出がけに会って貰っちゃいました。」

 そう言いながら僕は、恥ずかしくて買ったことを後悔していたし、嘘ついた事にも後悔していた。

 さっき見たオレンジ色のビーノの話で後悔を誤魔化した。そこから話はコロコロと変わった。僕たちはいつもそうだった。話題は尽きないまま時間が過ぎていく。本当のところを言うと、僕はいつだって会話の隙を探していた。隙と

言葉が見つかれば告白をしたかった。愛している気持ちを伝えたかった。

 皮肉にも会話が盛り上がり、彼女が笑えば伝えるタイミングはするすると流れていった。そうやってここまで来てしまった。

 僕は、半歩分だけ彼女より後ろに歩いた。この位置からだった気持ちを伝えられるはず。向き合っていては言葉に詰まりそうだ。でもなって言えば良いのだろう。自分の気持ちにしっくりくる言葉が見つからなかった。いくら探しても見つからないだろう。そうやってここまで来たのだから。今、口にしてしまうのは野暮な気がしてきた。そう思いながら半歩後ろから彼女の事を見つめて歩いた。

「あ!そうだ。」

 そう言って彼女は、小さなバッグの口を開けた。そして文庫本とり出した。僕は彼女の隣に並んだ。

「これ、この前話した本」

「え!良いんですか?ありがとうございます」

「もう読み終わったし、キンドルでも買っちゃったんだよね」

 そう言って彼女はけたけたと肩で笑った。

 今を楽しもう。余計なことは考えるのをやめよう。告白はまた今度にしよう。今日は、彼女との時間を心から楽しもう。僕は、彼女の横顔をぼんやりと眺めながらそう思った。それで良いんだと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?